長野市「BECK’S COFFEE SHOP 長野店」タレーランとフランス革命、そしてまったく関係のない朝食


【お店のデータ】
BECK’S COFFEE SHOP 長野店
場所 長野県長野市栗田北河原1038-4 [地図はこちら
電話 026-226-4679
駐車場 なし

陰謀家・美食家タレーラン

歴史が動く時には、人材が揃うものだ。いや、人材が登場したから歴史が動くのか。その辺りはなんとも言いようがない。
フランス革命期も同様で、ジョルジュ・ダントン、マクシミリアン・ロベスピエール、ジョセフ・フーシェ、そしてナポレオン・ボナパルトも一員としてよいだろう。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェばかりが人材ではない。
その中で、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールという人物がいる。同時期の政治家で、フランスの宰相にまで登りつめた人物で、日本では単に「タレーラン」として知られている。
タレーランは、金儲けに精を出していないときは、陰謀を企んでいる
とまで言われたほど、虚実に満ちた生涯を送った人物だ。しかし、ナポレオン戦争後の処理をテーマとしたウイーン会議において敗戦国であるにも関わらず議長となり、主導権を握り国益を守ったなど、とてつもない能力を持った政治家でもあった。かような者が、毀誉褒貶相半ばするのは当然の事である。

そのタレーランは美食家としても有名だった。
専属シェフを抱え、重複のない、季節の食材のみを使用した1年間のメニューをつくる事を命じたり、ウイーン会議の最中にもたびたび夕食会を開き、その素晴らしい料理群で人々を圧倒した、というエピソードがあるほどだ。

タレーラン語録

タレーラン語録も有名だ。
「快楽さえなければ、人生はきっと耐えうるものだろう」
「誹謗中傷よりも酷いことがひとつある。それは真実だ」
「言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである」
やはり、ひとかどの人物は語りもかっこよい。
その語録のひとつ。最も有名な言葉が以下のものである。
カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い
美味いコーヒーの定義として、これほど適切なものはない。大げさに聞こえるが、朝のコーヒーは、かようなほど重要なものなのである。

拘束の日そして朝食

講習会で1日拘束されるはこびとなった。
仕事で必要な事である。嫌いな分野でもないのだが、やはり気伏せりであることには変わりはない。気分を変えよう。という事で、少し早めに出て駅で朝食としよう。

「BECK’S COFFEE SHOP 長野店」

長野駅改札前のこちらは、以前から東京出張などの際、何度も使わせてもらっている店である。

「スペシャルプレート」490円

コーヒー、主食、たんぱく質、緑黄色野菜がワンプレートになった優れものである。

ドレッシングがかけられたレタスとトマト、軽く炙られたベーコン、玉子のディップとケチャップ、楚々と配されたポテトサラダ、そして半切りにされバターがたっぷりと塗られたトーストという、アメリカナイズなブレックファーストである。ああ、気分はまるでニューヨーカー

「ブレンドコーヒー」

熱く濃厚、まさしくタレーランの言葉にリアリティを感じる瞬間だ。
丁寧に作り込まれた料理たちをゆっくり、ゆったりといただく事は、まさしく至上の時といえる。
東京への線路上にむかう、大きな窓から入る陽光で、明るく気持ちのよい空間で朝食をとれば、気分横溢である。さぁ、拘束されに行こうか。


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【昼飯days】ねばとろそうめん


久方ぶりに自宅での休日である。暑いので外に出る、という気になれないこともある。したがって、自宅でゴロゴロというわけだ。

Amazonプライム・ビデオに「ラッカは静かに虐殺されている」がアップされた。先だって観たばかりだが、もう一度観直すことに。…といって、一気に観るには重すぎる。ゆっくり休み休みしながらの視聴だ。

観終えたらちょうど昼どきである。
暑熱はますます高じるばかり、この際は家にあるもので昼食としよう。

【家にあったもの】
おくら
カップめかぶ
納豆
玉子
そうめん

なるほど。これはあれを作れ、という神の啓示であろう。あれとはすなわち
ねばとろそうめん

またか
などと言わないでもらいたい。材料がこれしかない、他のものを作りたくともスキルがない。これだけで充分であろう。

まずはオクラを刻む。

スキルがないから出来が悪いのも仕方のないことだ。そして、すべてを心置きなく丼に投入。

あとはひたすら混ぜるだけだ。

そうめんを茹でる。
茹で上がりが早いからじつにけっこう。

出来上がり
各々、ねばとろを取り分け頂きます。

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【映画days #12】小人の饗宴(1971)


ヴェルナー・ヘルツォークの長編第2作である。「アギーレ/神の怒り(1972)」でぶっ飛ばされた身としては、ぜひとも体験せねばならないだろう。

小人の饗宴

ドイツの片田舎にある、障害者施設での1日を描いた作品である。低身長症を患う彼らが、管理者のいない間に、日頃の鬱憤を晴らそうと暴れ回る、というストーリーである。
このように書くと、首尾一貫したお話にみえるが、じつのところはひたすら小人(差別語に非ず、そのように表現される)たちがものを壊し、火をつけ、動物を殺しまわる。盲目の小人姉妹をいじめたおし、納屋にある自動車を持ち出し、走り回らせたあげく、裏山にある大穴に突き落としてしまう。この間、語れるようなストーリーは一切ない。文字通り小人たちの饗宴を、何らの彩りもなくモノクロフィルムに映しとっただけのものだ。ぶっちゃけたところ、非常に困った作品であった。

この作品から、何らかのメッセージを読み取る事は可能であろう。製作の少し前に、ヒトラー、ナチスですべてを失った国である。アナーキズム、コミュニズム、資本主義、冷戦、あるいは世界的中で同時多発した学生運動など混沌とした社会状況を表現している。といってしまえば簡単な事だが、たぶん違う。でなければ、小人を使ういわれはない。あれほどまで執拗に醜悪な何かが汚らしい何かへと、変わりゆく様を映す必要もない。

要するに、ヘルツォークは小人(繰り返すが差別語として使ってはいない)たちを使い、妙にスケールアウトしたへんちくりんな馬鹿騒ぎをやりたかっただけなのだ。皮肉で意地悪で差別的で容赦のない感情〜それは誰しもが持ってはいるが、出そうとしない、いや出すに出せない感情を爆発させたのだ。そんなものに感情移入できるわけもないし、カタルシスを感ずる、というものもほとんどいないのではないか。

そんな映画をシレッと作れてしまうヴェルナー・ヘルツォークという作家にますます興味が湧いてきた。次回は「シュトロツェクの不思議な旅(1976)」とのことだ。とても楽しみだ。


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須坂市「ターバンカレー 須坂インター店」須坂で味わう金沢カレー


【お店のデータ】
ターバンカレー 須坂インター店
場所 長野県須坂市大字井上1865-1 [地図はこちら]
電話 026-246-8998
駐車場 あり

金沢カレーというジャンルがある。
文字通り金沢市を中心とする石川県のカレーライス店で供される独自の特徴を持ったカレーライスである。
 
Wikipediaによれば金沢カレーとは
・ルーは濃厚でドロッとしている。
・付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。
・ステンレスの皿に盛られている。
・フォークまたは先割れスプーンで食べる。
・ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。
・ルーを全体にかけて白いライスが見えないように盛り付ける。
と定義されるという。必ずしも守られているわけではないようだが。

その金沢カレーが好きで、長野市内にある店(同じ系列だよね?)に通いつめている。今回は須坂インター前にある、

ターバンカレー須坂インター店

にお邪魔した。
こちらの、ドロドロまったりしたカレーに様々なトッピングを施して食べるのが好きなのだ。本日も3種類、カレーが見えなくなるほど、トッピングしていただくのだ。

ジャンボメンチカツ・ナス・目玉焼きカレー

ジャンボメンチカツ

ジャンボと冠されたものは意外と小さいのが通り相場だが、こちらのメンチカツは決してそんな事はない。しっかりと「ジャンボ」している。ジャンボであることにこそ、意義があるとさえ思えるほどだ。粗く挽かれた豚肉と、ごろんごろんと大きな玉ねぎが美味い。

ナス

ナス好きは食べずにいられない。油で揚げられた、とろとろな存在と化したナスの旨味よ。なぜ、これがお節料理に出てこないのかが、不思議でならないほど美味い。

目玉焼き

玉子はつくづく魔法の食べものと考える。何をどう作っても美味い。とくに、目玉焼きの美味さたるや。半熟トロトロが美味すぎる。これをいつ崩すか、どうやって食べるのか、大いに悩む日々である。

金沢カレーにおいて、キャベツの存在は特筆すべきほど重要であるとのことだ。なるほど、このまったりカレーに、これほど相性のよいものはないと確信する。ということで、金沢カレーまったりカレーを堪能する、美味しい1日であった。いつか、トッピング全のせをするのが夢だ。


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長野市「ケーキ屋Sun」メロンのまんま


【お店のデータ】
ケーキ屋Sun
場所 長野県長野市三輪4-4-1
電話 026-217-8231
駐車場 あり

誕生日

家内が誕生日であるという。実際には4日ほどのちの事であるが、そんなものは誤差のうちであろう。
めでたい、と素直に言ってよいのかどうかは定かではない。若者たちのように、はしゃいでよい年齢でもあるまい。とはいえ、さしたる病もなく、障害もなく50数年これた事は、少しは寿いでやっても罰は当たらないであろう。あくまでもほどほどに。

彼女は、昔から装飾品、調度品、過度な服飾品など、飾り立てるものを好まない。いや、反対にそれらが大好きで、あれがいいこれがいいと、要求されても困り果てるだけなので、助かってはいるのだが。どうせくれるのなら、その場で消費できるものが良いという。すなわち食品類、大概はケーキ、デザートの類を求められる。

