S先生の話③


S先生のある時の言葉も、その衝撃度から忘れることができない。
安藤忠雄に関する講義での一節と記憶している。



デザインは記憶である

そもそもデザインとはどのような行為であるのか。表現することは人にとってどのような意味があるのか?
例えば文学表現。コミュニケーションのためだけの伝達手段さえあればよいのだから、苦労して美辞麗句を紡ぐことは必要はない。
例えば絵画。伝達手段だけであれば、単純な記号があればよい。
われわれが学んでいる建築も同じことだ。屋根と壁がキチンとあり、雨風を防ぐことができればなんらの問題はない。言わば「無駄」なことにすべてをかけつつあるのだ。
ではなぜ、われわれは苦労して手間ひまかけてデザインを志すのか。それは

I am here
I was here

私はここにいる。ここにいた。私の事跡を忘れるな。私の気持ちを忘れるな。他ならぬ私という人間のいたことを忘れるな。
だから、人間は他者と違うことを目指すのだ。ゆえに

デザインとは生身の人間に備えられた記録媒体である

こういう授業だからやめられないとまらない。


「形状は記憶である」
「デザインとは生身の人間に備えられた記録媒体である」

という言葉に衝撃と感銘を受けながらも、実際に腑に落ちたのはずいぶん時間が経過してからだ。結婚して子どもが生まれ、家庭として格好がついた頃からであると思う。家内はともかく、絶対的な弱者である子どもたちを前にしたとき。あどけない表情を浮かべまとわりつく子どもたちを抱いたとき、この子たちをどのように守り、何を残してやれるのか。と真剣に考えたものだ。
……とかなんとか、カッコつけてはいるものの辛うじて扶養しているだけなのが我ながら情けない。


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