【映画days #6】SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬


議論酒の会と安藤忠雄

もう、30年近く昔のこととなってしまったが、ある友人と議論酒の会、というのをやっていたことがある。なに、安い居酒屋であーでもないこーでもないと、喋り倒すだけのことであったが。
読書のこと、映画のこと。食べ物のこと、女のこと、将来のこと。両名ともに建築屋だったので、そちら方面の話題が多かったかもしれないが、多岐に渡る内容を、なんとなくだらだら話すという、アバウトで楽しいひと時であった。
その席で、ちょいちょいと話題に上っていたのが安藤忠雄のことである。



当時、バブルの波に乗って仕事が質も量も飛躍的に増加、安藤も「若手」から「大家」の入り口に立った、という時代であった。
「六甲の教会」「六甲の集合住宅 I・II」「TIME’s Ⅰ・Ⅱ」など刺激的な作品群を、次々に発表しつつある時期で、安藤はいったいどこへ向かっているのか、とみなが注目していたものだ。





ただ、発表数が多いということは、その分クライアントがいる。ということでもある。われわれ(だけではないが)からしてみれば、そこが不思議でならなかった。

特殊な建築

安藤建築に接したことのある方なら理解してもらえるかもしれないが、彼のデザインほど特殊で使い勝手の悪いものはない。「住吉の長屋」など、屋根のない中庭を通らないと、隣の部屋に行けないのだ。かっこいいが長すぎる動線。どうみても、コストの抑制がきかないデザイン。そもそも内部の温熱環境は最悪だ。
そもそも建築というジャンルは、クリエイターだけでは成立しないものである。考えるもの、図を描くもの、作るもの、使うもの、そしてお金を出すもの。多種多様な人々の意見や立場、思惑によって出来上がるものである。無論、お金を出すひとが最も影響力が大きいのだが、いずれにせよ、「妥協」や「諦念」といった、あまりアーティストらしからぬ概念によって、すべてが決せられる事と成り果てるのは、致し方のないことである。
安藤でも、それはまったく同じであることは、想像に難くない。当初のスケッチ通りに出来上がることはあり得ないだろうし、ようやく図面描き上げてさぁ工事だ。というところで頓挫する、なんてことは日常茶飯であろう。

「徳」

とはいえ、なぜ彼はあれほどブッとんだ事が出来るのか。技倆がすごい、マスコミへの対応が素晴らしい、いやいや安藤の売り込み・営業力ってすごいらしいぞ。様々な要素があるのだろうが、友人の言ったひとことが今でも忘れられない。
「それは安藤自身の『徳』によるものではないか」
「徳」とはすなわち
天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。

Wikipediaより
と解説しようとすると、逆に分かりづらくなるが、要はその人の持つ包容力であったり、信頼感だったりと他の人が受け入れやすいものをたくさん持っているからだ。
「安藤さんに任せておけば間違いない」
という、名状しがたい、説明もしがたい何かを持っているのであろう。だからこそ、あのような活動が出来るのだ。
二十歳代半ばの、自分も仕事も人生もよく理解していない(今でもしていないが)小僧の話なので、あまり格好はつかないが、なかなか稔りのある一晩であったと、今でも忘れられずにいる。

「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」

という映画を観てきた。
カメラマン 鋤田正義を追いかけたドキュメンタリーである。主に「人物」を対象にしたコマーシャリズムの世界で活動されている方である。特に有名なのが、ロックアーティストとの競演だ。
鋤田氏の名前だけは知っていたが、まさかこれほどとは。サディスティック・ミカ・バンド、イエロー・マジック・オーケストラ、忌野清志郎、イギー・ポップ、シーナ&ロケッツなど、あの写真も知って、これも知っていると驚くばかりである。「SOLID STATE SURVIVOR」のジャケット写真も彼の作品だったのだ。

マーク・ボラン&デヴィッド・ボウイ

そして、特筆されるべきはマーク・ボランとデヴィッド・ボウイであろう。





被写体とカメラマンの関係性というのはよくわからない。カメラマンはどこまでコントロールできるのかもよくわからないが、あの引き出し方は尋常ではない。
楽しく気持ちよく歌うのが仕事とはいえ、あそこまで髪の毛振り乱してギターを弾くマーク・ボランも珍しいのではないか。
いくらデヴィッド・ボウイが変人だからといって、何もない状態で、あれほど変なポーズはしないだろう。

SUKITAだけの徳

ただ単に写真を撮影する、ということであれば簡単なことだ。デジカメひとつ、携帯ひとつあればよい。構図や露出など、ある程度の知識やスキルがあれば、それなりに魅力的な撮影も可能だ。まして、デジタルの時代である。
しかし、あの表情、テイストを切り取ることは、彼以外に出来ない。ろくに英語も話すこともできない、ぱっと見には、ただのおっちゃんでしかないのになぜ、と思わされるのだ。
詰まるところ、安藤忠雄と同じく、これも彼の「徳」によるものではないか、と思うのだ。
「鋤田だから安心できる」
「鋤田だから素のままでいられる」
「鋤田だから…」
ことさら取り立てて理由もない、彼の醸成する「徳」が成せることなのだろう。

誠に羨ましい限りである。
と、「徳」のない者はひとり嘆くより他にはない。
鋤田正義、御歳80
まだまだ現役で、頑張っていってもらいたい。

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