ミルキークリームロール

ケーキ、といえば近年出会ったものの中で、もっとも完成度の高いものが不二家の「ミルキークリームロール」であると確信する。

「ふ、何を言っているのだ。そんな俗なものが美味いわけがないであろう」
そのように言うものがいた。たしかに不二家ペコちゃんからは、「幼稚な子どもだまし」と受け取られても致し方ないであろう。
しかし、世の中かほどに甘くはないのだ。…いや甘いのだが、ミルキークリームロールは単なる甘さではない。
クリームがミルキーなのだ。
あの、不二家の古典的名作、ミルキーキャンディ。高濃度のコンデンスミルクの口あたりをよくしたような、千歳飴にも擬せられた、あのミルキー。
とはいえ、あまりの濃さに、ひとつ食べきるのが精一杯なミルキーが、クリーム化されるとじつに豊穣な味わいと化す、複雑な味わいが現出する。たかがロールケーキが、高高度なdesartとなる。バカにしてはならぬ、美味いものに聖も俗もありえない。入浴中を覗かれたペコちゃんが「ミルキー?」と叫ぶだけが能ではないのだ。

しかし、ミルキークリームロールを誕生ケーキにするわけもいくまい。いや、そうした事もあるのだが、何度も使える手段ではない。はてどうしようかと考えていたら、家内からこれがよいとリクエストがあった。なるほど、希望を叶えてあげるのがもっともよい。それに考える必要もない、となれば、それがベストであろう。

「ケーキ屋Sun」

本郷通り、三輪1,3,4,5丁目交差点を西へ曲がり、少し行ったところにある洋菓子店である。以前はドイツパンを扱う、評判の店だったと記憶するが、何年か前に変わられたようだ。使わせてもらうのは初めてだが、前以上に真面目で誠実な、美味しいケーキを作られている、との噂を漏れ聞いていたのでとても楽しみだ。

「メロンのまんま」

季節限定商品なのだそうだ。
1/2に切ったマスクメロンをくり抜き、中にスポンジケーキ、カスタードクリーム、生クリームを仕込み上に皮を取り除いたメロンを載せる。これ以上シンプルなものはない。

ミースの言葉

Less is more 「最小こそ豊かである」
と言ったのは建築家ミース・ファン・デル=ローエである。ガラスと鉄骨、タイルのみで作り上げた「ファンズワース邸」は、住みこなすにはよほどの覚悟と努力が必要だが、そこには現代人の求める「美」がある。

同様に、「メロンのまんま」も切り分けづらく、食べづらくはなはだ閉口ではあるものの、シンプルであるがゆえの美味さがある。これはなかなかの傑作と確信する。

ending

「お母さんは何歳になったのか?」
と、執拗に尋ねる息子を、ひたすら無視する家内。50すぎればいくつでも同じであろう、と思うのだが、そこは女心というものである。黙っておいてやろう。秋の気配が近づく夜長である。

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長野市「某クリニック」健康診断とみーるマーマの素敵なお弁当


「健康優良幼児」というものを受けたのは幼稚園の時であったろうか。平均以上の体躯の、大きな病のない元気な子供を表彰してくれるものだ。誠にありがたい事で、以降大病した事がない。

以来数十年経過したが、健常な状態であるわけもない。日頃鍛えていることもないとなれば、やれメタボだ成人病だと様々なものを抱え込む事となる。やれやれ。今回も年一度の検診である。

身長体重視力聴力胸レントゲンに胃カメラとひと通り済ませ終了。昨夜22:00から何も食べていないので、空腹状態である。こちらの検診は美味しい弁当つきなのでとても楽しみでもある。

こちらの弁当はみーるんケア社製。すなわち「みーるマーマ」運営会社に用意してもらったものというものである。惣菜7種、ご飯、デザートという、なかなか豪華なメニューである。

右上「鯖の香り揚げ」から時計回りに「長芋の三珍和え」これはみーるマーマの名物メニュー。「香の物小鉢」、「有精卵を使った玉子焼き」

上「鶏の生姜焼き」、下「フルーツと和菓子」

右上「切り干し大根の酢の物」、右下「黒豆」、左「新鮮野菜のサラダ」

「金芽米と十五穀米」

ひとつひとつ吟味された素材と、丁寧に仕立てられた料理たちである。これで今年も健康だ。

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あらら?冒険記 木曽路施餓鬼法要編


木曾の道

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

とは、島崎藤村「夜明け前」の冒頭部分である。描かれているのは幕末期、執筆されたのは昭和初年であるが、なに現代もさほどには変わらない。木曾川ぞいをうねうねと蛇行しながら行く道は、まさしく「隘路」そのものである。しかもほとんど一本道なので、災害などで土砂崩れでも起ころうものなら、木曾路はあっという間に陸の孤島と化す。さすがに近年は、改修工事が進み、対岸に移し拡張したり、トンネルを掘ったりと使い勝手が良くなった。まだまだ一部区間ではあるものの、今後はどんどん良くなっていくだろう。…とは言うものの、今度は真っ直ぐ道となった木曾路はそれらしく感じることが出来ず、なんとなく面白くない。まったく身勝手なものだ。

木曽とわが家

木曾上松は家内の母と、家内自身の出身地である。
大正の終わりごろ、縁あって岐阜から祖父母が移り住み、昭和の初め、それこそ藤村が「夜明け前」連載中くらいの時期に義母が生まれ、戦後義父と出会い、家内が生まれ、という段取りだったのだが、義父の転勤で他出してしまった。だから家内は木曾での生活をほとんど覚えていないという。
一家はその後諏訪、中野、飯山そして長野市へと移り、家内は家内で諏訪、東京、松本、長野市と転々としたため、木曾に戻る事はなかったが、関係が切れることはない。遠縁はいるし、そもそも菩提寺がある。

一時、年に一度、お盆には家族中で木曾に詣るのが習慣だった。朝早く起きだし、弁当を作りわが家と義姉家族、義父、叔母と総出で出かけ、まだ小さかった子どもたちを遊ばせながら往復すると、ちょうどいい行楽代わりとなる。
10年ほど前に、実家を建て替え同居を始めたりと、区切り事があったので、せっかくだからお墓も、という事で長野市へ移した。これが基で木曾へ出向くことが激減してしまうこととなった。墓参りで1日かけての往復も、悪くはないのだが、やはり億劫事でもある。それに叔母・義父ともに高齢となり、体調のことを考えると、やはり移した方がよいだろうと、決断した次第である。
そして、数年を経て両名とも亡くなり、これは本格的に縁が切れてしまうかな。ま、それはそれで仕方がない。というくらいに思っていた木曾にまた足を向けるようになったのは、昨年なんとなく参加した、菩提寺の「施餓鬼法要」の様子がじつにほんのりと、よい雰囲気だったからだ。

施餓鬼法要

「施餓鬼法要」とは、

餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。(中略)日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。

面倒だからWikipediaから引用してしまったが、不幸な亡くなり方をしたものを供養することで、お盆の嚆矢とする、ということか。調べが至らず、いい加減な解釈で恐縮だが、この行事がなんとも言えずによいのだ。

午前の仕事が休めない、という家内の帰宅を待ち、出発したのは13:30を回っていたが、急ぐ旅ではない。施餓鬼法要は17:00からだし、他に行くところもない。ゆっくり行って今日中に帰宅できればよいのだ。長野インターから高速道路に乗り塩尻まで。そこから中山道を通り上松町まで、というルートはいつも通りである。権兵衛峠が整備されてからは、伊那まわりで木曾に至る、というルートも出来たのだが、時間的にあまり変わらないのと、高速道路料金が高くなる、という理由で一度使ったきりだ。ゆっくりゆっくり来ても、到着したのは16:00を少し回ったくらいであった。それでも少し早いが、わが家にはもう一つ恒例の行事がある。それは五平餅を食べることだ。

五平餅

五平餅はご存知の通り、半搗きしたご飯(半ごろしという地域もある)を串うちし、成形したものにタレをつけて焼き上げたものである。

中部地方の山間部(長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方や山梨県)に伝わる郷土料理。[Wikipediaより]

というが、小判型だったり、団子型だったり。はたまた串うちせずにおにぎり状だったり。タレも醤油ベースだったり味噌ベースだったり、クルミが入ったり、ゴマもしくはエゴマを使ったりと各地で様々なバリエーションがある。名物・名産というより、人びとの生活に深く根ざした食品ととらえるべきであろう。
また、本のタイトルNHK連続テレビ小説「半分、青い」に登場してからというもの、売り上げが急増してしたのだとか。とはいえ、あのドラマは岐阜が舞台だから、木曾とは関係がないが。

【お店のデータ】
食堂 中村
場所 長野県木曽郡上松町寝覚ノ床入口
電話 0264-52-2183
駐車場 あり

こちらは、わが家御用達、…という事でもないが、義父の時代から使わせてもらっている店である。率直なところ、どうということのない、昔ながらの普通のそば屋であるが、この五平餅を食べないとどうも木曾に来た気がしない。先に話したように、五平餅は生活に根ざした食品だから、どこのものが最高に美味い!ということはないと思うのだが、ここの味わいがもっとも口にあっている。何十年ものつきあい、ということもあるからだろうが。

「五平餅セット」

長径20センチ、短径5センチほどの五平餅二本にコーヒーがつく。昼どきならそば、サラダとの組み合わせである「五平餅定食」を食べるのだが、夕食に差し支えるのでこちらにする。
半搗き、半ごろしというが、要するにご飯である。だから、これ一つでもかなりな食べごたえとなる。味噌をベースとしたタレも、砂糖とクルミなどの木の実とが加わって、とても複雑な味わいである。美味い、安定の味わいといってよいだろう。

美味しい五平餅を食べつくし、ようやく本番である。わが家の菩提寺である臨川寺は、そば屋のすぐ隣、歩いて数分もかからない。ここは、木曽川に面して建っており、木曾最大の景勝地である「寝覚めの床」の直上に位置する。というか、下まで降りたければ、境内を通ってからでないと行けないようになっている。

「寝覚めの床」

木曾山系は、もともと花崗岩によって構成された地形である。数万年におよぶ木曽川の流れによって、花崗岩が侵食され、できた自然地形で、巨大な岩が様々な姿を見せている。この名は

浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年(938年)この地から姿を消した。 [Wikipedia]より
また巷説によれば、浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという [Wikipedia]より

