お盆とTwitterのある風景


Twitterを始めたのは2007年だったか。
GREEだのmixiとはまた違う、言いっ放しで面白いよ。と、友人に誘われて始めたものの、最初は勝手が分からずにいたのだが、昼ごはんのことやら、読書の事を書きとばすうちに、「短文できめる」ことの面白さに気づいて、一時ドはまりしていた事がある。そして数年イヂくり回すうちにFacebookと出会い、TwitterにはBOT仕込んで放置して、昨年暮れから再開して。という、B型気質丸出しで現在に至るわけだ。
 
 
B型らしく、いきなり話を飛躍させるが、Twilogというサイトをご存知だろうか。IDを入力すると、そのTweetをまとめてブログ形式で表示してくれる、便利なサイトである。たまぁに覗いてみるのだが、これが面白い。数年前の自分はこんな事をやってたんだ。あんなことを考えていたのだ、とじつに興味深い。
 
 
2011年02月18日(土)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
おはようございます。今日は朝からバタついております。いかに怠惰な日常を過ごしているかがわかります。(゜∀゜;ノ)ノ #ohayou

 
7年ちょっと前のTweetで、もっともハマっていた時期のものだと思う。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
朝からバタついてましたがちょっと落ち着いて昼ご飯。久々に〈ししとう〉にて『レバニラ炒め定食』を。ウマかった

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
喜国雅彦『東京マラソンを走りたい』読了。江口寿史と並ぶ〈下らねーギャグマンガ〉のスペシャリストの『愉しくだらだら走る』ための本。要はモチベーション管理なんだよね。ワタクシのダイエットと同じやり方。仲間がいたぁ♪とナニか嬉しい (///▽//)

 
現在と同様、よく食べているし、老眼がひどくなる前なのでよく読んでいる。また、当時はダイエット中でもあったようだ。なお、日付の記載は変わった時のみとする。煩雑だからね。
 
 
2011年02月20日(日)

おそようです。チョイとバタついており、ようやく昼ご飯。今朝から蕎麦蕎麦とアタマにざるそばがこびり付いていたので〈草笛〉で『中盛』を ♪ d(⌒o⌒)b♪

 
「おそようです」というのは朝イチTweetができなかったからだ。事情があるのだが、それはまた後ほどとして、以下、しばらく読書感想タイムとなる。
 
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 読了。『悪名の棺』の笹川良一から堺利彦。〈最後の右翼〉から〈最古の左翼〉。間に何冊か入ったけど、毀誉褒貶というかふれ幅が大きいというか。我ながら節操のない読書傾向。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
堺利彦といえば幸徳秋水や大杉栄といったビッグ・ネームの影にいた地味な人。というイメージしかなかった。世間でも『まぁそんな感じじゃない?』という程度ではないか?関川夏央・谷口ジロー『明治流星雨』でもそんな扱いだったし。でもそんな扱いが出来るような人ではなく、もっとスゴい人だった。

 

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堺利彦とは初期の社会主義運動をほとんど一人で支えた人。幸徳や大杉よりも大きな事績を残した人だった。幸徳秋水には崇拝者がたくさんいた。カリスマとしての素質もあり、大逆事件(明らかな冤罪)で処刑されたことで伝説となった。大杉栄も同じ。関東大震災のドサクサで虐殺され英雄となった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
そして、指導者を失った若者たちを支えたのが堺利彦だった。明治の末期。一度でも〈主義者〉というレッテルを貼られた者は国からの弾圧だけでなく、周囲からの差別・侮蔑の標的となり、仕事もなく、生計を立てるのに凄まじい困難が伴った。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
そんな彼らを最も面倒を見たのが堺利彦だった。筆がたち、誰からも好かれる人柄は例え〈主義者〉であっても一目置かれる存在であった。

 

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そんな彼が社会主義者にとっての〈冬の時代〉を乗り切るために創立したのが『売文社』。

 

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■新聞、雑誌、書籍の原稿製作並に編集■論文、美文、小説、随筆、記事文、慶弔文、書簡文、趣意書、意見書、各種文章の代作及び添削■英、獨、仏、露、伊、漢等、一切外国文の翻訳並に立案、代作■談話、演説等の筆記及び速記■寫字及びタイプライタ■出版印刷代理

 

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というのが〈売文社〉の営業品目。日本初の広告代理店であり編集プロダクション、翻訳会社ともいえる組織を作り上げた堺利彦に惹かれる。その人柄に、その柔軟な発想に。

 

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『理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推進していった』これが堺なりの〈運動〉であった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈運命〉ってやっぱりあるのかな?と思わされた。ワタクシ自身は運命論者ではないのだが、こういう生涯を見るとつくづく誰かが『お前はこのようにしか生きてはいけない!』と決めているのではないか?と感じられてならない。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
大逆事件の際はたまたま獄舎におり連座を免れた。関東大震災の時も同じく獄舎にいたから虐殺されずにすんだ。第一次共産党事件の時もほんのわずかなことで処刑を免れた。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
不謹慎を承知で言えば、こういう大変な極めてキツい時代には〈英雄として〉死んでしまった方が幸福なのかもしれない。『彼はすごかった』『アイツは素晴らしかった』と皆が誉めてくれる。恐らく堺も同じように思ったのではないか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
どう考えても大変でしょ?彼のやってきたことって。幸徳秋水やその他の人々の遺骸を引き取り、葬儀をだし、その後数ヶ月かけて遺族に慰問の旅に出る。帰還後は前述の通り、仲間や後輩たちの生活のために東奔西走の日々。それも内外からの迫害を受けながら。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
ナンにしても、スゴい生涯であった。こういう人に、ワタクシもなりたい。黒岩比佐子という方の作品は初めてだったが、素晴らしい力作だった。あとがきに膵臓がんの治療中であると記されていたが、その後はいかがであるのか。ご快癒を心からお祈りし、次の力作をお待ち申し上げております。

 
 
いやいや、なかなかどうして「書けて」いるではないか。
自賛は好まぬが、きちんと「書評」になっていると思う。ここでもう少し精進していれば、ソーテック社から本の一冊も出版できていたかもしれない。

ちなみに、「パンとペン」の著者 黒岩比佐子は、この書を最後に他界された。まことに残念なことだ。そしていまでも私のフェイバリット作家の1人である。
 

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『街並み 第39号 門前町の食堂』読了。読了とは言わないかも。写真雑誌だし。この雑誌を読む(観る?)のは二度目。どことなく懐かしく暖か (///▽//) 視点が優しい。

 

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善光寺門前界隈にある6つの食堂 〈和食処いかほ〉〈つたや食堂〉〈司食堂〉〈御食事処ことぶき〉〈中国料理 杏林〉〈しまや食堂〉 どこもかしこもウマそう。晩ご飯前だから余計と感じる。一刻も早く行って腹一杯喰ってこないと。

 

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権堂アーケード〈らあめん 花月園〉にて夕食。『豚そば 銀次郎』にキャベツ・コーンをトッピング。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『これが、嵐げんこつらあめん こだわりの食べ方だ!!』という書き物が。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その1】ブラックペッパー 振るべし!!スープ全面をおおうほど、『これでもかっ!』と振りかけると、よりパンチの効いた味になるぞ!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その2】秘伝のらあめんダレ かけるべし!! パ~ッとひとかけすると、なんとも言えない風味が立ち上がり『こりゃ~もうたまらん!!』

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その3】激辛ニラ 入れるべし!! 旨いからといって入れ過ぎるとその激辛にヤラレます。入れ過ぎに注意だ!!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その4】生ニンニク生しぼり 搾るべし!! 特製プレスで搾ってみてください。この元気な旨さはもはや説明不要ですよね~。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
嗚呼ウマかった。チョイと甘めなのが気になったが、美味しい部類に属するお店でした。これからまだ用事があるので〈生ニンニク生しぼり〉が出来なかったのが心残り。

 
 
などと、現在とまったく変わらぬノリで書いている。まった進歩がなくて困りものである。
困りもの、といえばこの数日やけにTweetの数が多いのである。いや、世の中には一日に何百とやっている人はいるのだが、そういう意味ではなくあくまで私のこと。それに、どことなく地に足がついていない、そんな風には読めないか、自分以外では。じつはけっこう、特殊な環境におかれていたのである。
 
 
2011年02月21日(月)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
(・_・)んッ…?そういえば、このところどうしたの?ジムの話題は出ないし、晩ご飯も外食だし。…ははァ マスオさん稼ぎ悪いクセに態度デカいから、お舅さんに追い出されましたね? と幾人かの方から言われましたが、さにあらず。現在、病院に昼夜つめております。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
実を言えば、うちのおばあちゃんの具合が悪く、ほとんど〈忌まわの際〉という状態。この1年、寝たきりの状態だったにも関わらず旺盛な生命力を保ってきたおばあちゃんもそろそろかな?という事態になってきたようです。

