「ストーカー(1979)」あるいは〈難解〉との再会について③


30年ぶり、という事になる。
成長は腹まわりばかりで中身はまったく、という状態ではあるが、所帯をもち子どもができそれなりに年齢を重ねた身としては、どのように受け取れるものなのか。
率直なところ、難解である事に変わりはなかった。ただ、感覚的に「分かる」ところはある。つまるところ3人は、ソビエト社会のメタファーなのだ。

いちおう、蓮實重彦世代であるゆえ、「メタファー」なる言葉をあまり簡単に使いたくはないのだが。あまりに便利、あまりに使い勝手よくそれっぽい風に演出することが出来るため、一時は多用されたものだ。だから、何を今さらという感が否めないのだがこの際使ってしまおう。

シンプルに読んでよいのだ。
当時のソビエト抑圧体制と対峙する人々の姿なのだ。体制に迎合するもの、批判・抵抗するもの、なんのかんの言いながら端こく上手く立ち回るもの。様々な生き方をする者どもを、ストーカー、作家、教授として描いたものなのだ。
これがタルコフスキーとの出会いでもあった。以来「好きな作家」となった。
…というと語弊がありすぎる。「興味のある作家」と言い換えよう。

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です