との事だ。
そもそも臨川寺の建立由来は「寝覚浦嶋寺略縁起」なる書物に記載されているそうだし、併設されている「宝物殿」と呼ばれる施設には、「浦島太郎の釣竿」が展示されている。

なお、宝物殿には様々な古い生活道具や昔の教科書、明治天皇の御真影などが展示されている。興味深いのは「吉良流作法書」とされる資料である。吉良といえば「忠臣蔵」(という表現は間違いだそうだが、ここではこれで統一する)に登場する、吉良上野介義央で有名だ。もともと公家侍の家系で、勅使饗応指南役だったのでこのようなマニュアルを用意されていたという。書物だけではなく、着付けや膳のつくりなど和紙できれいに作り上げられている。現代でも、十分通用しそうなものである。「忠臣蔵」以降、吉良流は廃れ小笠原流に取って変わる。まことに歴史は非常なものである。

こんなマニアックなものがある宝物殿は、歴史好きにとってはまさに宝物のヤマである。お好みの方はぜひお越しください。

そして本番

さて、いよいよ施餓鬼法要である。
率直なところ、何ということのない法事である。日暮れ少し前に、境内に設置された大きな屋根つきのテラス(住職は「休憩所」といっていた)で、三々五々集まってきた、大勢の檀家衆の前で、住職の他いく人かの僧侶が読経する。それだけの事なのだが、次第に暮れてゆく日差しの中、読経の声、人びとのさざめきがうまくブレンドされ、耳ざわりよく心地よいのだ。

ご近所の、というより同じコミュニティの仲良し同士が、先祖を敬い、皆がみな、お互いをリスペクトしあい、無病息災を祈る。人としての心の中にある、素直な気持ちが溢れ出てきているようで、なんとも言えずによいのだ。宗教行事、というほど大層なものではない。日常にある、ごく当たり前のこと、という感じなのだ。正直を言うと、今まであまり出会ったことがない雰囲気なのだ。
「田舎だからね」
と、親戚は言う。たしかに、東京の菩提寺でもなかったように思う。とはいえ、「施餓鬼法要」などごく当たり前にだと思うし、大々的なイベントとして行っていないだけではないか。そもそも、こちらの信仰心も薄く、いちおう天理教に入信しているのだが、何十年も行っていない。…もう一つ、ある宗教団体に加入しているはずだが、名前だけで、まったく関係がない。どこかは秘密だが。
そんなわけで、もともと薄い信仰心、縁のある寺でもこんな行事はなかった。というわけでほぼ初体験、それがとても心地よく、気に入ってしまったのだ。

読経が終わり、全員が焼香とお供米と水を捧げ、塔婆をもらって帰宅する。わが家の分を探したら見当たらない。住職に訊ねたら
「ああ忘れてた」
と言われて、その場で新しく書き上げてもらう。数が多いから仕方がない。こんな事があるから、余計と楽しいのだ。…また来年。


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お盆とTwitterのある風景


Twitterを始めたのは2007年だったか。
GREEだのmixiとはまた違う、言いっ放しで面白いよ。と、友人に誘われて始めたものの、最初は勝手が分からずにいたのだが、昼ごはんのことやら、読書の事を書きとばすうちに、「短文できめる」ことの面白さに気づいて、一時ドはまりしていた事がある。そして数年イヂくり回すうちにFacebookと出会い、TwitterにはBOT仕込んで放置して、昨年暮れから再開して。という、B型気質丸出しで現在に至るわけだ。
 
 
B型らしく、いきなり話を飛躍させるが、Twilogというサイトをご存知だろうか。IDを入力すると、そのTweetをまとめてブログ形式で表示してくれる、便利なサイトである。たまぁに覗いてみるのだが、これが面白い。数年前の自分はこんな事をやってたんだ。あんなことを考えていたのだ、とじつに興味深い。
 
 
2011年02月18日(土)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
おはようございます。今日は朝からバタついております。いかに怠惰な日常を過ごしているかがわかります。(゜∀゜;ノ)ノ #ohayou

 
7年ちょっと前のTweetで、もっともハマっていた時期のものだと思う。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
朝からバタついてましたがちょっと落ち着いて昼ご飯。久々に〈ししとう〉にて『レバニラ炒め定食』を。ウマかった

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
喜国雅彦『東京マラソンを走りたい』読了。江口寿史と並ぶ〈下らねーギャグマンガ〉のスペシャリストの『愉しくだらだら走る』ための本。要はモチベーション管理なんだよね。ワタクシのダイエットと同じやり方。仲間がいたぁ♪とナニか嬉しい (///▽//)

 
現在と同様、よく食べているし、老眼がひどくなる前なのでよく読んでいる。また、当時はダイエット中でもあったようだ。なお、日付の記載は変わった時のみとする。煩雑だからね。
 
 
2011年02月20日(日)

おそようです。チョイとバタついており、ようやく昼ご飯。今朝から蕎麦蕎麦とアタマにざるそばがこびり付いていたので〈草笛〉で『中盛』を ♪ d(⌒o⌒)b♪

 
「おそようです」というのは朝イチTweetができなかったからだ。事情があるのだが、それはまた後ほどとして、以下、しばらく読書感想タイムとなる。
 
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 読了。『悪名の棺』の笹川良一から堺利彦。〈最後の右翼〉から〈最古の左翼〉。間に何冊か入ったけど、毀誉褒貶というかふれ幅が大きいというか。我ながら節操のない読書傾向。

 

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堺利彦といえば幸徳秋水や大杉栄といったビッグ・ネームの影にいた地味な人。というイメージしかなかった。世間でも『まぁそんな感じじゃない?』という程度ではないか?関川夏央・谷口ジロー『明治流星雨』でもそんな扱いだったし。でもそんな扱いが出来るような人ではなく、もっとスゴい人だった。

 

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堺利彦とは初期の社会主義運動をほとんど一人で支えた人。幸徳や大杉よりも大きな事績を残した人だった。幸徳秋水には崇拝者がたくさんいた。カリスマとしての素質もあり、大逆事件(明らかな冤罪)で処刑されたことで伝説となった。大杉栄も同じ。関東大震災のドサクサで虐殺され英雄となった。

 

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そして、指導者を失った若者たちを支えたのが堺利彦だった。明治の末期。一度でも〈主義者〉というレッテルを貼られた者は国からの弾圧だけでなく、周囲からの差別・侮蔑の標的となり、仕事もなく、生計を立てるのに凄まじい困難が伴った。

 

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そんな彼らを最も面倒を見たのが堺利彦だった。筆がたち、誰からも好かれる人柄は例え〈主義者〉であっても一目置かれる存在であった。

 

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そんな彼が社会主義者にとっての〈冬の時代〉を乗り切るために創立したのが『売文社』。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
■新聞、雑誌、書籍の原稿製作並に編集■論文、美文、小説、随筆、記事文、慶弔文、書簡文、趣意書、意見書、各種文章の代作及び添削■英、獨、仏、露、伊、漢等、一切外国文の翻訳並に立案、代作■談話、演説等の筆記及び速記■寫字及びタイプライタ■出版印刷代理

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
というのが〈売文社〉の営業品目。日本初の広告代理店であり編集プロダクション、翻訳会社ともいえる組織を作り上げた堺利彦に惹かれる。その人柄に、その柔軟な発想に。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推進していった』これが堺なりの〈運動〉であった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈運命〉ってやっぱりあるのかな?と思わされた。ワタクシ自身は運命論者ではないのだが、こういう生涯を見るとつくづく誰かが『お前はこのようにしか生きてはいけない!』と決めているのではないか?と感じられてならない。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
大逆事件の際はたまたま獄舎におり連座を免れた。関東大震災の時も同じく獄舎にいたから虐殺されずにすんだ。第一次共産党事件の時もほんのわずかなことで処刑を免れた。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
不謹慎を承知で言えば、こういう大変な極めてキツい時代には〈英雄として〉死んでしまった方が幸福なのかもしれない。『彼はすごかった』『アイツは素晴らしかった』と皆が誉めてくれる。恐らく堺も同じように思ったのではないか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
どう考えても大変でしょ?彼のやってきたことって。幸徳秋水やその他の人々の遺骸を引き取り、葬儀をだし、その後数ヶ月かけて遺族に慰問の旅に出る。帰還後は前述の通り、仲間や後輩たちの生活のために東奔西走の日々。それも内外からの迫害を受けながら。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
ナンにしても、スゴい生涯であった。こういう人に、ワタクシもなりたい。黒岩比佐子という方の作品は初めてだったが、素晴らしい力作だった。あとがきに膵臓がんの治療中であると記されていたが、その後はいかがであるのか。ご快癒を心からお祈りし、次の力作をお待ち申し上げております。

 
 
いやいや、なかなかどうして「書けて」いるではないか。
自賛は好まぬが、きちんと「書評」になっていると思う。ここでもう少し精進していれば、ソーテック社から本の一冊も出版できていたかもしれない。

ちなみに、「パンとペン」の著者 黒岩比佐子は、この書を最後に他界された。まことに残念なことだ。そしていまでも私のフェイバリット作家の1人である。
 

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『街並み 第39号 門前町の食堂』読了。読了とは言わないかも。写真雑誌だし。この雑誌を読む(観る?)のは二度目。どことなく懐かしく暖か (///▽//) 視点が優しい。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
善光寺門前界隈にある6つの食堂 〈和食処いかほ〉〈つたや食堂〉〈司食堂〉〈御食事処ことぶき〉〈中国料理 杏林〉〈しまや食堂〉 どこもかしこもウマそう。晩ご飯前だから余計と感じる。一刻も早く行って腹一杯喰ってこないと。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
権堂アーケード〈らあめん 花月園〉にて夕食。『豚そば 銀次郎』にキャベツ・コーンをトッピング。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『これが、嵐げんこつらあめん こだわりの食べ方だ!!』という書き物が。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その1】ブラックペッパー 振るべし!!スープ全面をおおうほど、『これでもかっ!』と振りかけると、よりパンチの効いた味になるぞ!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その2】秘伝のらあめんダレ かけるべし!! パ~ッとひとかけすると、なんとも言えない風味が立ち上がり『こりゃ~もうたまらん!!』