 
ようやく出てきた。
その通り、この時は同居していた義理の叔母が死にかけていたのである。
7年前は、義父は高齢で腰が悪く、病院と自宅の往復に支障があった。家内も子供たちや家事がある。必然的に、ヒマだった私に付き添い役が回ってきた、というわけだ。
それまで「身内の死」には何度も相対してきたことがあるが、自ら「看取る」ことは、この時が初めてのことで、はなはだ精神的に平衡を失っていた。要するにテンパっていたのだ。「忌まわの際」なんて思い切り間違っている。「今わの際」だよね。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
当然のことながらこういう経験は初めて。読書しながら、おばあちゃんの波乱万丈な生涯(ホントなのです)に思いを馳せたり、おばあちゃんが今どんな心持ちであるかを想像したり。

 
「波乱万丈な生涯」とは彼女が満州で体験した、一連の出来事や、帰国してからの労苦を指す。そのうち、記録としてまとめたいと思いつつ、何年も経ってしまっている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
なにしろ意識混濁状態なので、痛いのか苦しいのか。はたまたツラいのかが全くわからない。たまに顔をしかめてみたり、軽く声を出してみたり。見ようによっては苦しんでいるとも、そうでないとも見える。本人に聞いても答えが返ってくるわけもなく、弱ったものだ。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
痛かったり苦しかったりしなければ、全く問題ないのだけど。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
また、我々と過ごした最後の日々は幸せであったのか?と考えたりもする。わずか5年間の同居生活であったが、果たして快適に過ごして貰っていたのか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
書き忘れたが、〈おばあちゃん〉といっても義父の〈連れ合い〉ということでもなく、我々や子どもたちにとっての〈祖母〉ということでもない。義父の姉であり、家内の叔母にあたる方。生涯を教育者として、家庭を持たず、兄弟たちのために仕事に生き抜いた方。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
とにかく行動力の塊でパワフルで。我々夫婦の間では『おばあちゃんは止まった時が死ぬとき』なんて陰口たたいて笑っていたものだが(おばあちゃんごめん!)。この辺りはいずれツィートすることがある筈なので割愛。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈スーパーおばあちゃん〉はずっと義父と二人暮らし(義母は10数年ほど前に他界)していたが、80半ばを過ぎて大病してから、『こりゃマズい!』と我々が同居、お世話をすることになった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
家内はもともと看護士なので、介護などお手のもの。そういう点では非常に快適な生活を送って頂けたと思うのだが。掃除・炊事・洗濯もしなくてよいのだし。ただ一点なくしたものが。それは〈自由〉。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
常に日本全国あっちゃこっちゃ走り回りかけずり回りしていた人が、チョイと足腰が弱ったからといって『車椅子に乗れ』『外に行くときは1人じゃダメ!』などと言われ。…別に意地悪ではないので。身体能力そのものが弱っていたので、単独行動はムリ!という判断の基ですから。念のため。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
内幕はともかく、そういう大切な〈自由〉を亡くしてしまったおばあちゃんの気持ちは、ホントのところどうだったのかな?と考えているとちょっと切なくなる。考えすぎか f^_^; まぁまだ亡くなったわけでなし。このまま生き続けてくれるかもしれないのだし。

 
そうなのだ。彼女の自由をうばったのは私なのだ。
生涯結婚せず、子供のない彼女にとっては教え子たちは「自分の子供」そのものであった。以前のように全国を飛び回りたい。教え子たちの行く末が心配でならない。その気持ちはよく理解できる。しかし、それは本人自身が動くことが出来てこそ、なのだ。よくてウォーカー、少し長い距離は車いすでしか動けない者が、いったいどうやって教え子の基へ行くというのだ。
 
同居を始めた当初、
『東京で同級会がある』
『一年も前からの約束だから奈良までいかなければ』
『バスに乗せてくれれば、岡山までカンタンに行ける』
と言い張る叔母に対し、今後のこともあるので、家内と二人、叔母に談判した時のことは今でも忘れられない。
 
『叔母ちゃんの旅行好きはよく知っているし、生きがいなのもよく分かっている。でも、今の状態で行けるわけがない。身体をもっと悪くしたら、元も子もない。だからもう遠出は行かせてあげられない。一人でなんて以てのほか。そのかわり、長野市近辺だったらオレが責任もって連れて行くから』
黙って頷いた叔母の、老人特有の無表情の瞳の奥に、悲しげな色が浮かんだように見えたのは、気のせいであったろうか。
 
無論、約束は守った。長野市近傍での会合や、同級会へは何度も同行した。「満州体験を語る」という趣旨でTV出演もしてしまったことがある。
ということで、やるだけはやった。周囲からもずいぶんとお褒めの言葉をいただいたし、おそらく本人も感謝してくれているとは思う。
それはそれで喜ばしいことである。満足でもあるし達成感もある。ただ、本当にあれで良かったのか。と、思わなくもない自分もいる。あれほどエネルギッシュに動いていた人を、ベッドに縛りつけることにしたのは私だ。だが分かっちゃいるけどもう少しよい言い方、やり方はなかったものか。オレはものすごく残酷なことをしたのではないか?と、8年も経過した現在に至るまで自問の日々を過ごしている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
1時間ほど前におばあちゃんが亡くなりました。享年92。穏やかな最後であったのではないでしょうか。これから数日間、忙しくなります。

 
亡くなったのは、翌日の午後2:23だったか。2月22日で、あと1分で揃ったのに、と家内と家内の姉が話していたのが、アタマの片隅から離れない。
 
 
以上、8回目のお盆を迎えての思い出話であった。


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【読書days #4】やました ひでこ「捨てる。 引き算する勇気」


じつは「断捨離」が好きなのである。
大掃除や身の回りの片づけをする時など、ここまで捨てていいんかい?というレベルで、ドカドカ捨ててしまう。3ヶ月手に取ることがなければ、この先も用事がない。と言われているのをそのまま受け取って、大量のゴミだしを図るのだ。…実際には、けっこう困ったりすることもあるのだが、それは自己責任、悔やんでも仕方ないこと、という事にして諦める、先に進むことを優先する。

しかし、誠に情けないことながら、デスクの傍らがきれいにならない。いつも書類やら資料の山が、崩壊しそうなほど屹立している。
設計という仕事柄、書類にまみれるのは、ある程度仕方のないことであるとは思いつつ、どうすることもできない。プライベートでは発揮できる「断捨離能力」をなぜ仕事にうまく活かせないのか。甚だ、深い悩みの森を徘徊する日々である。

この
捨てる。 引き算する勇気」[やました ひでこ著 幻冬舎刊]
を手に取ったのも、そのような背景があったからこそなのだ。


モノが増えることは仕事が遅れることを意味する。そんなことは言われなくとも理解している。ではなぜ、モノが増えるのか。というところを分析すると、以下の三点に収斂される。すなわち、

<先送り>
<何かあったら>
<もったいない>

仕事を<先送り>することほど、無駄なことはない。現在、眼前にある仕事を即座に、効率よく片づけることが「仕事」なのだ。

仕事に<何かあったら>はない。紙類や文房具類をむだ使いしない、という事とは一線を画すこと。想定できないことに捉われていては、時間とスペースの無駄にしかならない。

同様に、仕事に<もったいない>はあり得ない。この資材を大事に使い、数十万円のコストダウンに繋がった、という事なら話は別だが、大した事でもないのに、いつまでもこだわるな。

以上は、読んでいた上での感想である。誠に耳が痛い。「人・物・金」を動かすことが仕事ならば、整理整頓の善し悪しは、その三者の推進または停滞を決定づける、といっても過言ではない。

まずは落ち着いて、分析してみよう。
と、著者は言う。自らの仕事と、今、絶対にすべき行動を見つめていけば、おのずと整理整頓は出来て行くはずだ。「すてる勇気」をもとう。

・デスクの上には進行中の仕事の書類だけを置く
・書類は基本的に読み終えた瞬間に捨てる
・財布は最も身近な情報の断捨離
・名刺をとっておく意味はない
・捨てる対象は、「使用頻度・価値・感情」で判断する
・捨てられないモノに目を向けると自分がわかる

ポイントを眺めただけで、この書の全体が理解できる。「断捨離」の精神をもってこそ、仕事ができる、というものなのだ。逆を返せば、何も考えてないからプライベートでは捨てられる。仕事上ではダメ、という事になる。誠に反省しきりの読後である。

著者はクラター・コンサルタントとして活躍されている方である。クラターとは英語で「ガラクタ」を指す言葉で、

住まいに溢れるモノたちを見つめ直し、モノとの関係性を問い直しながら、今の自分に「不要・不適・不快」なモノを取り除くための助言やお手伝いをすること。結果、住まいが片づき、ついでに心の中のガラクタとも、はい、お別れ…。そう、住まいと心のガラクタをコンサルティング…という仕事

HPより

だそうである。「断捨離」という言葉は彼女の商標登録であるとのことだ。しまった、こんなに凄い人だったのか。また、追いかけなければならない著者が増えてしまった。

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【読書days #3】伊藤 羊一「1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術」


あまり信じてはもらえないのだが、人前で話すのが苦手なのである。1人2人や、せいぜい10人の前では、どうという事もないが、数十人単位の席となると、足がすくんでしまったり、アタマが真っ白になってしまったり。カンニングペーパーを用意していても、読み間違えたり、声が出なかったりと、散々なこととなるので、あまり人前に出るのを避けるようにしている。

