お盆とTwitterのある風景


Twitterを始めたのは2007年だったか。
GREEだのmixiとはまた違う、言いっ放しで面白いよ。と、友人に誘われて始めたものの、最初は勝手が分からずにいたのだが、昼ごはんのことやら、読書の事を書きとばすうちに、「短文できめる」ことの面白さに気づいて、一時ドはまりしていた事がある。そして数年イヂくり回すうちにFacebookと出会い、TwitterにはBOT仕込んで放置して、昨年暮れから再開して。という、B型気質丸出しで現在に至るわけだ。
 
 
B型らしく、いきなり話を飛躍させるが、Twilogというサイトをご存知だろうか。IDを入力すると、そのTweetをまとめてブログ形式で表示してくれる、便利なサイトである。たまぁに覗いてみるのだが、これが面白い。数年前の自分はこんな事をやってたんだ。あんなことを考えていたのだ、とじつに興味深い。
 
 
2011年02月18日(土)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
おはようございます。今日は朝からバタついております。いかに怠惰な日常を過ごしているかがわかります。(゜∀゜;ノ)ノ #ohayou

 
7年ちょっと前のTweetで、もっともハマっていた時期のものだと思う。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
朝からバタついてましたがちょっと落ち着いて昼ご飯。久々に〈ししとう〉にて『レバニラ炒め定食』を。ウマかった

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
喜国雅彦『東京マラソンを走りたい』読了。江口寿史と並ぶ〈下らねーギャグマンガ〉のスペシャリストの『愉しくだらだら走る』ための本。要はモチベーション管理なんだよね。ワタクシのダイエットと同じやり方。仲間がいたぁ♪とナニか嬉しい (///▽//)

 
現在と同様、よく食べているし、老眼がひどくなる前なのでよく読んでいる。また、当時はダイエット中でもあったようだ。なお、日付の記載は変わった時のみとする。煩雑だからね。
 
 
2011年02月20日(日)

おそようです。チョイとバタついており、ようやく昼ご飯。今朝から蕎麦蕎麦とアタマにざるそばがこびり付いていたので〈草笛〉で『中盛』を ♪ d(⌒o⌒)b♪

 
「おそようです」というのは朝イチTweetができなかったからだ。事情があるのだが、それはまた後ほどとして、以下、しばらく読書感想タイムとなる。
 
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 読了。『悪名の棺』の笹川良一から堺利彦。〈最後の右翼〉から〈最古の左翼〉。間に何冊か入ったけど、毀誉褒貶というかふれ幅が大きいというか。我ながら節操のない読書傾向。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
堺利彦といえば幸徳秋水や大杉栄といったビッグ・ネームの影にいた地味な人。というイメージしかなかった。世間でも『まぁそんな感じじゃない?』という程度ではないか?関川夏央・谷口ジロー『明治流星雨』でもそんな扱いだったし。でもそんな扱いが出来るような人ではなく、もっとスゴい人だった。

 

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堺利彦とは初期の社会主義運動をほとんど一人で支えた人。幸徳や大杉よりも大きな事績を残した人だった。幸徳秋水には崇拝者がたくさんいた。カリスマとしての素質もあり、大逆事件(明らかな冤罪)で処刑されたことで伝説となった。大杉栄も同じ。関東大震災のドサクサで虐殺され英雄となった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
そして、指導者を失った若者たちを支えたのが堺利彦だった。明治の末期。一度でも〈主義者〉というレッテルを貼られた者は国からの弾圧だけでなく、周囲からの差別・侮蔑の標的となり、仕事もなく、生計を立てるのに凄まじい困難が伴った。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
そんな彼らを最も面倒を見たのが堺利彦だった。筆がたち、誰からも好かれる人柄は例え〈主義者〉であっても一目置かれる存在であった。

 

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そんな彼が社会主義者にとっての〈冬の時代〉を乗り切るために創立したのが『売文社』。

 

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■新聞、雑誌、書籍の原稿製作並に編集■論文、美文、小説、随筆、記事文、慶弔文、書簡文、趣意書、意見書、各種文章の代作及び添削■英、獨、仏、露、伊、漢等、一切外国文の翻訳並に立案、代作■談話、演説等の筆記及び速記■寫字及びタイプライタ■出版印刷代理