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その3】激辛ニラ 入れるべし!! 旨いからといって入れ過ぎるとその激辛にヤラレます。入れ過ぎに注意だ!!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その4】生ニンニク生しぼり 搾るべし!! 特製プレスで搾ってみてください。この元気な旨さはもはや説明不要ですよね~。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
嗚呼ウマかった。チョイと甘めなのが気になったが、美味しい部類に属するお店でした。これからまだ用事があるので〈生ニンニク生しぼり〉が出来なかったのが心残り。

 
 
などと、現在とまったく変わらぬノリで書いている。まった進歩がなくて困りものである。
困りもの、といえばこの数日やけにTweetの数が多いのである。いや、世の中には一日に何百とやっている人はいるのだが、そういう意味ではなくあくまで私のこと。それに、どことなく地に足がついていない、そんな風には読めないか、自分以外では。じつはけっこう、特殊な環境におかれていたのである。
 
 
2011年02月21日(月)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
(・_・)んッ…?そういえば、このところどうしたの?ジムの話題は出ないし、晩ご飯も外食だし。…ははァ マスオさん稼ぎ悪いクセに態度デカいから、お舅さんに追い出されましたね? と幾人かの方から言われましたが、さにあらず。現在、病院に昼夜つめております。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
実を言えば、うちのおばあちゃんの具合が悪く、ほとんど〈忌まわの際〉という状態。この1年、寝たきりの状態だったにも関わらず旺盛な生命力を保ってきたおばあちゃんもそろそろかな?という事態になってきたようです。

 
ようやく出てきた。
その通り、この時は同居していた義理の叔母が死にかけていたのである。
7年前は、義父は高齢で腰が悪く、病院と自宅の往復に支障があった。家内も子供たちや家事がある。必然的に、ヒマだった私に付き添い役が回ってきた、というわけだ。
それまで「身内の死」には何度も相対してきたことがあるが、自ら「看取る」ことは、この時が初めてのことで、はなはだ精神的に平衡を失っていた。要するにテンパっていたのだ。「忌まわの際」なんて思い切り間違っている。「今わの際」だよね。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
当然のことながらこういう経験は初めて。読書しながら、おばあちゃんの波乱万丈な生涯(ホントなのです)に思いを馳せたり、おばあちゃんが今どんな心持ちであるかを想像したり。

 
「波乱万丈な生涯」とは彼女が満州で体験した、一連の出来事や、帰国してからの労苦を指す。そのうち、記録としてまとめたいと思いつつ、何年も経ってしまっている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
なにしろ意識混濁状態なので、痛いのか苦しいのか。はたまたツラいのかが全くわからない。たまに顔をしかめてみたり、軽く声を出してみたり。見ようによっては苦しんでいるとも、そうでないとも見える。本人に聞いても答えが返ってくるわけもなく、弱ったものだ。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
痛かったり苦しかったりしなければ、全く問題ないのだけど。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
また、我々と過ごした最後の日々は幸せであったのか?と考えたりもする。わずか5年間の同居生活であったが、果たして快適に過ごして貰っていたのか?

 

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書き忘れたが、〈おばあちゃん〉といっても義父の〈連れ合い〉ということでもなく、我々や子どもたちにとっての〈祖母〉ということでもない。義父の姉であり、家内の叔母にあたる方。生涯を教育者として、家庭を持たず、兄弟たちのために仕事に生き抜いた方。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
とにかく行動力の塊でパワフルで。我々夫婦の間では『おばあちゃんは止まった時が死ぬとき』なんて陰口たたいて笑っていたものだが(おばあちゃんごめん!)。この辺りはいずれツィートすることがある筈なので割愛。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈スーパーおばあちゃん〉はずっと義父と二人暮らし(義母は10数年ほど前に他界)していたが、80半ばを過ぎて大病してから、『こりゃマズい!』と我々が同居、お世話をすることになった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
家内はもともと看護士なので、介護などお手のもの。そういう点では非常に快適な生活を送って頂けたと思うのだが。掃除・炊事・洗濯もしなくてよいのだし。ただ一点なくしたものが。それは〈自由〉。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
常に日本全国あっちゃこっちゃ走り回りかけずり回りしていた人が、チョイと足腰が弱ったからといって『車椅子に乗れ』『外に行くときは1人じゃダメ!』などと言われ。…別に意地悪ではないので。身体能力そのものが弱っていたので、単独行動はムリ!という判断の基ですから。念のため。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
内幕はともかく、そういう大切な〈自由〉を亡くしてしまったおばあちゃんの気持ちは、ホントのところどうだったのかな?と考えているとちょっと切なくなる。考えすぎか f^_^; まぁまだ亡くなったわけでなし。このまま生き続けてくれるかもしれないのだし。

 
そうなのだ。彼女の自由をうばったのは私なのだ。
生涯結婚せず、子供のない彼女にとっては教え子たちは「自分の子供」そのものであった。以前のように全国を飛び回りたい。教え子たちの行く末が心配でならない。その気持ちはよく理解できる。しかし、それは本人自身が動くことが出来てこそ、なのだ。よくてウォーカー、少し長い距離は車いすでしか動けない者が、いったいどうやって教え子の基へ行くというのだ。
 
同居を始めた当初、
『東京で同級会がある』
『一年も前からの約束だから奈良までいかなければ』
『バスに乗せてくれれば、岡山までカンタンに行ける』
と言い張る叔母に対し、今後のこともあるので、家内と二人、叔母に談判した時のことは今でも忘れられない。
 
『叔母ちゃんの旅行好きはよく知っているし、生きがいなのもよく分かっている。でも、今の状態で行けるわけがない。身体をもっと悪くしたら、元も子もない。だからもう遠出は行かせてあげられない。一人でなんて以てのほか。そのかわり、長野市近辺だったらオレが責任もって連れて行くから』
黙って頷いた叔母の、老人特有の無表情の瞳の奥に、悲しげな色が浮かんだように見えたのは、気のせいであったろうか。
 
無論、約束は守った。長野市近傍での会合や、同級会へは何度も同行した。「満州体験を語る」という趣旨でTV出演もしてしまったことがある。
ということで、やるだけはやった。周囲からもずいぶんとお褒めの言葉をいただいたし、おそらく本人も感謝してくれているとは思う。
それはそれで喜ばしいことである。満足でもあるし達成感もある。ただ、本当にあれで良かったのか。と、思わなくもない自分もいる。あれほどエネルギッシュに動いていた人を、ベッドに縛りつけることにしたのは私だ。だが分かっちゃいるけどもう少しよい言い方、やり方はなかったものか。オレはものすごく残酷なことをしたのではないか?と、8年も経過した現在に至るまで自問の日々を過ごしている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
1時間ほど前におばあちゃんが亡くなりました。享年92。穏やかな最後であったのではないでしょうか。これから数日間、忙しくなります。

 
亡くなったのは、翌日の午後2:23だったか。2月22日で、あと1分で揃ったのに、と家内と家内の姉が話していたのが、アタマの片隅から離れない。
 
 
以上、8回目のお盆を迎えての思い出話であった。


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【映画days #11】コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~


多事争論

多事争論とは福沢諭吉が好んだ言葉として有名である。
「自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し」
「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」
自由とは、違う立場、違う意見を持つ者たちが議論をすることの中にある。単一の議論は、たとえすなおなよいものであっても、決して自由とは言えない。というほどの意味か。まことにあって然るべき態度であると考える。そして、逆を言えば、議論を沸騰させること、多種多様な意見交換を実現するものほど尊ぶべき。ということにもなる。

「コスタリカの奇跡」

コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~」(2016)
という映画を観てきた。コスタリカは、チリやウルグアイと共にラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国で、中米では例外的といってよいほど、政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な「中米の楽園」と呼ばれるほどの国である。社会保障が充実し、識字率は高く、国民皆保険制度を導入しているなど、「楽園」の名にふさわしい存在といえる。
なぜ、「楽園」を実現することが出来たのか、それは常時軍を廃止することにより、予算を社会保障費に充当、

無料の教育、無料の医療を実現し、環境のために国家予算を振り分けてきた。その結果、地球の健全性や人々の幸福度、そして健康を図る指標「地球幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いているのがコスタリカである。またラテンアメリカで最も安全とされている国でもある。

公式HPより

1949年、当時の大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールによって軍隊廃止宣言がなされてから、1980年代にオスカル・アリアス・サンチェス元大統領による「非武装中立宣言」、そして現代にいたるまでの希望と栄光、そして苦難の軌跡を描いたドキュメンタリー映画である。

なぜ、ここに至ったか

と、このように書くとよいことづくめ、何もしらなければコスタリカは地上の楽園として刷り込みがなされそうだが、現実はそんな簡単なものではない。
コスタリカ内戦によって大統領に就任したホセ・フィゲーレス・フェレールが軍隊を廃止したのには、一に元大統領であるカルデロン・グアルディアの勢力の力を削ぐことであった。これはその後ラテンアメリカ諸国で多発した、軍事クーデターを防止することにもつながった。また、

これは、リオ条約と米州機構の存在によって成り立つものである。すなわち、米ソ冷戦期において米州における相互防衛を謳った米州相互援助条約(リオ条約)と、集団的自衛権を認めた集団安全保障機構である米州機構の存在が、コスタリカをして独自の戦力保持を否定させた要因である。

これは、ねたねこという方の「FUNGIEREN SIE MEHR !!」というブログからの引用である。

軍隊の役割は警察組織に委ねられ、有事の際は民兵団を組織できることが法制化されている。このとこは、作中で言及はされているものの、深くは掘り下げられていない。
1986年オスカル・アリアス・サンチェス大統領による「非武装中立宣言」にしても

当時隣国ニカラグアのサンディニスタ政権に対して反政府活動を行っていたCIA、コントラの後方基地(聖域)がコスタリカ領内にあったことに対する国内外の批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズ

という見方もできる。
すなわち、その場その時の状況を踏まえた、政治的な事情による選択であり、必ずしも理想を追い求めた結果、というばかりではないことは間違いない。そこにあるのはしたたかな行動力と、クールなリアリズムをもつ政治家たちの、「国を守り豊かにする」という野望である。