とはいえ、どうしたところで、いくら意図的に避けようとしていても、数年に一度くらいはお鉢が回ってくる、やらねばならない事態は必ずくる。これは社会人として、社会に参加している者としては、致し方のないことでもある。

だからせめて、少しでも改善したい。せめて、その場だけでも、なんとか取り付ける事ができる程度にしたい。と、手にとったのがこの本である。正直なところ、タイトルと表紙、表紙に記されたわずかな情報だけの、いわば直感のみで選択したのだが、私の想像を遥かに凌駕した内容であった。

「1分で話せない話は、どんなに長くても伝わらない 」
のだ、と著者は言う。長い話は、考えそのものがまとまっていない証拠であり、相手に「伝わらない」最大の原因なのだ。
伝わる伝え方の「型」、「結論の決め方」、「言い切れない」というメンタルの部分の話、そして1分で記憶に残す方法など、誰でもできる方法を、懇切丁寧に記される。

もともとは
「人に何かを伝えることが本当に苦手だった」
と言い切る著者が、いかに克服し、孫正義にすら一目置かれるような伝説のプレゼンターとなったか。その軌跡を追うだけでも、十分面白い「読みもの」でもある。
「動かしてなんぼ 、『きれいに話す』ことが目的ではない」
「意味がつながっていれば『ロジカル』と言えるのだ」
「『基本的に』は不要である。いらない言葉をいかに削るか、が肝心なことである」
「頑張ったことは話すな」
など、語られることは実践そのものでしかない。先に記した、「想像を遥かに凌駕した」というのはこの点である。

著者はヤフー株式会社、Yahoo!アカデミア学長、株式会社ウェイウェイ代表取締役など様々な役職につく、いわばスーパー社会人とも言える方である。それだけに、説得力の凄まじさは半端でない威力である。さて、次回のプレゼンはいつであろうか。実践してみたくてたまらない気持ちだ。


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【読書days #2】横田 伊佐男「ムダゼロ会議術」


くだらない「会議」

世の中に「会議」ほどくだらないものはないと思っている。そんな事は、私だけではない。私以外の誰もが考えていることだろう。
では、やめてしまえばよいではないか。
という者もいる。何人、何十人、雁首揃えてアタマ抱えていてもなんの意味もない。「良策」を出すのは「集団」ではない、優秀な「個」が出すものなのだ。という事も、至極まっとうな意見である。

なぜ「会議」はあるのか

ところが、誠に残念なことながら、世の中にある大半の会議は「決める」事にあらず、「調整」を行なったり、集団で「なんとなく議決」する事で、リスクを分散させる。そんな役割を果たしていることの方が多いのだ。カリスマ経営者が、ビシッと「決める」などという事がない限り、誰しも責任は取りたくない。失敗して、詰め腹切らされるのは嫌に決まっている。だからこその「会議」なのだ。みんなで決めた事にして、リスクを分散させる、これが「いつもの会議」のあり様なのだ。無論、わが経験で言っているだけだが、どこでも似たようなものだろう。こんなことでは、いつまで経っても「くだらない会議」はなくならない。

「ムダゼロ会議術」本書のねらい

時間が長い、中身が薄い、発言がない、何も決まらない。そんな会議をやめませんか?と、この「ムダゼロ会議術」の著者は言う。生産性も落とす、モチベーションはもっと落とすだけの会議を根絶しよう。


ムダゼロ会議術

ぜい肉たっぷり、長くて薄い”メタボ会議”を、ムダがなく、短くて濃い”筋肉質会議”に変えていく。 日本中に蔓延するダメダメ会議を根絶すること。

それこそが本書の狙いである。
著者は「カリスマ」と言われた経営コンサルタントである。延べ3万人に及ぶ人びとに、マーケティング戦略などを叩きこみ、これまで数千、数万の会議に参加した剛の者である。この書に横溢する、説得力、分かりやすさはそこから発しているものであろう。

本書の構成・まとめ

本書の分かりやすい構成は、見事としか表現しようがない。

① 会議の「4つの悩み」にフォーカス
時間が長い」「内容が薄い」 「何も決まらない」「発言がない」という、ダメダメ会議にありがちな4点を分析して、徹底的に無駄を省くノウハウを語る。
② 解決策は「紙1枚」に集約
対策は常に「紙1枚」にまとめる事。それでこそ記憶に残りやすくなる、記憶に残れば実践もしやすくなるのだ。

そして、前半の基本理論、後半の応用編と、バランスよく語られる。プロの経営コンサルタント、カリスマの語り口は、見事といえる。
早速、この書に基づいて、ダメダメ会議を排して行かねばならない。すぐには無理だろう。でも、やらねばならない。明日のために。


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【読書days #1】樺沢紫苑「学びを結果に変えるアウトプット大全 」


はじめに

本は読むもの、映画は観るもの、音楽は聴くもの、そして知識はため込むものである。というのは間違いではない。でも、果たしてそれだけで事足りているのであろうか。
「あの本の、ここがよかった」
「あの俳優の演技は絶品だった」
「あのプレイヤーの演奏は、どうだった」
と、知人や友人と話し込む事がある。これはこれで楽しいひと時であるし、必要な事でもある。しかし、それだけでは如何ともしがたいものがある。

今までのこと

「読む」、「観る」、「聴く」あるいは「食べる」でもよいのだが、これまでわれわれが、いや私が執心してきたのは「インプット」すなわちため込むだけであった。取り込んで得た情報を、
「ああ良かったな」
という感想とともに、心の奥底へしまい込むだけのことであった。それだけならまだよいが、しまいこんだものが、いつの間にか、どこかへ行ってしまった、なんてこともよくある事だ。
「あの映画、すごい感動したけどすぐに忘れちゃった」
「あの本は、分かりやすいんだけど、全然あたまに入らないんだよね」
そんな事はザラにある。

「インプット」と「アウトプット」の関係~脳の仕組み

この「学びを結果に変えるアウトプット大全 」によれば、それは人間の脳の仕組みが、もともとそのように出来ているからですよ。
と、精神科医である著者は言う。人間の脳は、取り込んだ情報は、適正に出さなければ、本当の意味で「身になる事がない」のだ。「インプット」したら、適切に「アウトプット」する。この関係が構築されてこそ、なのだ、という。

解決方法

逆を言えば、それが出来ていれば、システマティックに進めることが出来れば、怖いものなどない。
「自分の意見をうまく伝えたい」
「交渉や営業が得意になりたい」
「いいアイデアが浮かぶようになりたい」
「仕事や勉強の成果をもっと出したい」
などの、市井の人々が誰でも持っている悩みなど、簡単に解決できるのである、という。

そして自己成長

自己成長とも、著者は言う。脳の仕組みがそのように出来ているのならば、人としての機能、能力をあるがままに受け入れるのも、大切なことである。しかし、それだけでは生きていく上で、面白みがなさすぎはしないか。

豊かな人生を

知識はしっかりと取り込み(インプット)、適切に表現(アウトプット)する。これでこそ、豊かな人生を送れるというものなのだ。
という章立てに基づき、いつも通り分かりやすく、丁寧な表現で紡がれる
「学びを結果に変えるアウトプット大全 」
ぜひお勧めしたい一冊である。

 


学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)


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【読書days#2】ぱをら瑞恵「SUDENI どうすればうまくいくのか探し続けているあなたへ」


ぱをら瑞恵の新作

著者による新作にして、3冊目のこの書「SUDENI どうすればうまくいくのか探し続けているあなたへ」は彼女にとって、ある意味エポックメイキングなものとして位置づけられると確信する。まずは「読め」と強く述べておくことから始めよう。

「SUDENI どうすればうまくいくのか探し続けているあなたへ」

前2作「ひとせら」にせよ「自分ぶっ壊しセラピー」にせよ、シンプルで自己啓発的、人好きで優しい著者らしい内容であった。彼女の紡ぐ、熱く、分かりやすく、取りつきやすい言葉に癒され、元気づけられたものがどれほどたくさんいたろうか。

新作の方向性

しかし、新作である「SUDENI どうすればうまくいくのか探し続けているあなたへ」はまた少し様相が違う。優しくもあり、熱くもあるが、分かりやすくはない。そして決して取りつきやすくもない。なぜなら、ここで語られるのは、いつもの明快な「答え」ではない。答えとして発せられる以前の、醸成中の、ドロドロとしたものである。

なぜ、その答えに至ったのか。どのような筋道を経て、そこに到達したのか。彼女の理論、思想(とあえて言ってしまおう)を表現した書である。
そんな骨の太い、厚みのあるものが取りつきやすいものであるわけがない。しかし、そこが分からなければ、彼女の「答え」を信頼出来ようはずもない。

「ぱをら」とは?