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
というのが〈売文社〉の営業品目。日本初の広告代理店であり編集プロダクション、翻訳会社ともいえる組織を作り上げた堺利彦に惹かれる。その人柄に、その柔軟な発想に。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推進していった』これが堺なりの〈運動〉であった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈運命〉ってやっぱりあるのかな?と思わされた。ワタクシ自身は運命論者ではないのだが、こういう生涯を見るとつくづく誰かが『お前はこのようにしか生きてはいけない!』と決めているのではないか?と感じられてならない。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
大逆事件の際はたまたま獄舎におり連座を免れた。関東大震災の時も同じく獄舎にいたから虐殺されずにすんだ。第一次共産党事件の時もほんのわずかなことで処刑を免れた。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
不謹慎を承知で言えば、こういう大変な極めてキツい時代には〈英雄として〉死んでしまった方が幸福なのかもしれない。『彼はすごかった』『アイツは素晴らしかった』と皆が誉めてくれる。恐らく堺も同じように思ったのではないか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
どう考えても大変でしょ?彼のやってきたことって。幸徳秋水やその他の人々の遺骸を引き取り、葬儀をだし、その後数ヶ月かけて遺族に慰問の旅に出る。帰還後は前述の通り、仲間や後輩たちの生活のために東奔西走の日々。それも内外からの迫害を受けながら。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
ナンにしても、スゴい生涯であった。こういう人に、ワタクシもなりたい。黒岩比佐子という方の作品は初めてだったが、素晴らしい力作だった。あとがきに膵臓がんの治療中であると記されていたが、その後はいかがであるのか。ご快癒を心からお祈りし、次の力作をお待ち申し上げております。

 
 
いやいや、なかなかどうして「書けて」いるではないか。
自賛は好まぬが、きちんと「書評」になっていると思う。ここでもう少し精進していれば、ソーテック社から本の一冊も出版できていたかもしれない。

ちなみに、「パンとペン」の著者 黒岩比佐子は、この書を最後に他界された。まことに残念なことだ。そしていまでも私のフェイバリット作家の1人である。
 

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『街並み 第39号 門前町の食堂』読了。読了とは言わないかも。写真雑誌だし。この雑誌を読む(観る?)のは二度目。どことなく懐かしく暖か (///▽//) 視点が優しい。

 

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善光寺門前界隈にある6つの食堂 〈和食処いかほ〉〈つたや食堂〉〈司食堂〉〈御食事処ことぶき〉〈中国料理 杏林〉〈しまや食堂〉 どこもかしこもウマそう。晩ご飯前だから余計と感じる。一刻も早く行って腹一杯喰ってこないと。

 

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権堂アーケード〈らあめん 花月園〉にて夕食。『豚そば 銀次郎』にキャベツ・コーンをトッピング。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『これが、嵐げんこつらあめん こだわりの食べ方だ!!』という書き物が。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その1】ブラックペッパー 振るべし!!スープ全面をおおうほど、『これでもかっ!』と振りかけると、よりパンチの効いた味になるぞ!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その2】秘伝のらあめんダレ かけるべし!! パ~ッとひとかけすると、なんとも言えない風味が立ち上がり『こりゃ~もうたまらん!!』

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その3】激辛ニラ 入れるべし!! 旨いからといって入れ過ぎるとその激辛にヤラレます。入れ過ぎに注意だ!!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その4】生ニンニク生しぼり 搾るべし!! 特製プレスで搾ってみてください。この元気な旨さはもはや説明不要ですよね~。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
嗚呼ウマかった。チョイと甘めなのが気になったが、美味しい部類に属するお店でした。これからまだ用事があるので〈生ニンニク生しぼり〉が出来なかったのが心残り。

 
 
などと、現在とまったく変わらぬノリで書いている。まった進歩がなくて困りものである。
困りもの、といえばこの数日やけにTweetの数が多いのである。いや、世の中には一日に何百とやっている人はいるのだが、そういう意味ではなくあくまで私のこと。それに、どことなく地に足がついていない、そんな風には読めないか、自分以外では。じつはけっこう、特殊な環境におかれていたのである。
 
 
2011年02月21日(月)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
(・_・)んッ…?そういえば、このところどうしたの?ジムの話題は出ないし、晩ご飯も外食だし。…ははァ マスオさん稼ぎ悪いクセに態度デカいから、お舅さんに追い出されましたね? と幾人かの方から言われましたが、さにあらず。現在、病院に昼夜つめております。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
実を言えば、うちのおばあちゃんの具合が悪く、ほとんど〈忌まわの際〉という状態。この1年、寝たきりの状態だったにも関わらず旺盛な生命力を保ってきたおばあちゃんもそろそろかな?という事態になってきたようです。

 
ようやく出てきた。
その通り、この時は同居していた義理の叔母が死にかけていたのである。
7年前は、義父は高齢で腰が悪く、病院と自宅の往復に支障があった。家内も子供たちや家事がある。必然的に、ヒマだった私に付き添い役が回ってきた、というわけだ。
それまで「身内の死」には何度も相対してきたことがあるが、自ら「看取る」ことは、この時が初めてのことで、はなはだ精神的に平衡を失っていた。要するにテンパっていたのだ。「忌まわの際」なんて思い切り間違っている。「今わの際」だよね。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
当然のことながらこういう経験は初めて。読書しながら、おばあちゃんの波乱万丈な生涯(ホントなのです)に思いを馳せたり、おばあちゃんが今どんな心持ちであるかを想像したり。

