【読書days】ヘルマン・ヘッセ「さようなら世界夫人よ」


ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の詩に「さようなら世界夫人よ」という作品がある。この詩が紡がれたのは1944年4月23日、ヘッセ67歳の作品である。
この、一風変わった詩を読み込んでいくと、当時のドイツの状況と、ヘッセの苦悩が浮かび上がってくる。

1940年にフランスを陥落させたナチスドイツは、翌41年にはギリシャ占領、バルカン半島を制圧。ソ連への侵攻開始し、破竹の進撃を見せる。

ヒトラーは当初、
「対ソ戦は5か月で終わる」
と豪語したが、冬将軍の到来とともにソ連軍の大攻勢が起こり後退を余儀なくされる。そして43年7月の「クルスクの戦い」において、攻守が逆転、ドイツ軍の潰走が始まる。

1944年3月ベラルーシで大敗を喫し、ドイツ中央軍集団は回復不可能なほどの打撃を受け、6月にはノルマンディ上陸作戦により、連合国軍のヨーロッパ上陸を許す。7月にはヒトラー暗殺未遂事件が起こり、8月にはパリが奪還される。すなわち、1944年とはドイツの終わりが完全に見えた年だといえる。

この詩は、ドイツに産まれ、ドイツに生き、ドイツにこだわったヘッセが、断末魔の叫びをあげる「古きよきドイツ」に向けた惜別の唄なのだ。

世界はこなごなに砕けている

私たちが大好きだった女性だ

けれども今は彼女が死んでも

私たちはもうあまり驚かない

「女性」とは言うまでもなく、「ドイツ」のことである。かつての栄華はなく、この国がいつ亡くなってもしまっても、おかしくはないだろう。

彼女を悪く言わないでおこう

あんなにも華やいで奔放な女性だ

今も変わらず彼女のまわりには

大昔からの魔法が漂っている

ヨーロッパを蹂躙し、ユダヤ人を虐殺し、世界中から忌み嫌われたドイツは、自らを生み、育んだ愛おしき故郷でもある。そんな存在を、悪く言えようはずもない。

彼女の壮麗なたわむれから

私たちは感謝して別れよう

彼女は多くの喜びと苦しみと

多くの愛をくれたのだから

「古きよきドイツ」に心の底からありがとうを言おう。私のすべてを与えてくれたドイツに別れを告げよう。

さようなら、世界という女性よ

また若々しくお洒落するがいい

私たちはおまえの幸福に飽き

おまえの嘆きに飽いたのだ

ヘッセ最後の詩集となった「階段」に所収されている一編である。終わりの哀しさと、始まりの希望とを淡々と描いたこの詩は、彼の葬儀の際に朗読されたという。


ヘルマン・ヘッセ全集 (16) 全詩集

[テキスト:ヘルマン・ヘッセ全集16 タイトルは「さようなら、世界という女性よ」]

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