彼女はまず、メンタルセラピストとしての活動は
「今まで心配だったことを信頼にしていく」
ことであるという。まったく真逆の意味を持つが、たったの一文字しか違わない。そして、その差もそんな程度の違いしかないのだ。

しん「ぱ」い「を」しん「ら」いにする
その手伝いをする。だから
「ぱ」「を」「ら」

である。

かように、自らの背景を、いや自らのすべてを「さらけ出し」ていくところから始まる。

「読め」という理由

父親のいない家庭に生まれ、人に語れない、心に闇を持っていた幼少時代。
デザインを志すも、ちょっとした行き違いから、罰ゲームのようになってしまった高校時代のことは、私には知るよしもないが、さぞかし鉄くさく油にまみれたものだったろう。
そして就職、転職、バブルの到来。最初の結婚と破局。いつも通り、ポンポンとリズミカルに語られていくのが、心地よく面白いのだが、ここまでさらけ出してしまって大丈夫なのか。と心配にもなるくらいだ。

しかし、私がこの書を「読め」という理由はここにある。

あらゆる表現活動は、詰まるところ「自分との対峙」なのだ。絵を描くにせよ、書を紡ぐにせよ、自らに語りかけ、時に対立し、時に折り合いをつけながら進めるものなのだ。たった今、これを書いている私ですら、様々な自問自答を繰り返しつつ進めている。

であるにも関わらず、
これも ある意味最高のネタ
と、しれーっと言いながら語る著者の度量は、計り知ることができないレベルといえる。そこまでしてこそ信頼を得ることが出来るのだし、

今まで心配だったことを信頼にしていく
ことが可能となるのであろう。みずゑ、すげーなおまえ。

まとめ

以上が、私がこの書を勧める理由である。
冒頭述べたように、決して分かりやすくもない、取りつきやすくもない。しかし、これを知り得てこそ、彼女の言葉は一層理解しやすくなる。受け入れやすくもなる、ということだ。

なお、これ以上内容に言及することはしない。ただ、読んでもらいたい。感じてもらいたい。
現在のご主人との出会いから、新しいステージへと上がる、言わば「魂の軌跡」とでも表現すべき過程は、迫力があり、読みごたえもあり、面白い。特にアセンションの瞬間である
『神』以外の呼び名が他にあるだろうか
の場面は、感動的である。

最後に、くどいようだがもう一度だけ言わせてもらおう。

山志多みずゑを、ぱをら瑞恵の言葉を信ずるなら、まずは読んでみよう。以上である。

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【読書days】ヘルマン・ヘッセ「さようなら世界夫人よ」


ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の詩に「さようなら世界夫人よ」という作品がある。この詩が紡がれたのは1944年4月23日、ヘッセ67歳の作品である。
この、一風変わった詩を読み込んでいくと、当時のドイツの状況と、ヘッセの苦悩が浮かび上がってくる。

1940年にフランスを陥落させたナチスドイツは、翌41年にはギリシャ占領、バルカン半島を制圧。ソ連への侵攻開始し、破竹の進撃を見せる。

ヒトラーは当初、
「対ソ戦は5か月で終わる」
と豪語したが、冬将軍の到来とともにソ連軍の大攻勢が起こり後退を余儀なくされる。そして43年7月の「クルスクの戦い」において、攻守が逆転、ドイツ軍の潰走が始まる。

1944年3月ベラルーシで大敗を喫し、ドイツ中央軍集団は回復不可能なほどの打撃を受け、6月にはノルマンディ上陸作戦により、連合国軍のヨーロッパ上陸を許す。7月にはヒトラー暗殺未遂事件が起こり、8月にはパリが奪還される。すなわち、1944年とはドイツの終わりが完全に見えた年だといえる。

この詩は、ドイツに産まれ、ドイツに生き、ドイツにこだわったヘッセが、断末魔の叫びをあげる「古きよきドイツ」に向けた惜別の唄なのだ。

世界はこなごなに砕けている
私たちが大好きだった女性だ
けれども今は彼女が死んでも
私たちはもうあまり驚かない

「女性」とは言うまでもなく、「ドイツ」のことである。かつての栄華はなく、この国がいつ亡くなってもしまっても、おかしくはないだろう。

彼女を悪く言わないでおこう
あんなにも華やいで奔放な女性だ
今も変わらず彼女のまわりには
大昔からの魔法が漂っている

ヨーロッパを蹂躙し、ユダヤ人を虐殺し、世界中から忌み嫌われたドイツは、自らを生み、育んだ愛おしき故郷でもある。そんな存在を、悪く言えようはずもない。

彼女の壮麗なたわむれから
私たちは感謝して別れよう
彼女は多くの喜びと苦しみと
多くの愛をくれたのだから

「古きよきドイツ」に心の底からありがとうを言おう。私のすべてを与えてくれたドイツに別れを告げよう。

さようなら、世界という女性よ
また若々しくお洒落するがいい
私たちはおまえの幸福に飽き
おまえの嘆きに飽いたのだ

ヘッセ最後の詩集となった「階段」に所収されている一編である。終わりの哀しさと、始まりの希望とを淡々と描いたこの詩は、彼の葬儀の際に朗読されたという。


ヘルマン・ヘッセ全集 (16) 全詩集

[テキスト:ヘルマン・ヘッセ全集16 タイトルは「さようなら、世界という女性よ」]

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【読書days #1】自分ぶっ壊しセラピー


はじめに

人間ながく生きていれば、思い悩むことがない、などということはあり得ない。自ら置かれている立場と、周囲との板挟みとなり、あれこれとあたまを使ったり、仕事に趣味に家族に友人と、人間関係に悩んだり、あたり一面もやもやと、いらいらとすることだらけなのにうんざりする事が多い。

「50すぎれば悩みはなくなるよ」
などと、諸先輩から言われていたが、なるほど確かにその通り。このところ、あまりもやもやしないなぁ、と心浮き立っていたのだが、よくよく考えてみると、悩む事がなくなったわけではない。面倒だから悩まなくなった、考えなくなった。という事に気づき愕然とした。「五十にして天命を知る」どころの騒ぎではない。

そして、なおのこと困ったことに、近年は悩みを持ち込まれることが多くなった。あーでもないこーでもないと、相談されても正直なところ困惑するばかりである。

50歳のなげき

相談といっても、仕事関係の、しかもお客様より受けることが圧倒的に多い。

「この土地でよいのか?」
「35年もローンを返していけるのかしら?」
「そもそも、家なんか持ってよいのか?」
「私は同居なんかしたくない!」

オレは設計屋だっつーの
建物の性能や、法的な見地を述べる。というのならまだしも、これでは人生相談である。そんなに思い悩んで決定できないのなら、家づくりなんてやめてしまえばよいのでは。と、言ってやりたい衝動にかられるが、それを言っちゃァおしめーよ。よそ様に迷惑をかけることになるし、そもそも生計を立てることが出来なくなってしまう。そんなこんなで、今日も嫁姑問題や家庭内争議に耳を傾けるのである。

かような事で参っているようでは、カウンセラー、セラピストのような仕事は絶対に出来ない、と確信する。いや、そんな事があろうはずもないが。

手に取った理由

友人・知人の中で、かくなる仕事をされている方がいる。折にふれ、その姿をみるにつけ、真摯な態度に感服するばかりである。よく話を聞き、相談にのり、親身になりきる、ああこの人たちは、とことん「人好き」なのだと。

自分ぶっ壊しセラピー
山志多みずゑ 廣済堂出版 2011年
ISBN 978-4331515556


じぶんぶっ壊しセラピー

この書を手に取ったのも、理由などほとんどない。「ぶっ壊し」というフレーズと、「セラピー」というフレーズの組み合わせに違和感を持った。これが理由といえば理由であろう。

自分ぶっ壊しセラピー

5つに章立てされ、各々10の設問に著者が答える、という形式である。ひとつひとつは殊更難しい問題ではない。

「なにをしても後悔しちゃうんです。正しい選択ってありますか?」

という問いかけがある。
「後悔先に立たず」
というではないか。いちいちくよくよしていたのでは、世知辛い中、生きてゆくことすらままならぬ。気にせずさっさと前を向け。と、私なら言い放つであろう。

しかしながら、著者は間違っても、そんな乱暴なことは言わない。

尊敬するねぇ!
後悔したとはいえ、まずちゃんと、チャレンジしたってところが素晴らしいじゃないですか!最初から「無理」って諦めて、手もつけず行動しない人より、どんだけすごいか!あなた、アッパレじゃないですか!

もう少しのところまで来ているのだ、まだ到達していないから、「後悔」しか感じられないのだ。だから、もう少しだけさきに進んで、後悔の「先」にあるものを見に行こう。という。

そもそもなぜ、行動したのに後悔するのか?それはまだ迷っているからではないか?ともいう。何を選んだところで、失敗にはならない。いろいろな意味で「学び」が用意されているのだ。後悔しない覚悟も必要だ。自分の選択にも自信を持とう。

たとえそれがどんな展開になったとしても、あなたが本気で取り組めば取り組んだだけ、「学び」というご褒美が与えられますから。

こんなものもある。

「いつも失敗して怒られてばっかり、なんでも器用にできるようになりたい!」

じつは、私自信が密かに考えていることだったりする。いや、この歳となり、失敗することも、怒られることも少なくなったが、
「もう少し、上手く立ち回れたらな」
と、思う瞬間がないでもない。私だけではなく、誰しも持っている普遍的な問題なのかもしれないが。

著者の回答はじつにシンプルで明快だ。
なぜ苦手なことをしようとするのか。そんなことに費やす時間が、もったいないのではないか。

苦手なことを平均点をとるために、がむしゃらになって取り組むのと、すでに平均点、もしくはそれ以上のスキルを活かして取り組むのと、どっちのほうが自分や世の中のためになると思います?

