地下鉄サリン事件


若いころ、横浜で仕事をしていたことがある。ある大きな会社へ出向、…というと聞こえはよいが、要は下請けとしてそこに常駐していただけだが。

そこの社員の手となり足となり、図面描いたり打ち合わせしたりという事をやっていた。90年代半ばの時期で、それなりに面白いエピソードがあるのだが、ここの話題は別のものだ。

Sさんという先輩がいた。
ひと回りまではいかない、たぶん6〜7歳くらい上の方であった。違うチームで、仕事でご一緒したことはなかったが、席が近かったこともあり、いろいろと教えてもらったりと、可愛がってもらっていた。

バブルの絶頂を越えた。
そんな気分はあったものの、まだまだ仕事もあり、忙しい時代だった。連日残業に次ぐ残業で、自宅と職場を往復するだけの日々だった。
…といって、過労死するほど熱を込めて作業するほど過密だったわけではない。週2回程度は、居酒屋で大騒ぎするくらいの余裕はあったのだから大したことはない。

その飲み会の席で、一度Sさんとじっくり語り合ったことがある。
仕事のこと、建築のこと、それまでの経歴のこと様々な話をきかせてくれたのだが、いざ家族のこととなると、トーンが変わってくる。

Sさんと彼の奥さまは高校時代に知り合い、大恋愛の末結婚したのだという。その一連のノロケは決して楽しいものではないが、そこは目上の方の話であり、うまくすればこの場の支払いにも影響することにもなるので、じっくりと「大恋愛」話を聞いていた。

ひと通り話を伺ったところで、
「とはいえ、義理の兄には頭が上がらない」
といった。なんでも、いざ結婚話しとなった際に、奥さまのご両親が難色を示したのだという。どんな事情かまでは聞かなかったが、ずいぶん苦慮の日を送っていたが、最終的に奥さまのお兄さんがご両親を説得してくださり、結婚に至れたとのことだ。
「おれが今あるのは、あの兄貴いてこそだから」
という、Sさんの瞳はどことなく潤んでいたような気がした。


あるときの、ごく普通の朝のこと。
みなが席につき、挨拶をすませいざ打ち合わせを始めようか、というタイミングで電話がかかってきた。Sさん宛ての電話だった。

電話をとり、少し話をきいた刹那、Sさんの顔色が変わり
「義兄が事故に巻き込まれたみたいなんで」
と外へと飛び出していった。

あとでお聞きしたことだが、お兄さんが日比谷線で被災したのだという。幸いにして、大した被害にも合わず、Sさんもその日のうちに再出社出来た。


これが唯一、身近で接した「地下鉄サリン事件」である。こと無きを得られてよかった。無論、当事者からすれば大事件だが、亡くなったわけでも、重篤な後遺症を残したというわけではない。

昨日、麻原彰晃以下オウム真理教の元幹部7人の死刑が執行されたという。事件の総括や、死刑論の是非など様々な議論があろうが、ここでは語らない。ただ、あの時のSさんの顔色、蒼白を通り越して土気色であった、異様な表情を忘れることができない。


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