長野市「くのいち」権堂、コスタリカ、そして「餃子の恩返しプロジェクト」


【お店のデータ】
くのいち
場所 長野県長野市鶴賀田町2243 [地図はこちら
電話 不明
駐車場 なし(近隣に有料駐車場あり)
URL http://ramen9-1.info

ドキュメンタリー映画

権堂ロキシーにて映画を観て来た。
「コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方」

というドキュメンタリーだ。中米に位置するコスタリカは近隣諸国と比較して、経済的、治安的に安定し国民の教育も高い「豊かな国」として知られている。なぜならば、かの国は伝統的に軍隊を持たず、非武装中立を貫いているからで、軍事費などを社会インフラに使えるので、非常によい状態を維持できている。そんな、理想的ともいえる状況がいかに成立したか、どのような現実と直面したかを描いた力作であった。詳細は下記をご参照いただきたい。
【映画days #11】コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~

夕食

さて、終わってしまえば夕食である。何を食べるか。21:00を回っているので、開店しているところは飲み屋ばかりだ。どうせ自動車なのだ、ほかに回るかとも考えたが、この時間だ。どこへ行っても似たようなものだろう。この辺りで食事のできる店を探した方が効率的だ。
そういえば、秋葉神社の裏にラーメン屋があるのを思い出した。何年か前、オープンしたてのころに何度か使わせてもらった記憶がある。

くのいち

という面白い店名は、女性だけで切り回されているからだという。
「くのいち」あるいは「くノ一」とは「女」を分解したもので

元来は女を指す隠語であるが、1960年代以降の創作物においては女忍者を指す言葉として広まっている。(Wikipedia)

女忍者を創造したのは山田風太郎だそうだ。そういえば彼の作品は、何十年も読んでいない。久しぶりに読み返してみるか。

あの、かなりエッチな描写にどれほど悶々とさせられたか。自分だけの、ほかの誰からもしられない「秘密の読書」とは、かくも楽しきものか、ということを知ったのはこの時だった。一度、父親にバレてしまったが何も言わなかった。たぶん、自分でも読んでいたのであろう。

近年の研究によれば男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がない(Wikipedia)

とも言われている。そうだったのか。「真田太平記」に登場するお甲はまったくの想像物だったのか。創作は史実を凌駕する。当たり前のことだが、世の常識を変えるほどのフィクションというのは素晴らしい。

あらためて「くのいち」

相変わらず無駄話が多くて恐縮だ。
数年ぶりのこちらは、内部はほとんど変わっていない。まぁ変わりようもない規模のお店だが、これも安心感というものである。
昼にしか来たことがないので、様子がわからなかったのだが、夜は居酒屋として機能している。土曜日というのもあるのだろうが、大変な混雑である。カウンター席がひとつだけ空いていたので、そこを占拠する。
「食事だけでもいいですよ」と、気持ちよく返してくれたのがとても嬉しい。

餃子の恩返し

店頭に大きく、このような門言が掲げられている。飲み物を注文すれば、餃子をサービスで提供してくれるというのだ。HPによると

「餃子の恩返し」プロジェクト
「らぁめん くのいち。」として約5年間、ラーメンと真剣に向き合い手掛けてまいりましたが、 正直なところ商売として難しく、どうしたらたくさんのお客様が来てくれるのだろうか、 と考えこの「餃子の恩返し」を決断いたしました。
今まで、当店を支えてくださったお客様あってこその”今”です。感謝の気持ちを込めて、また賑やかなお店にしたい!という希望を込めて取り組んでまいります。

泣かせるではないか、素晴らしいではないか。様々な試行錯誤と逡巡があったのだろう。その意気やよし。をぢさんさ気に入ってしまった。かといって酒は飲めない。困っていたらソフトドリンクでもよいという。

本日のあらら?チョイス

「カレーうどん」「ウーロン茶」「焼餃子」

本来なら、明らかに締めのメニューであろうがこの場合仕方ない。そもそもラーメンではなくうどんというのが面白い。ソフトドリンクおよびサービスの焼餃子。じつによいフォルムである。「孤独のグルメ」の井之頭五郎になったような気分にもなってくる。

「カレーうどん」


カレー風味のスープに鶏肉、玉ねぎ、とき玉子がごちゃごちゃと入った、煮込みうどん風である。スパイシーだが、あまり辛くはない。お母さんが作ってくれるような、安心の味わいといった感じである。

「ウーロン茶」

中ジョッキになみなみと注がれたウーロン茶。これも酒の飲めない井之頭五郎を感じさせられる。

「焼餃子」

そしてお楽しみ焼餃子。たっぷり肉、ジューシーな一品である。羽根つきでパリッと焼かれており、大量の酢醤油につけて頂く。じつに美味い。水餃子でも対応してくれるという。次回はそれだ。

そして

「餃子の恩返しプロジェクト」気に入ってしまった。とても美味かった。しかし、餃子にウーロン茶も悪くはないが、ここはやはりビールであろう。熱々の焼餃子とともに結露により、びっしょりと汗をかいたジョッキを傾ける。これこそ最高な瞬間であろう。さぁつぎはいつだ?