ゼネラリストよりはスペシャリストになれ。と、説く。じつにシンプル・明快かつ熱い答えであると思う。こういうところが、この著者のもっとも好ましいところなのだ。

まとめ

巷に溢れる「セラピー本」には、民間療法や伝承をベースにして語り続けたり、またはスピリチュアル、あなたの前世にあるチャクラのステージが上がってアセンションした。というアレに走ったり。いや、そういう世界も、面白くないでもないのだが、貫かれるとなれば、閉口にも感ずる。

難しいこともなければ、神秘的でもない。誰にでも理解できる言葉と、どこででも通じる気持ちで相対してくれる。著者の優しさと、真摯な気持ちが染み入ってくるような一冊であった。

追伸として

著者の語りかけが、江戸言葉というか、口語体というか最初は少し気になるのだが、読み進めるうちに、これが心地よくなってくる。なるほど、内容にあわせた、計算しつくされた手法であると思う。いずれにせよ、ポンポンとリズミカルに語られる口調がとてもよい。著者の演歌を、聴いてみたいものだ。

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「池波正太郎の銀座日記」より名文集


"私がロイド・ノーランを初めて観たのは、まだ少年のころで、ジェームズ・キャグニー主演の「Gメン」の端役に出ていたのを観て、子供ごころにも
(これは、きっと、いい役者になる)
と、おもった。果たして、彼はキング・ヴィダー監督の「テキサス決死隊」の仇で、一躍、名をあげたのだった……と、こんなことを書いてみても、ひとりよがりになるだけだろう。もう、やめよう。"
フィリップ・ノワレが、パリのある警察署の刑事になって主演する。賄賂、ピンハネ、モミ消しなど、職権を利用した悪徳?を重ねながら生きて行く、こよ初老刑事の肥った躰からただようペーソスとユーモアが何ともいえぬ、よい味だった。
午後から来客二組。御飯を食べすぎたので、私は菓子をひかえていたら、客のひとりが、
「おかげんが悪いのですか?」
と、いう。
齢をとると何かにつけて、人が心配してくれるものだ。
夜のテレビで、片岡孝夫・坂東玉三郎共演の「四谷怪談」を観る。要領よくダイジェストしてあったが、玉三郎初役のお岩は、あまり大評判にはならなかったようだ。しかし、初役で、この難役をこれだけこなしたのは一つ新響だとおもう。
気魄がこもっていて、そらぞらしくなく、若い役者だけに髪すき前後の演技にもテムポを出し、おもいきって演じたのがよかった。
歌舞伎は、もっともっと変貌すべきなのだ。
「煉瓦亭」へ入り、ハイボール二杯、ポーク・カツレツに御飯。私には何といっても、この店のカツレツが、いちばんうまい。
とんかつだのカツレツだのはそれぞれにルーツがあって、
「それは、ぬきさしならないものです」
いつか、私の友人がそういったことがある。そうかもしれない。
“今朝は部屋で、トースト、ボイルド・エッグ、トマト・ジュース。それにポットのコーヒーをたっぷりのんでから帰宅する。ここのホテル「山の上ホテル」はルーム・サーヴィスの朝食にしても念を入れてととのえてくれる。"
“夕飯は、焼豆腐の煮たのとワサビの茎と、鯛の刺身で冷酒一合半。
飯は、半分残した鯛の刺身で即席の鯛茶漬にする。鯛の漬汁は、卓上の酒、味の素、ワサビ、ミリンなどで、自分が適当にする。"
「迷走地図」を観る。深味はないが、野村監督のテムポ快調。それに久しぶりの勝新太郎の政治ボス。すばらしいマスクだ。演技もこの役なら破綻はない。

 


池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)


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黒澤明vs.ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて


数年をかけシナリオを完成させ、大規模なキャストオーディションを行ないクランクインしたもの
のわずか 3 週間で降板となった黒澤明。
「謎の降板」
とまで言われたこの事件を、残された資料や関係者からの聞き取りによって、丹念に追ったドキュ
メンタリーである。

山本五十六が真珠湾攻撃を成功させるまでの過程を通して、「美しい日本」の壊れゆく様を「悲劇
(トラジェティ)」として描くはずだった黒澤は結果としてみずからを壊して行くこととなる。
それは黒澤だけでなく、ダリル・F・ザナック、エルモ・ウィリアムスの両プロデューサー、二十世
紀 FOX いや日米映画産業そのものにとどめを刺すという、壮大な「悲劇」にも繋がっていく。

著者はフリージャーナリストで、若き日に黒澤明の「暴走機関車」や「虎虎虎」(「トラ・トラ・ト
ラ!」の原型となったシナリオ)の英訳を勤めた方。道理で詳細まで分かっているはずだ。

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「池波正太郎の銀座日記(全)


同じ歴史好き、歴史文学好きでも司馬遼太郎と池波正太郎とで二分されるという。司馬は「考証」に裏打ちされた、彼の「史観」が展開が面白いのだし、池波の場合は歴史を通して「人生」であったり、「男の生きざま」を描くのがテーマであった。

ただ、ここで間違えてはいけないのが、2人ともあくまでも「作家」であったことだ。「歴史」は自らのテーマを描くためのツールなのであって、「史実」や「考証」は決して重要なポイントではないことだ。だから坂本龍馬の生涯は「竜馬がゆく」であり、長谷川平蔵は実在したが、火付盗賊改方はさほど派手でも、忙しくもなかった。

このあたり、勘違いして
「司馬遼太郎も池波正太郎も歴史を知らない!」
などというあわて者がいるので、常に注意喚起しておかねばならない。

私の場合、両氏の作はまんべんなく好きだ。そもそも息子の名は司馬から一字いただいて「遼(はるか)」とした。池波の「鬼平犯科帳」「兼客商売」は老後のために読まずに置いてあるほどだ。両氏とも語ることは山ほどあるのだが、今回は池波正太郎について。

池波は劇作に始まり、作家、映画評論家そして美食家という多岐にわたる活動を行い、ひとつひとつが「珠玉」としか表現しようのないほど見事なものばかりである。

それら全てがエッセンスとして楽しめるのが

池波正太郎の銀座日記(全)
である。彼がこよなく愛した街、常に通い詰めた街 銀座での出来事記した日記をまとめたものだ。仕事、書物、映画、食などがごく短く、簡潔に記述される。

“フィリップ・ノワレが、パリのある警察署の刑事になって主演する。賄賂、ピンハネ、モミ消しなど、職権を利用した悪徳?を重ねながら生きて行く、こよ初老刑事の肥った躰からただようペーソスとユーモアが何ともいえぬ、よい味だった。"

じつにシンプル、さらりとした文章に魅せられてしまい。この調子でやられれば、少々のこと悪口を言われても許されてしまうだろう。

"「迷走地図」を観る。深味はないが、野村監督のテムポ快調。それに久しぶりの勝新太郎の政治ボス。すばらしいマスクだ。演技もこの役なら破綻はない。"

このように並べていくと、自分の文章が誰の影響を受けているのが判明してしまうが、始めてしまったものは仕方がない。

"私がロイド・ノーランを初めて観たのは、まだ少年のころで、ジェームズ・キャグニー主演の「Gメン」の端役に出ていたのを観て、子供ごころにも
(これは、きっと、いい役者になる)
と、おもった。果たして、彼はキング・ヴィダー監督の「テキサス決死隊」の仇で、一躍、名をあげたのだった……と、こんなことを書いてみても、ひとりよがりになるだけだろう。もう、やめよう。"

映画だけではない。
池波といった「食」を外しては片手どころか、両手両足を落としてしまったようなものだろう。

"「煉瓦亭」へ入り、ハイボール二杯、ポーク・カツレツに御飯。私には何といっても、この店のカツレツが、いちばんうまい。
とんかつだのカツレツだのはそれぞれにルーツがあって、
「それは、ぬきさしならないものです」
いつか、私の友人がそういったことがある。そうかもしれない。"

「ぬきさしならないもの」
などというフレーズがよく出てくるものだ。こういうところに、彼の才能と並々ならぬセンスを感じるのだ。

"夕飯は、焼豆腐の煮たのとワサビの茎と、鯛の刺身で冷酒一合半。
飯は、半分残した鯛の刺身で即席の鯛茶漬にする。鯛の漬汁は、卓上の酒、味の素、ワサビ、ミリンなどで、自分が適当にする。"

