長野市の城【栗田城】


この史跡はJR長野駅から徒歩で20分ほどの、住宅街のただ中にある。
記録では南北朝の時代あたりから関が原直前くらいまで、この地を統治した栗田氏の居館があったとのことだ。現在は水内総社 日吉大神宮という神社になっている。



栗田氏とは信濃村上氏の流れだという。
信濃村上氏とは河内源氏が信州に定着した末裔で、武田や川中島の合戦マニアの方々には村上義清という名前を御存じかもしれない。あの武将が「出来ない人物」であればもう少し歴史が変わっていたのかもしれない。……川中島の合戦があろうがなかろうが、歴史的にさしたる影響はない、という意地悪な意見は別としてだが。



この栗田氏だが、11世紀ごろ顕光寺(戸隠神社)の別当になり、そして

“鎌倉時代から室町時代までは善光寺(園城寺系寺門派)別当職をも世襲し、犬猿の関係にあった筈の両社を支配下に置く有力国人となる”Wikipedia

ということだ。当時北信地域一帯を統治した一族であったともいわれている。
川中島の合戦では武田方(善光寺・里栗田)と上杉方(戸隠・山栗田)に分裂。今川義元の仲介で和睦した後、栗田氏は善光寺本尊を持ち出し、甲斐善光寺へ移った。地味だが、面白いポジションにある一族であると思う。
こういうことがあるから郷土史が面白くてならない。



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