あらためて、多事争論

あらゆる人間は、善悪両面の性質を持つ。双方を持たねば生きていくことすらままならない。それが人間であり、多面体な、ほかに例のない複雑な生物なのである。その人間が構成してできた「歴史」を片側からのみしか見ないことほど、愚かな行為はないのだ。
いずれにせよ、
「だから軍隊廃止、非武装中立などあり得ない」という議論は間違いである。
反対に
「軍隊を廃してこその平和である」と言い切ってしまうのも間違っている。

「平和を抑止力とした」ということそのものが「コスタリカの奇跡」なのだ。
われわれが見るべきはそこである。この作品のHPに

「改憲をめぐって自衛隊の存在が論じられている今こそ、70年前に軍隊を解体したコスタリカの画期的な取り組みから学ぶべきことが大いにあります。日本の全国民にぜひ見て欲しい貴重なドキュメンタリーです。」

というピーター・バラカンの言葉があげられている。単純に受け取ってはならないが、深い言葉だと思う。
多事争論
まだまだ、議論を積み重ねていくのは、これからだ。

追伸として

先の「FUNGIEREN SIE MEHR !!」だが、少々偏りすぎだし、言い過ぎ(「ポーズ」なる表現)がなくもないが、きちんと根拠が示されていたりと、基本的にクールで面白い。よかったらご参照いただきたい。


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あらら?冒険記 大腸鏡編


健康診断とその結果

先々月の健康診断の結果は、想像よりもよいものであったといえる。…よい、という表現はやや微妙なものである事は素直に認めよう。喫緊の、あるいは至急の治療や投薬が必要ないだけで、メタボではあるし、現在の通院と治療を忘れずしっかり行え。歳も歳だから、暴飲暴食は避けよ。との事であった。

ただ一つ、「要検査」とされたものがある。
便潜血+
要するに、大便に血液が混ざっているよ。大腸に何か、疾患があるかもしれないよ。そういう事だ。
何かがあるかもしれない。

そんな事は、年齢からしてあり得ることだろう。いつまでも若くはない。臓器も弱ってきているだろう、先に言った通り、メタボでもある。むしろ、「何か」があって当たり前なのかもしれない。ま、あったところで、その場で対処するより他にない。深刻な事であれば、それはそれで興味がなくもない。いずれにせよ、長く放置しておいても意味がないし、面白くもない、検査しに行くか。いざ、冒険の始まりである。

大腸鏡検査

検査、といってもいきなり病院へ行き
「はい!お願いします!」
という訳にはいかない。まずは主治医の基へ相談にいき、検査を行う、行わないの判断をしてもらう。
「ま、やってもらった方がいいね」
というお言葉を頂き検査決定。検査とは「大腸鏡検査」である。体内にぐりぐりと機械を差し込み、中を覗くという、一見乱暴にみえるが、現代的に洗練された手法なのだという。疾患があれば、その場で試験体を採取する事も出来れば、手術も可能である。この技術が進化したおかげで、開腹手術が劇的に減少、リスクも少なく、予後もさしたる心配はいらない。言わば、医療に革命をもたらした。といっても過言ではない技術である。

しかし、今回の検査は大腸鏡である。はなはだ尾籠な事で恐縮だが、お尻から中へ、という工程を経る以上、検査機関は限られてしまう。主治医は
胃カメラの名手なのだが、こればかりは仕方ない。連携している総合病院を紹介してもらい、そちらへと赴くこととなる。

地方独立行政法人 長野市民病院

こちらは、北信地区の拠点病院となっており、30診療科400床という、大々的な総合病院である。
7月の終わりに第1回目の受診。といって、実質的に予約だけなのだが、検査をしてくれる先生と行会い、準備などをきかされる。

前日はなるべく繊維質の多い食品、例えば生野菜など残渣となる可能性のあるものは出来るだけ避けて、20:00までに夕食を終え、下剤を飲むこと。その後は検査終了まで、水・お茶以外のものは一切とってはならぬ、というお達しである。
と、ここまで大袈裟に書いたが、じつは大腸鏡検査はこれで4回目なのである。しかもすべて市民病院でやっている。勝手知ったるものだ。

検査までの段取り

マニュアル通り、朝食は抜いて摂取できるものは水もしくはお茶のみ。まことに侘しい朝の時をすごし、10:00に市民病院到着。10:30でよいと言われていたのだが、われながら気早なことである。時間があると、ついレストランを覗いてしまうのは仕方のないことだ。和風モーニング、焼き魚がこれほど小さければ、腹の足しにならない。しかし食べたい、おれは腹がへっているのだ。
「コーヒーor紅茶 お替り自由」
という文言から目が離れない。あゝおれは腹がへっているのだ。

内視鏡検査室で受付完了後、直ちに儀式が始まる。すなわち腸管洗浄という、キツいキツい通過儀礼があるのだ。オリビア・ハッセーにジョン・レノンをふりかけ、マーク・レスター風味をつけ加え、数回咀嚼したような看護師さんが丁寧に教えてくれる。想像できない?ならばそれでよいではないか。おれは腹がへっているのだ。

オリビア看護師と儀式の始まり

腸管洗浄剤モビプレップ、誠に妙な名前の薬だが、これを

モビプレップを250ml、15分かけて飲む
モビプレップを250ml、15分かけて飲む
水を250ml、15分かけて飲む

これを1クールとして、3回繰り返す。以前のものとは変わったようだ。少し量が減ったか。
トータル2.25ℓ。頑張ればひと息で、という事もできるがオリビア看護師にダメ出しされる。では15分おきに250mlをすいーっと。というのもダメ。刺激が強すぎて腸管の内圧が高まり、穿孔の可能性があるとの事だ。
15分かけてゆっくりゆっくりいけ
という。なかなか曖昧なことで、毎度困惑するのであるが、なんとかしてみよう。

いろいろ考えた結果、250mlを80ml、80ml、90mlに分けて5分おきに飲み干す事にする。この辺は、カップについた目盛りを見ながら、かなり目分量ではあるが、それは勘弁してもらう。15分間に250ml飲めばよいだろう。

モビプレップ

それにしてもモビプレップはまずい。
スポーツ飲料に塩を足した、というイメージは以前のものと変わらない。味わいがはっきりした分、口中に残る風味がなんとも言えないのだ。不自然な甘さと塩加減なのである。良薬口に苦し、というがかようにへんちくりんな名の薬はより一層、美味い訳がない。

2時間と少しをかけて飲み干す。その間、7回トイレへの出入りを繰り返す。水様便というが、昨夜から今朝にかけて出てしまっているので、ほとんど色つきの水のようなものである。残渣のあるリアルゴールド、という感じか。
上手くしたもので、3クール目が終わったくらいには看護師さんから合格を宣告される。やれやれ。右隣にいる品の良い年配のおばさんは、飲みきれないといって半泣き状態だ。とにかく飲め、飲み終わったところで確認する、と言われ呆然としている。左隣のジェントルマンは、飲み終わったのに出ない、といって新しくモビプレップが処方された。どちらも気の毒な事だ。

儀式の終わりと読書タイム

処置は15:30からの17:00までの間に行われる。
と聞き、心折れへなへなとその場に崩れ落ちそうになる。現在12:45、最低でも2時間待ちか。仕方ない、図書室で待つことにする。途中、コンビニに立ち寄り冷たい煎茶を購入。併設のレストランメニューにくぎ付けとなってしまうのも致し方のないことだ。

「まぐろとしらすの紅白二色丼」
「チキンと茄子のトマトソーススパゲティ」
「豚肉のコチュジャン炒め」
あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。
図書室とは、玄関ロビーのすぐ脇に設置されているコーナーで、一般書籍やマンガが用意されている。入院患者はもちろん、私のように検査や診察待ちの人も利用できるようになっている。さて何を読むか。

「クッキングパパ」

うえやまとち原作のマンガで、コミックモーニング誌で、1985年から連載されている、長寿作品である。主人公 荒岩一味が、いかつい体躯と繊細な技倆とで料理を作りまくる、というお話だ。あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。

コンビニコミック版だから、連載順ではなくばらばらに収録されている。だから絵の巧拙、構成の違いなどがよく分かる。とくに初期のものは、コミックモーニング創刊時のコンセプト
「20歳代後半、独身男子の処世術」
を踏襲したもので、じつに微笑ましい。「課長 島耕作」だって、連載開始時はサラリーマンの悲哀を描いた、情けないオトコを描いたマンガだったのだ。

内視鏡室と再待機

15:30となったので、内視鏡検査室に戻る。…が、なかなか声がかからない。20分ほどして、先ほどのオリビア看護師から
「最初の患者さんに手間取ってしまい、後が押してしまっている。大丈夫ですか?
大丈夫もへったくれもない。では明日に変えよう、などという事は出来ようはずもない。待つしかないではないか。
そして16:30、17:30が過ぎ、18:00ちょっと前、いい加減キレそうになるタイミングで呼ばれる。検査着に着替えスタンバイOK。それでも検査室入りしたのは18:30くらいだったか。

麻酔と検査と漱石と

検査中は麻酔をする。
という事は、当初から申告していた事である。10年ほど前の第1回検査時に、大変な思いをしたので、以来麻酔状態でやってもらう事にしているのだが、看護師(オリビアとは違う人)から
麻酔、やめませんか?
と言われる。ただでさえ遅くなっているのに、これから麻酔では一層のこと時間がかかってしまうからだ。
いいえ、麻酔はお願いします
遅くなったのはあなた方の都合、苦しいのは私である。という事で注射1本、軽い痛覚とともにコロンと意識を失う。

強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。

とは夏目漱石「思い出す事など」から、いわゆる「修善寺の大患」が描かれた場面である。無論、かほどに大袈裟なことはないが、気分はこれとまったく同様である。

「あらら?さん」
と呼びかけられたのは、注射の後、ほんの一瞬の間のことと思われたが、実時間では20分ほど経過していた。
1時間ほど様子を見る。
と言われたが、もう目は覚めちゃってるし、少しふらつくけど動けるよ、と返したのだが、15分だけ横になっていろ、と言われる。実際には10分ほどだと思うが、放免され着替えることとなる。

