「夏の嵐」あるいは駆け落ちについて①


人間いろいろな体験をしておくモノだ。
と、つくづく思う今日この頃である。それも出来るだけ若いうちになんでもいぇっとくものだ。二十代と四十代では自ずとできることが限られるし、五十ともなれば、家族・仕事、あれこれとしがらみだらけで、どうにもこうにもなるものではない。
では、何をやっておきたかったか?
学生運動をやってみたかった。赤ヘルと垢じみた埃だらけのジーパンはいてデモに参加してみたかった。海外無賃旅行もやっておけばよかったとつくづく思う。そこまで行かずとも、青年海外協力隊などというものには現在の感性であれば、喜んで参加してしまうであろう。そんなことはともかく、いま現在、本当にやりたかったものをと考えてみた。それはやはり
 
駆け落ちをしてみたかった。
 
よい歳をしてばかげたことを。とおっしゃる向きはたくさんあるだろうが、悲恋・駆け落ちという言葉は響きがよいではないか。様々な障壁を跳ね除け、手に手を取り合っていざ!二人の世界へ!始めて迎えた朝に
『もういってしまうの まだ朝にはならないわ
啼いているのはナイチンゲール(夜の鳥)。ひばりではないわ
あなたの臆病な耳をつらぬく声の主は
ああやって夜通しざくろの木で啼いてるの
わかって!あなた!あれはナイチンゲールの声よ!』
なんて、あの娘に言わせてみたいじゃないですか!
ああああ!ジュリエットぉぉぉぉぉぉぉぉ!
…………いささか取り乱してしまい、誠に失礼をした。まったく、五十すぎてなにをやっているのか。
 


そんなこんなで、ついぞそんな機会にも、いや相手にも恵まれなかったのだが、友人に、それもごく近い友人に一人、実際にやったものがいる。
 
駆け落ちしたヤツが


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