 
「波乱万丈な生涯」とは彼女が満州で体験した、一連の出来事や、帰国してからの労苦を指す。そのうち、記録としてまとめたいと思いつつ、何年も経ってしまっている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
なにしろ意識混濁状態なので、痛いのか苦しいのか。はたまたツラいのかが全くわからない。たまに顔をしかめてみたり、軽く声を出してみたり。見ようによっては苦しんでいるとも、そうでないとも見える。本人に聞いても答えが返ってくるわけもなく、弱ったものだ。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
痛かったり苦しかったりしなければ、全く問題ないのだけど。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
また、我々と過ごした最後の日々は幸せであったのか?と考えたりもする。わずか5年間の同居生活であったが、果たして快適に過ごして貰っていたのか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
書き忘れたが、〈おばあちゃん〉といっても義父の〈連れ合い〉ということでもなく、我々や子どもたちにとっての〈祖母〉ということでもない。義父の姉であり、家内の叔母にあたる方。生涯を教育者として、家庭を持たず、兄弟たちのために仕事に生き抜いた方。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
とにかく行動力の塊でパワフルで。我々夫婦の間では『おばあちゃんは止まった時が死ぬとき』なんて陰口たたいて笑っていたものだが(おばあちゃんごめん!)。この辺りはいずれツィートすることがある筈なので割愛。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈スーパーおばあちゃん〉はずっと義父と二人暮らし(義母は10数年ほど前に他界)していたが、80半ばを過ぎて大病してから、『こりゃマズい!』と我々が同居、お世話をすることになった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
家内はもともと看護士なので、介護などお手のもの。そういう点では非常に快適な生活を送って頂けたと思うのだが。掃除・炊事・洗濯もしなくてよいのだし。ただ一点なくしたものが。それは〈自由〉。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
常に日本全国あっちゃこっちゃ走り回りかけずり回りしていた人が、チョイと足腰が弱ったからといって『車椅子に乗れ』『外に行くときは1人じゃダメ!』などと言われ。…別に意地悪ではないので。身体能力そのものが弱っていたので、単独行動はムリ!という判断の基ですから。念のため。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
内幕はともかく、そういう大切な〈自由〉を亡くしてしまったおばあちゃんの気持ちは、ホントのところどうだったのかな?と考えているとちょっと切なくなる。考えすぎか f^_^; まぁまだ亡くなったわけでなし。このまま生き続けてくれるかもしれないのだし。

 
そうなのだ。彼女の自由をうばったのは私なのだ。
生涯結婚せず、子供のない彼女にとっては教え子たちは「自分の子供」そのものであった。以前のように全国を飛び回りたい。教え子たちの行く末が心配でならない。その気持ちはよく理解できる。しかし、それは本人自身が動くことが出来てこそ、なのだ。よくてウォーカー、少し長い距離は車いすでしか動けない者が、いったいどうやって教え子の基へ行くというのだ。
 
同居を始めた当初、
『東京で同級会がある』
『一年も前からの約束だから奈良までいかなければ』
『バスに乗せてくれれば、岡山までカンタンに行ける』
と言い張る叔母に対し、今後のこともあるので、家内と二人、叔母に談判した時のことは今でも忘れられない。
 
『叔母ちゃんの旅行好きはよく知っているし、生きがいなのもよく分かっている。でも、今の状態で行けるわけがない。身体をもっと悪くしたら、元も子もない。だからもう遠出は行かせてあげられない。一人でなんて以てのほか。そのかわり、長野市近辺だったらオレが責任もって連れて行くから』
黙って頷いた叔母の、老人特有の無表情の瞳の奥に、悲しげな色が浮かんだように見えたのは、気のせいであったろうか。
 
無論、約束は守った。長野市近傍での会合や、同級会へは何度も同行した。「満州体験を語る」という趣旨でTV出演もしてしまったことがある。
ということで、やるだけはやった。周囲からもずいぶんとお褒めの言葉をいただいたし、おそらく本人も感謝してくれているとは思う。
それはそれで喜ばしいことである。満足でもあるし達成感もある。ただ、本当にあれで良かったのか。と、思わなくもない自分もいる。あれほどエネルギッシュに動いていた人を、ベッドに縛りつけることにしたのは私だ。だが分かっちゃいるけどもう少しよい言い方、やり方はなかったものか。オレはものすごく残酷なことをしたのではないか?と、8年も経過した現在に至るまで自問の日々を過ごしている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
1時間ほど前におばあちゃんが亡くなりました。享年92。穏やかな最後であったのではないでしょうか。これから数日間、忙しくなります。

 
亡くなったのは、翌日の午後2:23だったか。2月22日で、あと1分で揃ったのに、と家内と家内の姉が話していたのが、アタマの片隅から離れない。
 
 
以上、8回目のお盆を迎えての思い出話であった。


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