検査終了

「先生が見えるまでしばらくお待ち下さい」
待つのはよいが、おれは腹がへっているのだ。コンビニでパンのひとつも食べさせてくれと懇願し、許可が出たのでいそいそ出かける。
「オムカツサンド」
オムレツにパン粉をつけ、揚げたものを具としたサンドイッチだ。コカ・コーラゼロとともに愛おしく頂く。あゝ美味い、しみじみ美味い。とかなんとか言いつつも、食べ尽くしたのは、ものの1分ちょっとであろう。もうひとつ行くかな?と検討を始めた時に、お声がかかる。

言い忘れていたが、担当医は女性であった。色白にしたウーピー・ゴールドバーグを可愛くしたような、というとまた混乱されそうだが、適当に想像してもらいたい。

画像をひと通り見せてもらった上で
何もありませんでした
と、あっけらかんと言われ終了。一ヶ所、ポリープ様のものがなくもないが、色合いやサイズからして良性のものでしょう。襞の反対側、見えない部分に腫瘍がある、なんてこともなくはないのだが、たぶん大丈夫でしょう。潜血も、どこかが擦れて出血でもしたんじゃないですか?との事であった。ウーピー先生、真面目そうだが、シャレもききそうだったので、気の利いたセリフのひとつも言ってやろうかとも思ったが、疲労困憊状態だからか、思いつきもしなかったので、そそくさと帰る。

会計、そして冒険の終わり

時刻は19:30。会計が終わってしまっている、という事なので救急コーナーに回り支払いをする。
7100円
3割負担だから、実際はおよそ23000円の検査である。けっこうな金額で、なおかつ大変な労苦を伴うものだったが、結果は何もなし。
…いや、無くて結構なのだ。前日から起算して23時間30分の冒険は、まことにあっけなく終わりを告げたのだった。

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【うなぎdays #4】長野市「うなぎの宿 住吉」


【お店のデータ】
うなぎの宿 住吉
場所 長野県長野市箱清水2-19-31 [地図はこちら
電話 050-5890-9500
駐車場 あり

うなぎとのおつきあい

貝塚などからの出土状況から分かるように、うなぎは少なくとも、縄文時代から食べられていたという。また、「万葉集」にも登場することから、かなりポピュラーな存在だったと言われている。
「蒲焼き」という言葉は「鈴鹿家記」という室町時代に成立した書物に登場するが、現在の製法とは違っており、われわれの知る「蒲焼き」となったのは、江戸時代中期以降のことだという。
じつはこのあたり、静岡の「蒲焼割烹 うな繁」というなぎ屋さんのホームページを参照している。
実際に醤油焼き、味噌焼き、塩焼きを作り、食べ比べるコーナーがある。味噌、塩はそれなりに食べられるが、醤油はうなぎの脂となじまず、皮に弾かれ味が染み込まないので、美味しく仕上がらない。

現在の蒲焼の誕生には、タレとなる「醤油」と「味醂」「酒」「砂糖」などの甘み調味料の普及と同時に、ウナギを生きたまま裂くという技術が先行しなくては完成されなかったと推測されます。

と結ばれる。この実証主義が素晴らしい。さすが、現場ならではの薀蓄が満載で、迫力がある。よかったらご参照いただきたい。

蒲焼割烹 うな繁

本年はうなぎづいている。
これで4回目(実は5回目なのだが)そのうち3回がうなぎ屋さんという、実に幸せな年である。高騰しているのに、なんて事だ。とお叱りを受けそうでもあるがこういう事もあるだろう。

「うなぎの宿 住吉」

という事で今回はこちらである。うなぎといったら「住吉」と名前がパッとあがる、そんな存在といえる。創業はどのくらいになるのであろうか。昭和から続くという風情の佇まいがよい。

メニューを一巡、それにしても高い。
うなぎ屋はもともと高いのが相場だが、これでは一時の倍額である。昔、新年最初の外食は、こちらの「かさね重」を食べる。という習慣があったのだがもう無理だろう。

「大串丼 ご飯大盛」

デカい丼に蒲焼きがドンと鎮座している。うなぎ1/3サイズと聞いた。昔はこれが1000円くらいで食べられたのに。などという愚痴はおいて、早速いただくのである。熱いものは熱いうちに食べねば、池波正太郎師に叱られてしまう。

価格のことをいろいろ言ったが、味はまったく変わらない。ふっくら、という歯ごたえがたまらない。先だって山椒はご飯にかける、というのを聞いたので実践しているのだがこれが美味い。

肝吸いではなく味噌汁がデフォルトなのがなんとも言えず好ましい。切り干し大根、漬物のあり方も普通の食堂っぽくてよろしいのだ。

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【うなぎdays #3】長野市「花ぶき」斎藤茂吉とうなぎと


【お店のデータ】
花ぶき
場所 長野県長野市箱清水1-10-24 [地図はこちら]
電話 026-234-7337
駐車場 あり(ただし少ないのでお店の方にお訊ね下さい)

斎藤茂吉

歌人で精神科医であった斎藤茂吉(1882-1953)はとにかく、真面目一方の人物であったそうだ。有名な小宮豊隆(1884-1966)との論争〜松尾芭蕉「しづかさや岩にしみ入る蝉のこゑ」のセミがアブラゼミであったか、ニイニイゼミであったかを大真面目に論じ、小宮が半分投げているにも関わらず、数年をかけて決着をつけたりと、凄まじいものがあったという。

しかし、そんな大堅物であったが、真面目すぎが高じ、かえっておかしみが増す、本当に面白い人物だったそうだ。
ユーモア:humorとはhuman:人間が語源というが、茂吉ほど人間くさく、面白い人物はいなかった。という意味であることを、息子である北杜夫が書いていた。
茂吉はまた、無類のうなぎ好きでもあった。
長男 茂太の見合いの席で、後に嫁となる美智子が、手をつけずに残したうなぎを
「いらないならおくれ」
と食べてしまったり、 山形へ疎開する際にはトランクいっぱいのうなぎ缶詰を持ち込み、後生大事に、密かに1人で、愛おしむように食べつくしたという。もちろん、家族に分け与えるなど、考えもしなかったのだとか。

密やかに、静かな「花ぶき」

昨今の高騰は別として、もともとうなぎとは高級品の部類に入るものである。したがって、あまり大っぴらに吹聴すると、あまりよいことはない。…ような気がするので、密やかに、静かに頂こう。ということでお邪魔したのがこちらである。

「花ぶき」

隠れ家的名店、というよりはっきりと「隠れ家」のお店である。以前からこちらの存在は知ってはいたが、予約制というハードルの高さで、なかなか足が向く事がなかったのだ。期待感Full Maxである。

個室空間

内部は個室となっており、庭が伺える。庭そのものはさして広くないが、高低差があるのと、城山公園を借景出来るのとで、とても見事な風景だ。

このようなお店らしくメニューは二択である。蒲焼き、白焼きの両方が楽しめる「しらかば重」。4種類の食べ方が楽しめる「ひつまぶし」。後者はデリシャスコマチアクセスランキング5年連続1位だという。

はじめに

骨せんべいと漬物、突き出しの、ということか。しっかりと揚げられた骨を噛みしめる。さくりとした歯ごたえと、髄に至るときの「くきッ」とした食感がなんともいえない。たくあん、きゅうりの浅漬け、桜漬も、楚々として美味い。

「しらかば重」

いつも通り、優柔不断と激しい検討と、様々な逡巡の果てに、こちらで決定。蒲焼きだけでなく、白焼きも、というのが決定打となった。じつに、華やかな御膳だ。食べるのがもったいない。

「白焼き」

まずはこちらから。今まできちんとしたものを食べた事がなかった。そのままでは淡白でしかないが、わさびあるいは梅塩をのせると絶品である。表面はパリッと、中はふわふわと。美味すぎる。

「蒲焼き」

となると、こちらは影が薄くなりそうだが、決してそんなことはない。蒸さずに焼く関西風とのことだが、これもまた見事な仕上がりである。ミルで挽く山椒をたっぷりかけて頂く。幸福感絶大である。

「ご飯」


けっこうなボリューム、というより他店の大盛りクラスである。それともこちらを見て加減してくれたか。炊きたてで熱々の白飯とうなぎの相性が素晴らしすぎる。

「デザート」

デザートの完成度も高し。甘酒を用いたプリンだという。甘すぎず、さりとて甘酒のクセをごく抑えた品のよい一品であった。

庭を愛でながらの昼食は、なんとも言えずによいものだ。聞くところによると、春先の桜は、それは見事という事だ。ぜひ来春、堪能したいものだ。

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【うなぎdays #2】長野市「浜名屋」平賀源内とうなぎと私


【お店のデータ】
浜名屋
場所 長野県長野市南長野県町600 [地図はこちら]
電話 026-232-7411
駐車場 あり

平賀源内

そもそも、夏の土用の丑の日にうなぎを食する様になったのは、平賀源内が広めた、という説がある。

平賀源内はご存知の通り、江戸時代中期を本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として生きた、大変な才人である。しかも、そのひとつひとつが超一流とくれば、われわれ凡人は、ただ平伏するしかない。
また彼は、日本初のCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけたり、安永4年には音羽屋多吉の清水餅の広告を手がけたりと、日本におけるコピーライトの先駆け、とも言われている。
うなぎも、その連なりでうなぎ屋の主人に泣きつかれた平賀源内が、「けふは丑の日」と店先に張り紙させたら、それが大ヒットした。以来、風習として残ったのだとか。
嘘か誠か定かではないが、本来的に季節とうなぎはまったく関係がないという事は確かである。
とはいえ夏になるとなんとなくうなぎを食べたくなるのは不思議なものだ。さすが平賀源内、習い性分となるほどのコピーを作ってしまうとは。とはいえ今時のうなぎなど、すき家以外では、簡単には食べられない。