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【映画days #8】ラジオ・コバニ


ISILにより攻撃と、支配により徹底的に破壊し尽くされたシリアの都市コバニ。解放され、復興の端緒についたが、瓦礫だらけの街、そこここに放置された死体など、絶望的な状況が続いている。

そんな中、若者たちが始めたラジオ局「ラジオ・コバニ」。明るい音楽とともに、たくさんの人びと、生き残った人、戦士、詩人の声を街に届け、明るい未来を、希望を届けようとする。

そんな3年間を追ったドキュメンタリー映画である。シリアの政治状況を語る知識はないし、その善悪を決定づけられるほどの超越的な存在でもない。しかし、確実にいえるのは苦しむのは、末端の庶民である。

家族を失い、友は傷つき、家を焼かれ故郷を捨てざるを得なかった人びと。この戦いは彼らが望んだことだったのか。

では、ISILが元凶なのか。
街を蹂躙し尽くしたISILの戦士が、コバニの人びとが、自分と同じ敬虔なムスリムと知り顔色が変わる
「許してくれ、家族に会わせてくれ。おれは望んで兵士になったのではない。貧しいからなったんだ」

これ以上は何も言わない。
この現実を見て、どのように感じ、どのように考え、どのように処していくか。
みんなで話し合っていきたい。そのように、強く感じた。

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「東京裁判」について②


すごいのは裁く方も同様である。
「裁判」と名付けられてはいるものの、実質的に米ソの戦後処理という政治目的以外のなにものでもない「儀式」であるに関わらずアメリカの「フェアであろうとする姿」にはアタマが下がる。
無論、不完全なものであるには変わりない。それでも日本弁護団が「欧米式裁判に不慣れ」と難色を示したら、アメリカ人弁護士をサポートにつける。

その中の一人、ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士の発言がすさまじい。
アメリカ陸軍の将校であった彼の1946年5月14日の冒頭陳述

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。」

「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

これ、終戦から1年たっていない段階の発言である。すさまじい言葉だ。戦争を行ったのはお互いさま。いくら勝ったとはいえ、片方が悪いと決めつけ一方的に裁くことなどおかしいのではないか?
こういうところがアメリカ人の懐の深さ、素晴らしさといえるだろう。

他にも見どころはたくさんあったが、この辺にしておこう。戦時法制がどうとか、憲法改正が云々されているから、ということを抜きにして今、自分たちが立っている場所はどのように形づくられたか。こんなことを確認するためにも観てよかった、とつくづく考えた。

 

「東京裁判」について①


ここしばらく、折にふれ観ている映画がある。

「東京裁判」(1983年 小林正樹)

「切腹」「怪談」などを演出したリアリズム系作家が、その晩年に五年間をかけて米国国防総省の保管フィルムや内外のニュース映像などを編集して作り上げたドキュメンタリー映画。極東国際軍事裁判「東京裁判」を通して第二次世界大戦の、日本の近代史を語るという上映時間6時間もの大作。公開当時から観たい、と思いつつもこの長さに恐れをなして見送っていたという因縁の作品でもあります。今回はたまたま、ヤフオクで安くDVDを購入できたので自宅でゆっくり上映会である。

正直、よほど難解な映画かと思いきやさにあらず。とても「さわやかなサムライども」を描き切った作品だった。無論、時系列に語られる戦時状況は退屈な点が無きにしも非ず。しかし、その説明がなければ成立しない。

それにしてもA級戦犯(かつての国家指導者)たちと彼らを裁く検事・裁判官たちの堂々とした立ち居振る舞いは感動的ですらある。
まずは広田弘毅。最終的に処刑された被告の中で唯一の非軍人(外交官)であった彼はつまるところ、五・一五事件、二・二六事件と軍人たちの暴発があったとはいえ、軍隊に物申すことができなくなった、シビリアンコントロールを失う原因を作ったのは、その後の戦争に突き進む端緒を切ったのは自分である。として、なにも語らず死んでゆく姿の潔さがすばらしい。

東条英機は登場人物の中でもっともイメージが変わった人物だった。
一時は「日本のヒトラー」くらいのヒドい言われようをしていたものだが、ここにいる彼は優秀な軍政官。自らの進退に逃げずひるまず、未熟な通訳を叱りつけ、すべての責任は自分にある、と言い放つ。
キーナン首席検事との微妙なやりとりの末、天皇陛下に責任はないと言質を与えるくだりなど涙なしではいられない。