幕末太陽傳①


全盲の叔父がいた。
父の兄にあたる人物で、小学 2 年時に病を得て失明したという。恐らく、ウィルス性疾患だったのであろう。当時の医療技術では全治させることが叶わず、いうことだったそうだ。ここを端緒に、父の苦闘時代が幕を開けるのだがそれはまたいずれ書くこともあろう。今回は叔父のことを書かせていただく。

叔父は長じてアンマさん(昔はマッサージ師なんて言葉はなかった) となり、そこそこ腕もよく、
お客さんもついていたとのことだが、そこはそれマイペースは絶対に崩さない、やる気のある時
しか仕事しないという性格は「昔気質の職人」といえば格好もつくが、まぁ単に一所懸命はたらくのを好まなかったのであろう。かくいうわたし自身がそんな性格だ。

そんな叔父はいつも飄々とラジオを聴きながらニコニコしているところから、みな親しみを込めて〈ラジオさん〉 と呼んでいた。

それにしても、わが両親はよくやっていたのではないか?と、つくづく思う。現代でも、障害者福祉は不足しているというのに、今から 40 年も昔のことだ。最低限の生活費くらいは貰えていたようだが、それ以外の金銭は全て自己負担という時代である。誠にアタマの下がる思いだ。
そんな環境の中の、子どもたちの仕事はというと、ラジオさんのお手伝いである。入浴介助、とまではいかないが、風呂に入る時に服を脱がすのを手伝ったり背中を流してあげたり。床屋に行きたいと言われれば道案内である。私の肩に手をかけてそろそろと同行する。床屋までの道すがら、学校でこんな事があった、友人となにやった、晩飯はなんだろうと、どうでも良いことを話しながら歩いたのを覚えている。そんな風だから、やはり「手伝い」というより「手を貸して」あげるといった程度か。

 

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