いかがであろう。
これこそまさに「かっこいい文章」といえる。聞くところによると、池波正太郎はとてつもなく気難しい方であったとのよし。さもあらん、自己を律し、人にも自分にも厳しく相対することが出来てこその「かっこよさ」であると思う。

あゝ、おれには永久に書けるわけがないなァ。

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須坂市「きくの」アジフライそして「海街diary」のこと


【お店のデータ】
きくの
場所 長野県須坂市須坂1453−11ぱるぱるストリート1F

この8月で、吉田秋生「海街diary」の連載が終了するという。正直なところ哀しい気分だ。四姉妹の行く道が見えてきて次のステージに、そのような展開になってきたので、そろそろ終わりかな、とは思っていたが、いざその時を迎えるとなると誠に残念でならない。

鎌倉に住む四姉妹が主人公である。長女 幸、次女 佳乃、三女 千佳そして四女で三人とは腹違いで生まれた すずを軸に物語は展開する。多くの登場人物と練り込まれたキャラクター造形、複雑に張られた伏線、娘たちの行く末がゆったりと、悠々ときめ細かく描かれていく。

様々な物語が紡がれるが、中でも四姉妹が金沢を訪れるエピソードが好きだ。父母が駆け落ちした先で生まれたという出自に後ろめたさを感じているすずが、実は多くの愛情を受けていた事に気づくという、涙なしではいられない挿話だ。

もう一つ、丁寧に描かれるのが様々な食べ物である。ちくわカレー、しらすトーストなどがエピソードごとに登場し、複雑な人物関係を一本に繋げるアイテムとして扱われる。中でも重要なものとして描かれるのがアジフライである。

海猫食堂の女将の死、長女次女そしてすずの恋を繋ぐ重要なアイテムである。以来、このメニューを見かけると注文してしまうのは、愁いを帯びた登場人物とは違って、単に軽薄なだけであるところが情けなくてならない。

という事で須坂のレジェンド、きくのにて

アジフライ定食」400円

テレビで取り上げられたくさんの人びとが押しかけ、とんでもなく有名になっても、一切ペースを変えないところは「海街diary」と共通するところかもしれない。

こちらの特徴はボリューム満点、品数豊富、一切手を抜かず、そして安いという事だ。メインに小鉢もの3、漬物、てんこ盛りご飯にみそ汁がついて400乃至500円とは、非常識という以外に何ものでもない。

まずは本日の小鉢もの。

キヌサヤの玉子とじ
なすの煮物
豚肉と白菜炒め
フキの煮物
どれも簡単なものだが、それだけに手抜きのできないものばかりだ。

そしてアジフライ。

大きなものがふたつ、そこに目玉焼きと千切りキャベツが装備された、本格的な一品である。

まこと、分厚く立派なアジフライである。ソースか醤油か、毎度悩むのだが、今回は迷いなく醤油を選択する。

「海街diary」は吉田の「ラヴァーズ・キス」とのクロスオーバー作である。この二作と、今後描かれるであろう作品とで「鎌倉三部作」とする構想であるという。それはそれで楽しみでならない。

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「憲法くん」松元ヒロのLIVEから


近所の書店が新装オープンした。
併設されていたレンタルDVD店が撤退し、その場所にカフェを設置、その他書店スペースも大きく改装を加えたとのことだ。カフェはともかく、新しい本屋と聞いて黙ってはいられない。

到着したのは、19:00少し前だったが、そこは新装オープンである。駐車場も店内もかなりな混雑である。以前と比較して、文具スペースを拡大し、店舗中央に配したのがよいと思う。書店側もほとんど面積は変わっていないのではないか。ほどよく広く、じつに気持ちよい。

ただ、気になったのは文庫本のカテゴライズである。この書店、今に始まったことではないが、あまりにも分かりづらくてならない。
ジャンル別兼著者別というまこと不可思議なもので、ある作品を探すのに、著者を探すでも出版社を見つけるでもなくジャンルを特定しなければならない。筒井康隆はSFで当然だが、小林信彦を推理小説にカテゴライズするのはアナクロだし乱暴な所業であると思う。

日常的に本に接していない人、特定ジャンルを好む人にとってはよいのかもしれないが、やはり使い勝手が悪いと思う。
当たり前だが、「カテゴライズ」とは物事をわかりやすくするための「手段」なのである。
しかし、その「手段」も使い方を誤ると、ことを複雑化させ、得体の知れない方向へと引きずり回すこととなる。

回りくどいし、面倒なのではっきり書いてしまおう。

人間を「右」「左」でカテゴライズすることほど意味のないことはない

この場合の「右」「左」とは政治的なスタンスを指す。すなわち「右」は「保守」を、「左」は「革新」を意味するという、あれである。

日本の場合の「右」「左」はかなりいびつで、他国とは違いすっきりわかりやすいものではないが、ここでは上記のように、あくまでも一般的なイメージを以って話を進めることとする。

私もどちらかというと、「左」方面の人間である。プロレタリアートの父を持ち、バリバリの革新都政の時代に育ち、戦後教育を受け、子どものころは「赤旗まつり」に毎年通い、赤旗(日曜版だが)を購読している。とはいえ、「資本論」は三行しか読んでいないし、「インターナショナル」も歌えないが、ある側面から見れば、私など完全な「アカ」となるであろう。

ところが、誠に残念なことに私は共産党に興味はあるが好きではない。むしろ率先して嫌いな方がといえる。彼らの「理想」はよい。戦争を嫌い、殺戮兵器を廃絶して行こうという主張には大いに賛同する。しかし、彼らの「迷走」とほぼ同義な歴史の前においては、はなはだ空疎なものとしか受け取れない。

自民党はもっと嫌いだ。
なにを今さら「政治改革」だ。お前らの悪業を忘れたとは言わせない。炭管疑獄、九頭竜川ダム事件、ロッキード事件、ダグラス・グラマン事件、リクルート事件、住銀事件、イトマン事件など数えきれないほどの汚職を行ったのは誰だ。
岸信介が満州で何をしたかを知らないわけがないだろう。多くの人々から財産を奪い、生活の基盤を失いせしめたことを忘れてはならない。かの国からの批判については、疑義または言われすぎもあるが、彼らをそこまで感情的にさせた経緯も理由も、まったくないわけではないのだ。
また、国民の税金を湯水のように使い、公共投資と称して山中の誰も使わない道路を作り、必要のない橋を作り、誰の益にもならないダムを作り続け、現在の財政破綻を招いたのは、間違いなく自民党の失政によるものだ。かような歴史があるに関わらず、今になってきれいごとを並べたてるものどもには、大きな声で「ちゃんちゃらおかしい」と言い放つべきなのだ。

ではどちらなのだ。
と、言われる向きもあろう。双方を罵倒できるほど、お前には高邁な主張があるのか。
この際だから、この場で宣言しておこう。

私は「右」でも「左」でもない。

その場その時の気持ちや状況により、どちらにでも振れうる、ということだ。
世間一般では「言行一致」が尊ばれるが、何も政治的なスタンスで全てを統一しなければならない法はない。誰しも絶対に変えてはならない、守らねばならないものを持っている。そして同時に、変わっていく勇気を持たねば、生きていくことすらままならない、人間とは、二者択一で割り切れるほど単純な動物ではないのだ。

先だって、お誘いをいただいてあるLIVEを観にいってきた。

松元ヒロ
という、ピン芸人のことは今回初めて知った。
井上ひさしに絶賛され、立川談志に支持されたという割にお茶の間に知られていないのは、その芸風にある。すなわち彼の持ちネタは「政治風刺」なのだ。
「もりかけ」をくさし、籠池夫妻を安倍首相と昭恵夫人を思い切りからかい倒す。時としてかなりキツい、ブラックな手法だが、それでいて最後はにやりとさせられるという、極めてハイブラウな芸であるのと同時に、誠に正しい意見の開陳であると考える。

誰にでも意見や思想…、とまではいかずとも考え方を持っている。生きてきた中での蓄積、あるいは培ってきたものは必ずあるだろう。そして、それらを語る権利もある。

韓国人を非難するも自由である。北朝鮮のミサイルは日本に向けて撃っていないとするのも自由だ。野党の女性政治家をからかおうと、株式会社ムサシの陰謀を暴こうと、選挙フェスで三宅洋平とともに大騒ぎしようとすべてが自由だ。マナーを守れば、強要さえしなければ、迷惑さえかけなければ、どこでどのような形式をとろうとも開陳することは出来るのだ。

しかし、「意見」である以上は対象に届かせることが義務づけられる。それが「批判」であればなおさらだ。この精神がないものは「意見」ではなく、単に無責任な「言いっ放し」にすぎない。松元氏がハイブラウだというのは、正にこの点にある。たとえ嫌なこと、耳の痛いこと、あるいは腹の立つことであっても彼のユーモアの前では、微笑まざるを得ないだろう。苦笑するものもいるだろう。これが松元ヒロの本領である。そこいらにいる「ネット右翼」「ネット左翼」のヘイトスピーカーどもは、一度でも彼の芸を観るべきだ。