「浜名屋」

本年は7月20日と8月1日であるという。何にせよ、暦とは関係のない生活をしている。当該日にうなぎを食す習慣などあるわけがない。と思っていたら、お誘いを頂いた。仕事のご褒美でご馳走してくれるという。仕事を一所懸命やるのは当たり前、と固辞したのだが、強くお誘い頂いたので遠慮なくお邪魔することとなった。場所は浜名屋。県町の一筋入った、ひっそりとある小さなお店だが長野市屈指の有名店でもある。

「うな重(特)」

「うな重」とあるが、(特)はうなぎの量が多いため、丼で供されるという。あまりのつやつや感、しずる感そして、素晴らしいほどの神々しさに、しばらくの間箸をつけることが出来ず、見惚れるだけとなる。うなぎの3/4ほどの量であろうか。ご飯を覆い尽くすうなぎ、うなぎ、うなぎ。

こちらも関西風に蒸さずに焼くのだとか。パリッとふっくら、焼き魚といった風情の蒲焼きである。先だって、山椒はご飯にふる。と聞いたので試したらこれが風味が効いてじつに美味い。病みつきになりそうだ。

「肝吸い」

これは別注文である。まったりな生麩、シャキッとした三つ葉、そしてプリプリの肝が美味い。漬物に奈良漬というのも、変わっていて美味しかった。

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【うなぎdays #1】長野市「すき家 長野SBC通り店」トキかうなぎか


【お店のデータ】
すき家 長野SBC通り店
場所 長野県長野市上松1-16-41 [地図はこちら
電話 不明
駐車場 あり

とりあえず深刻なお話しから

土用とは暦日のひとつで、年に4回あるのだという。その中で十二支でいう「丑」に当たる日を丑の日。その中で夏に属する日を「土用の丑の日」と言っているとのことだ。すなわち、「土用の丑の日」とうなぎは一切関係がない。とはいえ、「丑の日」と聞くと、あの濃厚でツヤツヤの褐色に出会いたくなるのは、日本人の遺伝子にセッティングされているのではないか。そんな気がしている。
近年のシラスウナギの減少は、深刻な問題だ。だからといって、これほど高騰させては、誰も食べる者がいなくなる。誠に悪循環の限りだ。そんな社会問題はさておき、「すき家」の登場である。
もちろん、輸入うなぎである。
先だって(これを食べた後だが)8月3日のYahoo!ニュースで読んだのだが、すき家、なか卯のうなぎはヨーロッパウナギを使用しているのだそうだ。これはヨーロッパに分布する、唯一のウナギで個体数が減少しており、記事によると

 日本も加盟する国際的な自然保護団体・国際自然保護連合の指定によると、ヨーロッパウナギは「絶滅危惧IA類」で、なんとトキより上位のカテゴリーに入る。

のだという。
EUからの輸出は禁止されているが、

EUは輸出を禁止していますが、モロッコ、チュニジアなどアフリカ諸国は、証明書つきで輸出を認めている。違法というわけではない

シラスウナギをアフリカから中国へ。彼の地で養殖され日本に入ってくる、というルートなのだそだ。まったくエラいものを食べてしまった。
…とはいうものの、腹の中に入ってしまったものゆえ、あまり気にしても仕方がない。

すき家 長野SBC通り店

売る方も買う方も、捌かれてしまったうなぎの方も、それなりに苦労してここに来ているのだ。ここは、しっかり美味しく頂くのが筋というものだ。

「うな牛 豚汁セット」

うなぎは半身の1/4程度だろうか。小さなものだが、しっかりふっくらしている。昔の、ゴムのように硬い冷凍ものとは、一線を画した存在といえる。甘めのたれと、じつに「らしく」てよい。

「合いがけ」

これは、すき家の得意技なのである。嫌な顔をする者がいるが、牛丼カレー等見事なコラボである。無論、うな牛も同様に美味い。双方共に醤油ベースだから合わない訳がない。

「豚汁」

うなぎにはしじみ汁を推奨している様だが、興味はないので、いつもの通り、豚汁を注文する。といってうなぎにサラダという気分でないのでお新香とする。

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【読書days #4】やました ひでこ「捨てる。 引き算する勇気」


じつは「断捨離」が好きなのである。
大掃除や身の回りの片づけをする時など、ここまで捨てていいんかい?というレベルで、ドカドカ捨ててしまう。3ヶ月手に取ることがなければ、この先も用事がない。と言われているのをそのまま受け取って、大量のゴミだしを図るのだ。…実際には、けっこう困ったりすることもあるのだが、それは自己責任、悔やんでも仕方ないこと、という事にして諦める、先に進むことを優先する。

しかし、誠に情けないことながら、デスクの傍らがきれいにならない。いつも書類やら資料の山が、崩壊しそうなほど屹立している。
設計という仕事柄、書類にまみれるのは、ある程度仕方のないことであるとは思いつつ、どうすることもできない。プライベートでは発揮できる「断捨離能力」をなぜ仕事にうまく活かせないのか。甚だ、深い悩みの森を徘徊する日々である。

この
捨てる。 引き算する勇気」[やました ひでこ著 幻冬舎刊]
を手に取ったのも、そのような背景があったからこそなのだ。


モノが増えることは仕事が遅れることを意味する。そんなことは言われなくとも理解している。ではなぜ、モノが増えるのか。というところを分析すると、以下の三点に収斂される。すなわち、

<先送り>
<何かあったら>
<もったいない>

仕事を<先送り>することほど、無駄なことはない。現在、眼前にある仕事を即座に、効率よく片づけることが「仕事」なのだ。

仕事に<何かあったら>はない。紙類や文房具類をむだ使いしない、という事とは一線を画すこと。想定できないことに捉われていては、時間とスペースの無駄にしかならない。

同様に、仕事に<もったいない>はあり得ない。この資材を大事に使い、数十万円のコストダウンに繋がった、という事なら話は別だが、大した事でもないのに、いつまでもこだわるな。

以上は、読んでいた上での感想である。誠に耳が痛い。「人・物・金」を動かすことが仕事ならば、整理整頓の善し悪しは、その三者の推進または停滞を決定づける、といっても過言ではない。

まずは落ち着いて、分析してみよう。
と、著者は言う。自らの仕事と、今、絶対にすべき行動を見つめていけば、おのずと整理整頓は出来て行くはずだ。「すてる勇気」をもとう。

・デスクの上には進行中の仕事の書類だけを置く
・書類は基本的に読み終えた瞬間に捨てる
・財布は最も身近な情報の断捨離
・名刺をとっておく意味はない
・捨てる対象は、「使用頻度・価値・感情」で判断する
・捨てられないモノに目を向けると自分がわかる

ポイントを眺めただけで、この書の全体が理解できる。「断捨離」の精神をもってこそ、仕事ができる、というものなのだ。逆を返せば、何も考えてないからプライベートでは捨てられる。仕事上ではダメ、という事になる。誠に反省しきりの読後である。

著者はクラター・コンサルタントとして活躍されている方である。クラターとは英語で「ガラクタ」を指す言葉で、

住まいに溢れるモノたちを見つめ直し、モノとの関係性を問い直しながら、今の自分に「不要・不適・不快」なモノを取り除くための助言やお手伝いをすること。結果、住まいが片づき、ついでに心の中のガラクタとも、はい、お別れ…。そう、住まいと心のガラクタをコンサルティング…という仕事

HPより

だそうである。「断捨離」という言葉は彼女の商標登録であるとのことだ。しまった、こんなに凄い人だったのか。また、追いかけなければならない著者が増えてしまった。

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【読書days #3】伊藤 羊一「1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術」


あまり信じてはもらえないのだが、人前で話すのが苦手なのである。1人2人や、せいぜい10人の前では、どうという事もないが、数十人単位の席となると、足がすくんでしまったり、アタマが真っ白になってしまったり。カンニングペーパーを用意していても、読み間違えたり、声が出なかったりと、散々なこととなるので、あまり人前に出るのを避けるようにしている。

とはいえ、どうしたところで、いくら意図的に避けようとしていても、数年に一度くらいはお鉢が回ってくる、やらねばならない事態は必ずくる。これは社会人として、社会に参加している者としては、致し方のないことでもある。

だからせめて、少しでも改善したい。せめて、その場だけでも、なんとか取り付ける事ができる程度にしたい。と、手にとったのがこの本である。正直なところ、タイトルと表紙、表紙に記されたわずかな情報だけの、いわば直感のみで選択したのだが、私の想像を遥かに凌駕した内容であった。

「1分で話せない話は、どんなに長くても伝わらない 」
のだ、と著者は言う。長い話は、考えそのものがまとまっていない証拠であり、相手に「伝わらない」最大の原因なのだ。
伝わる伝え方の「型」、「結論の決め方」、「言い切れない」というメンタルの部分の話、そして1分で記憶に残す方法など、誰でもできる方法を、懇切丁寧に記される。

もともとは
「人に何かを伝えることが本当に苦手だった」
と言い切る著者が、いかに克服し、孫正義にすら一目置かれるような伝説のプレゼンターとなったか。その軌跡を追うだけでも、十分面白い「読みもの」でもある。
「動かしてなんぼ 、『きれいに話す』ことが目的ではない」
「意味がつながっていれば『ロジカル』と言えるのだ」
「『基本的に』は不要である。いらない言葉をいかに削るか、が肝心なことである」
「頑張ったことは話すな」
など、語られることは実践そのものでしかない。先に記した、「想像を遥かに凌駕した」というのはこの点である。

著者はヤフー株式会社、Yahoo!アカデミア学長、株式会社ウェイウェイ代表取締役など様々な役職につく、いわばスーパー社会人とも言える方である。それだけに、説得力の凄まじさは半端でない威力である。さて、次回のプレゼンはいつであろうか。実践してみたくてたまらない気持ちだ。


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【読書days #2】横田 伊佐男「ムダゼロ会議術」


くだらない「会議」

世の中に「会議」ほどくだらないものはないと思っている。そんな事は、私だけではない。私以外の誰もが考えていることだろう。
では、やめてしまえばよいではないか。
という者もいる。何人、何十人、雁首揃えてアタマ抱えていてもなんの意味もない。「良策」を出すのは「集団」ではない、優秀な「個」が出すものなのだ。という事も、至極まっとうな意見である。