松元氏の十八番に、「憲法くん」がある。

「日本国憲法」を擬人化した彼が、憲法の精神と現状を語る、という一人芝居である。
このようなネタである以上、明らかな「護憲派」であるが、彼の主張はひと味違う。護憲・改憲の別なく、日本国憲法といえばまず9条を前提にしがちだが、その前にまず考えるべきことがあるだろう、という。

前文と百三の条文で構成された日本国憲法は、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「平和主義」
の三点を理想として掲げている。

憲法とはそもそも何か。
憲法とは、国の力を制限するための、国民から国への命令書である。国民と国との関係を対等にするためのものである。国を治めるものたちが、自分勝手なことをしないように、歯止めをかけるものなのだ。

しかし、今この現状を変えようという動きがある。96条改正規定がある以上、動きそのものは悪いことではない。しかし、なぜ変えなければならないのか。
「今の憲法は現実にあわない」
からだという。
先の大戦で国土を焼かれ、家族を、友が死に、家や仕事、生活の基盤を奪われ、すべてを失ったのではないか。こんなに恐ろしく悲しいことが二度とあってはならない、という思いから生まれた「理想」だったのではないか。理想と現実が違っていたら、現実を理想に近づけるよう努力するものではないのか。
この国は、この憲法は戦後70年間、たった一度も、戦争という名前のついたおこないで、人を殺したことも、人に殺されたこともない。そのことは、誇りに思うべきであろう。

文章にすると、極めて硬いものとなってしまうが、LIVEでは松元氏の笑顔とユーモラスな語り口で、穏やかに、心の奥底まで染み込んでくる。

打ちのめされた。
あらかじめ言っておくが、私は「改憲派」すなわち、憲法を変えるべきと思っている。この70年間、戦争がなかったのは地勢的、あるいは政治的な状況によるためで「日本国憲法」が作用したからではない。そして現状では、家族を守ることすらできない。そのような想いから発したものだ。わが身のことだけを心配すればよい、という立場ではない以上、これは貫くべきことであるとも考えている。

しかし、打ちのめされてしまったのだ。

それだけでよいのか。
果たして、単純に変えるだけでよいのか。9条を改正し、自衛隊を軍隊とすればそれでよいのか。かの国に押し入り、蹂躙しつくせば事足りるのか。

いや、
仮に、それで事足りるのだ、すべてがきれいに片づくのだ。としてみよう。

では、あなたに人が殺せるのか。
あなたでなくとも、子どもたちに、友人たちに、さぁ行ってこい殺してこいと言えるのか。見知ったものでなくともよい。軍人たちに、これがお前たちの仕事だ。武器を持て闘え、焼き払ってこい。そのように言えるのか。

私には出来ない。
腰抜けと言われようと、論理的思考が出来ないと謗られようと出来ないものは出来ない。いや、そんな冷徹なことを出来るものがどこにいるのか。

抑止力を理解していない、と批判されるかもしれない。極論とも言われるかもしれないが、軍隊を持つということは、反面そのようなジレンマを持つということでもある。少なくとも、ある程度以上の「覚悟」を持つ必要があるのだ。

最後に「憲法くん」はいう。

でも、わたしをどうするかは、みなさんが決めることです。
わたしは、みなさんのわたし、なんですから。
わたしをみなさんに託しましたよ。

単純に変える、変えない、という議論ではない。「右」「左」でもない、もっと深く、本質的な部分をじっくりと考えていく時がきたと、つくづく感じている。


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赤いダイヤ


梶山季之という作家がいた。

昭和30年代から40年代にかけての流行作家で「黒の試走車」「赤いダイヤ」など産業スパイや経済小説の分野で活躍した方である。1975年に亡くなっているので、さすがのぼくでもリアルタイムの彼を知る由も無い。

 

ある時
何気なしに手に取った「赤いダイヤ」が滅法面白かったのである。昭和30年代初頭の相場師たちの物語。時代背景が違いすぎるので、飲み込めない部分もあるが、小豆相場を巡って虚々実々の駆け引きが面白すぎる。藤田まこと主演で映画化もされている、ということはずいぶん後になって知ったことだ。

 

その続編で「てやんでぇ」という作品がある。あまり取り沙汰されないので、完成度は高くないのかもしれない。よく覚えていないのだが、一箇所のみ鮮明に記憶する部分があった。

 

この作品で主人公に敵対するキャラクターが親日家のアメリカ人。数奇屋造りの家に住み、五右衛門風呂を好み、食事はカマドで炊いた米のメシ以外は食べないという設定なのだ。

 

「炊きたての飯を大きな丼によそい、アツアツの中に半ポンドほどのバターを埋める。幾分溶けてきたとろに醤油をかけ回して食べる」

 

などという描写が登場する。
率直なところ、当時は

なんじゃそれ?

と思ったものだ。現在でこそ、乳製品をおかずにご飯は普通のことであるが、50年代半ば当時はまだ「ゲテモノ扱い」であったと思う。母親に聞いたら同様の反応をしたし、梶山もそのような描写であったようにおもう。

人間の好み・感覚なんてすぐに変化するものだとつくづく感じる。あゝバター醤油ご飯を食べたくなってきた。

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【中古】 赤いダイヤ(上) 集英社文庫/梶山季之(著者) 【中古】afb

MW 巨匠の異色作とその勇気ある映像化作品について


原作は手塚治虫の異色作。同性愛、猟奇殺人と彼にはあり得ないモチーフを描いたものだ。…であるからかどうかは定かではないが、決して成功作とはいえない、どこか所在なさげな風のある作品でもある。それまでのステロタイプをほぼ捨て去り(おなじみはヒゲオヤジのみ)、間久部緑郎以上のクールで残虐なキャラクターを設定したりと、「新しい人物造形」と「ストーリーデリング」がテーマだったのかもしれないが、主人公が感情移入しづらいのと、前半のもたつきが致命的である。米軍基地に忍び込むあたりからのたたみ込みはさすがだし、ぞっとするラストはさすがだ。じつは、そんなアンバランスなところが、気に入ってもいる。

その「MW」の実写化された。という話は聞いていたが、まったく期待していなかった。ただでさえ成功していない原作を、どのように映像化するというのだ。

そんな扱いの作品を観てみようと思ったのは、「怖いもの見たさ」にDVDが50円でレンタル出来たからに他ならない。そして予想通りに、いや予想以上にダメダメなことが確認されたのが楽しくてならない。

冒頭、あれだけ周到なくせになぜあれほどのピンチに陥るのか。というか、「フレンチ・コネクション」のオマージュとしたい様だが、あれは単なる物真似というのだよ。
そもそも登場人物がおかしい。主人公がバカなら、新聞記者はアホで刑事はマヌケ、在日米軍に至っては低能無能集団。そしてなにより、あれだけやってアイツをなぜ倒さない。いや、バカだから倒せないんだよな?

という事で、楽しくも盛大な脱力状態でこれを書いている。嗚呼、

 

久しぶりの衝撃 「戦前の少年犯罪」について②


本当か?
というのが疑問だったそうだ。そもそも、教育勅語なんてじつに当たり前のことを言っているに過ぎない。親を大切に兄弟仲良く、師を敬い友を大切に。などということをわざわざ天皇が語らねばならなかったのか?なぜ修身なる授業を行わなければならなかったのか?それはじつにカンタンなことだ。必要だったからである。当たり前のことを教え込まなければならないほど、殺伐とした時代だったからなのだ。

子供を厳しく躾ける、という習慣は西洋や中国のもので、日本は江戸時代から子供は自由にのびのび育てるのが伝統だったという。山鹿素行も、子供は厳しく接すると心がねじけて親に隠れて悪いことをするようになるし、親を恨んだりして関係がよろしくないなどと堂々と語っているという。

こどもはどんどん甘やかしなさい。欧米では教師が生徒を鞭打つのは当たり前だった明治12年に、世界に先駆けて日本の学校は教育令で体罰を禁止した。これは日本が進んでいたからではなく、こういう日本独自の伝統を大事にしたからにほかならない。

圧巻は二・二六事件は巷間語られているような高邁な思想性などない。と看破したくだりである。陸軍幼年学校・士官学校・陸軍大学で純正培養(甘やか)されたニートどもが、どうせ許してくれるさ。と軽く考えて起こした事件に過ぎない。と著者は結論づける。

なにを主張してもかまわないけど、ウソはいけない。と著者は言う。まったくその通りだ。
う~む、オレ日本人観が変わったかもしれない。率直なところ、司馬遼太郎より鮮やかかもしれない。日本史の中のいろいろな疑問点が、いくつか氷解した。そんな気がしてならない。

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久しぶりの衝撃 「戦前の少年犯罪」について①


このところ老眼がひどくなりめっきり読書量が減ってしまい、まことに面白くない日を送っている。とはいえ、何もしないのはもっと面白くない事なので、無理しない程度にパラパラめくっている。するとたまぁにスゴい書と出くわすことがあるのだ。そんな瞬間が尋常でないほど嬉しく感じ入る今日この頃である。
…いったいナンのこっちゃ?ってな感じではあるのだが、今回、本当にすごいのと出会い、ちょっとした衝撃に見舞われている気がしている。
 

 
菅賀江留郎『戦前の少年犯罪』
タイトルも装幀も誠に素っ気ない本だが、中身はとてつもなく重厚。タイトル通り、戦前(昭和の初めから昭和20年8月15日まで)にどのような少年犯罪が起こったか?ということを新聞記事を基に徹底的に調べ上げた書である。

昭和10年 東京都中野区で15歳女子が幼女を誘拐殺人
昭和14年 大阪府大阪市で18歳無職の少年が親戚の女性2人を殺害して自殺
昭和12年 東京市神田区で16歳少年が勤務先主人の一家全員を皆殺し
昭和2年 香川県で17歳僧侶が近所の9歳になる幼女をレイプした後に殺害
昭和7年 小学校高等科1年(12~13歳)男子が教室で同級生を刺殺
昭和3年 静岡県熱海町で中学三年(17歳)男子が父親の銃を持ち出しで女子小学生を誤射

ほんの少し書き出しただけだが、殺伐とした気分にさらされる。こんな記事がほぼ毎日紙面に載る、「戦前」はとんでもない時代だった、と結論づけられる。
なにゆえ著者はこのようなことを調べ始めたのかというと、近年多発する猟奇的な少年犯罪を憂えるオッサンオバサンどもの意見に違和感を覚えたから、だという。

曰く『昔はこんなことはなかった』
曰く『昔はイジメなんかなかった』
曰く『戦前は清らかな素晴らしい時代だった』

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「あ・うん」あるいは未完のうらめしさ


本好き物語好きにとって、もっともイヤなことは出会ってお気に召した作品が「未完」であることだ。
 
夢中になって寝食忘れて読みふけり浸りきったところで「著者死亡により未完」の文字をつきつけられることこそ、面白くないことはない。
 
「日本沈没」はよいだろう。納得してはいないが。とはいえ「虚無回廊」はどうした?HEの運命は?SSはどうなっていくのか?小松先生、あんた死ぬのが10年早すぎたよ。
 
それだけではない。
手塚治虫先生。「ネオ・ファウスト」はまぁよしとしよう。しかし「ルードウィヒ・B」はどうしてくれる?プロローグが済んで、さぁ次回からストーリーが転がって行くぞ!というところで終わってしまっているではないか。

井上ひさし「一週間」はいちおう終わったカタチにはなっているが、著者の中では絶対に終わっていない。スターリンの謎の手紙や関東軍棄民事件など、問題提起が済んだ状態である、というだけだ。

いやまぁ中里介山「大菩薩峠」とか「カラマーゾフの兄弟」なんて作品を口にする人もいるが、こちらは手にとってすらいないから気にはならない。とはいえ恨めしい気持ちはよく理解できる。

誠に口惜しくてならないが、この世からいなくなってしまった人にとやかく言えるわけもないから、あちらに行ったらせいぜいクレームを言ってやろうと考えている。
 
 
そんなことを考えるいる中、観なければよかったものを観てしまった。
 

「あ・うん」
「続あ・うん」
原作・脚本 向田邦子
 

1980年から81年にかけてNHKで放送されたドラマ。昭和10年代の東京山の手を舞台に大人の恋と友情をほのかに描いた作品である。

水田(フランキー堺)と門倉(杉浦直樹)は徴兵された陸軍で出会った「寝台戦友」で除隊後20年も経過した今もなお親友として交流がある。
門倉がほのかに想いをよせる水田の妻たみ(吉村実子)、そうと知りながら気づかぬふりをする水田。
 
ラブシーンがあるわけでなし、濡れ場など考えられもしないが、大人たちの恋がほのかにささやかに語られていく。 
 
フランキー堺、杉浦直樹、吉村実子、岸本加世子、岸田今日子、殿山泰司など名優たちの演技がまた素晴らしい。とくにスゴいのが志村喬。子どものころはぶっといクチビルのじじいにしか見えなかったものだが、眼力といい存在感といい、さすが「世界の名優」と冠せられただけはある。
 
そして
何よりも悔しいのが、この作品は向田邦子がさと子(岸本加世子)の来し方を描こうとしていたこと。戦中、戦後と次第に苛烈になっていく時代に翻弄される家族が語られていくはずだったのが、向田の突然の死によって途絶えてしまったこと。どんなに待とうと絶対に観ることができない!
 
ゔぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!考えるだけで身悶えしてしまう!!!
ゔぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!観なきゃよかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
 
なんてことを、つらつら考える日が続いている。

ばあちゃんと清張さんと敦クン


5年ほど前のことになるが、秋田旅行に行く機会があった。
秋田県仙北市角館町の周辺を数日かけて、母方の祖母の出身地を巡る。そういった趣旨の旅だった。私自身30数年ぶりの訪門で、祖母の事や、母の幼少期の話を聞くことが出来て、じつに有意義な旅行であった。

2日目の朝、食事前の散歩ということで一人町を散策。
一回りの後角館駅の路線図を眺めていたら〈羽後〇〇〉という地名に出くわした。ああ、ここは〈羽後亀田〉の近くなのだ。
〈羽後亀田〉松本清張の代表作『砂の器』に登場する地なのである。主人公・今西刑事が真実へ至る長い旅の端緒となる場所なのだ。伏線がいくつか張られるだけで、ストーリー上は大して重要性のない場所であったか記憶する。

『砂の器』は何度も読み返した書だが、歳を重ねれば重ねるほど切ない気持ちにさせられる。
国電蒲田駅操車場で殺された男は、…かつて警察官であり、宮沢賢治の「アメニモマケズ」を地で行くような、誠実で実直な男を追ううちに、彼と彼を殺害した犯人の間にある、どうにもならない「宿命」に直面していく。
何度も映像化されていてご存知かもしれないが、推理小説なのでこれ以上は語らない。しかし、人の心の奥底に必ずある「差別」を描き切り、ある種の人間賛歌までに昇華させた作品であると確信する。

これを書くのにウィキペディアを調べていたら、松本清張と同年(明治42年)生まれの作家に中島敦がいた。
中島敦といえば、『李陵』『山月記』など、漢籍を主題にした名作をいくつも執筆した作家である。昭和17年33歳で没。特に後者は高校の現国の教科書に必ずといってよいほど掲載されている作品である。…今はどうか知らないが。

人食い虎と化した主人公が、わが身の変わり様を嘆いて吟ずる漢詩は、大変な素晴らしさ!…なんてことはなく、とてつもなく退屈で、読書量だけは人に負けないと自負する身でも最後まで読み切るのに、途方もない努力を要する作品なのである。読み切るだけの教養がない。ということもあるが。

なんで、こんなことを書いているかというと、先にあげた祖母は明治43年生まれ。松本清張、中島敦とまったく同時代を生きた人であった、ということに気づかされたからだ。清張はともかく、中島敦など歴史上の人物としか認識していなかったのだ。
ばあちゃんと清張さんと敦クン。明治って案外、近いところにあったのだ。どこか親しみがわいてきた。再読してみようか、とも思っている。とはいえ『山月記』にはついていけないだろうな。

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ピーター・ボグダノヴィッチ『インタビュー ジョン・フォード』


『インタビュー ジョン・フォード』
ピーター・ボグダノヴィッチ著、高橋千尋訳、文遊社 (2011/10/1)

映画評論家・映画監督のピーター・ボグダノヴィッチが、名匠ジョン・フォードへ1964年に行ったロングインタビューをまとめた書である。
元はと言えば1978年に翻訳出版されたもので、35年を経て再出版された。前回、版権の関係で掲載できなかった図版が完全収録されている。ジョン・フォード研究の決定版的な一冊といえよう。これは素晴らしい。

じつは、とても懐かしい本なのだ。

もっとも映画にはまり込んでいた時代。…中学校時代のことだが、『静かなる男』がこの世で一番スバらしい映画だと思っていた時代、俳優ジョン・ウェインと監督ジョン・フォードが、この世で一番すごい映画人であったと信じていたころのこと(変なガキだが、想いは30年経過した現在でも変わらない)。この本の存在を知って読みたくて、欲しくてたまらなかったのだ。和田誠の装丁が美しい本だったのだが、定価が2000円。中学生のお小遣いで買える訳もなく、図書館蔵書にもない。悔しくて、ほぞを噛みながらいたところ早稲田の古書店で見つけ、いったいどうしたものかと半泣きでいたところ、たまたま親戚の叔母からお小遣いもらえたのでようやく買えた本。隅から隅まで、なめるようにして読んだのを覚えている。

頭の柔らかい時代に出会ったものだから、とにかくよく覚えている。
ピーター・ボグダノヴィッチからのなぜ、映画監督になったか?という質問に
『ハングリー』
なんて、答えるところなど涙が出てきた。
大量の図版と写真も収録されている。とんでもなく読み応えがある。こういう本を読むと実物が観たくなって困るのだ

何気なくYouTubeを検索してみたら、あるではないか。ジョン・フォードの初期作品〈Dr.Bull〉なんてのが実在するのだ。なんか嬉しくなってしまった。観てみたいのだが、だれかスーパーをつけてはくれないだろうか。