なぜ「会議」はあるのか

ところが、誠に残念なことながら、世の中にある大半の会議は「決める」事にあらず、「調整」を行なったり、集団で「なんとなく議決」する事で、リスクを分散させる。そんな役割を果たしていることの方が多いのだ。カリスマ経営者が、ビシッと「決める」などという事がない限り、誰しも責任は取りたくない。失敗して、詰め腹切らされるのは嫌に決まっている。だからこその「会議」なのだ。みんなで決めた事にして、リスクを分散させる、これが「いつもの会議」のあり様なのだ。無論、わが経験で言っているだけだが、どこでも似たようなものだろう。こんなことでは、いつまで経っても「くだらない会議」はなくならない。

「ムダゼロ会議術」本書のねらい

時間が長い、中身が薄い、発言がない、何も決まらない。そんな会議をやめませんか?と、この「ムダゼロ会議術」の著者は言う。生産性も落とす、モチベーションはもっと落とすだけの会議を根絶しよう。


ムダゼロ会議術

ぜい肉たっぷり、長くて薄い”メタボ会議”を、ムダがなく、短くて濃い”筋肉質会議”に変えていく。 日本中に蔓延するダメダメ会議を根絶すること。

それこそが本書の狙いである。
著者は「カリスマ」と言われた経営コンサルタントである。延べ3万人に及ぶ人びとに、マーケティング戦略などを叩きこみ、これまで数千、数万の会議に参加した剛の者である。この書に横溢する、説得力、分かりやすさはそこから発しているものであろう。

本書の構成・まとめ

本書の分かりやすい構成は、見事としか表現しようがない。

① 会議の「4つの悩み」にフォーカス
時間が長い」「内容が薄い」 「何も決まらない」「発言がない」という、ダメダメ会議にありがちな4点を分析して、徹底的に無駄を省くノウハウを語る。
② 解決策は「紙1枚」に集約
対策は常に「紙1枚」にまとめる事。それでこそ記憶に残りやすくなる、記憶に残れば実践もしやすくなるのだ。

そして、前半の基本理論、後半の応用編と、バランスよく語られる。プロの経営コンサルタント、カリスマの語り口は、見事といえる。
早速、この書に基づいて、ダメダメ会議を排して行かねばならない。すぐには無理だろう。でも、やらねばならない。明日のために。


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【読書days #1】樺沢紫苑「学びを結果に変えるアウトプット大全 」


はじめに

本は読むもの、映画は観るもの、音楽は聴くもの、そして知識はため込むものである。というのは間違いではない。でも、果たしてそれだけで事足りているのであろうか。
「あの本の、ここがよかった」
「あの俳優の演技は絶品だった」
「あのプレイヤーの演奏は、どうだった」
と、知人や友人と話し込む事がある。これはこれで楽しいひと時であるし、必要な事でもある。しかし、それだけでは如何ともしがたいものがある。

今までのこと

「読む」、「観る」、「聴く」あるいは「食べる」でもよいのだが、これまでわれわれが、いや私が執心してきたのは「インプット」すなわちため込むだけであった。取り込んで得た情報を、
「ああ良かったな」
という感想とともに、心の奥底へしまい込むだけのことであった。それだけならまだよいが、しまいこんだものが、いつの間にか、どこかへ行ってしまった、なんてこともよくある事だ。
「あの映画、すごい感動したけどすぐに忘れちゃった」
「あの本は、分かりやすいんだけど、全然あたまに入らないんだよね」
そんな事はザラにある。

「インプット」と「アウトプット」の関係~脳の仕組み

この「学びを結果に変えるアウトプット大全 」によれば、それは人間の脳の仕組みが、もともとそのように出来ているからですよ。
と、精神科医である著者は言う。人間の脳は、取り込んだ情報は、適正に出さなければ、本当の意味で「身になる事がない」のだ。「インプット」したら、適切に「アウトプット」する。この関係が構築されてこそ、なのだ、という。

解決方法

逆を言えば、それが出来ていれば、システマティックに進めることが出来れば、怖いものなどない。
「自分の意見をうまく伝えたい」
「交渉や営業が得意になりたい」
「いいアイデアが浮かぶようになりたい」
「仕事や勉強の成果をもっと出したい」
などの、市井の人々が誰でも持っている悩みなど、簡単に解決できるのである、という。

そして自己成長

自己成長とも、著者は言う。脳の仕組みがそのように出来ているのならば、人としての機能、能力をあるがままに受け入れるのも、大切なことである。しかし、それだけでは生きていく上で、面白みがなさすぎはしないか。

豊かな人生を

知識はしっかりと取り込み(インプット)、適切に表現(アウトプット)する。これでこそ、豊かな人生を送れるというものなのだ。
という章立てに基づき、いつも通り分かりやすく、丁寧な表現で紡がれる
「学びを結果に変えるアウトプット大全 」
ぜひお勧めしたい一冊である。

 


学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)


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長野市「コメダ珈琲店 長野東和田店」商談後はコメダのランチ


【お店のデータ】
コメダ珈琲店 長野東和田店
場所 長野県長野市東和田508-1 [地図はこちら
電話 026-219-3345
駐車場 あり

じつはランチもコメダ珈琲店であった。
朝昼と2度続けて同じ店、というのも間の抜けた話と思われるかもしれないが、じつは打合せが長引いたのである。こちらも先方も、つい熱が入り、ほとんど午前中を費やしてしまったのだ。

お客様を送り出しひと息いれたら腹がなった。
時間を感ぜずに過ごせたということは、それなりによいご商談であったということであろう。ここは安心してランチとしよう。この際だから、注文した事のないものを食べよう。

「野菜サラダ」

食事には、特に朝食にはビタミンが必要である。との方針で、わが家の食卓には生野菜が常に登場するのだが、今朝は摂取できていない。
ということで注文したのだが、想像以上にすごいフォルムである。
てんこ盛りの千切りキャベツにポテトサラダ、きゅうり三片、トマト。ピーマンの薄切りがちょんと乗っているのが可愛らしい。
ドレッシングは2種、用意されている。結構食べ応えを感ずるほどの量である。ポテトサラダは普通の味わいだが、箸休めというか、味変的な存在でこれもまた嬉しい。トマトも甘い。

「ハムトースト」

本当はシロノワールに心惹かれたのだが、注文した事があるものだし、やはり甘いものではランチらしさが感じられない。ここはシンプルにサンドイッチだ。それもデフォルトでなく、トーストとしよう。などと、何気なく注文したが、さすがコメダ珈琲店、けっこうなボリュームだ。

ハムの他にキュウリ、レタスがたっぷり。トーストされ暖かいパンと、厚塗りのバターが滋味深い。

キュウリのパリッとした食感と、ハムの塩気が心地よい。このところ、サンドイッチを食べる機会がなかったが、久しぶりに頂いたこれはじつにうまかった。次回はポテサラサンドにしよう。


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【映画days #10】アギーレ/神の怒り


非アメリカなるものとの出会い

ウェルナー・ヘルツォークの作品が日本に紹介されたのは、80年代初めだったと思う。「アギーレ神の怒り(1972)」が岩波ホールで公開されたのが、その端緒だったのではないか。甚だいい加減な記憶で恐縮だが、大して意味もないので、調べようともしていない。
「戦後」も「高度経済成長」も終わり、何事もひと息つき、自分だけでなく、もうひと回り先を見渡す余裕ができてきた。そんな時代だったと思う。それまで、外国といえばアメリカ、ヨーロッパといってもイギリス・フランスのものくらいしかなかったのが、少しずつそれ以外のものが出回り始めた。そんな感じだったと思う。サッカー=イタリア=セリエAなる図式化を覚えたのも、この頃だった。

第三世界

第三世界なる言葉が流行したのも、この頃だった。当時はまだ冷戦時代だったので、東・西両陣営に属さない国々、当初はアジア・アフリカ・南米諸国を指す言葉だった。フランス革命期の第三身分になぞらえて、この名がついた、ともされている。
私の周囲で、もっともこの名が使われていたのが、映画界であった。主に、映画批評家の佐藤忠男先生(と言いたい)がインドや中国、韓国、北朝鮮の映画を盛んに紹介しており、キネマ旬報、映画芸術など、硬派系の映画雑誌でその名を見ない時はない。それほど流行していたものだ。そして、状況がこうずるに及びユーゴスラヴィアやグルジア、ギリシャなどヨーロッパ諸国ではあるものの、どちらかといえばマイナーな国(こちらかま知らなかっただけだが)も含めるようになった。

ヘルツォーク登場!

ヘルツォークもその流れで紹介されたものだったと思う。ドイツを第三世界扱いするのは、かなり無理があるとは思うが、「ニュージャーマンシネマ」と呼ばれた、それまでのドイツ映画になかった、新感覚派とも言うべき作品群は、とても新鮮に映ったのであろう。他にも、ライナー・ウェルナー・ファスヴィンダーヴィム・ヴェンダースフォルカー・シュレンドルフなど沢山の作品が集中的に紹介されていた。
当然、私の愛読誌「ぴあ」でも露出に次ぐ露出であった。だからよく知っている、という事情なのだが、当時はどうも手が出なかったのである。文芸映画は好きではあるが、どう考えてもおカッタるい作品群だし、高校生のお小遣いからして、優先順位を低くせざるを得ない、という事情もあった。いや、どうせ暇なんだからアルバイトせいや、当時のおれ。という感じなのだが、

クラウスとナスターシャ

前述した「アギーレ/神の怒り」も岩波神保町ビル入り口脇に、大きく掲げられたクラウス・キンスキーのおっかないツラにビビりつつ、ま、いずれ観ることが出来るだろぉと、スルーした次第である。クラウスはナスターシャ・キンスキーの父親で、ナスターシャ自身も出演している(ノンクレジットだが)と知ったのも、それから数年の後であった。
美しすぎる「テス(1979)」。内容は忘れ果ててしまったが、テス(ナスターシャ・キンスキー)がイチゴを咥えるシーンに、欲情(もしくは猥褻)ともいえる感情を持った身としては、観るべきリストの上位にアップされはしたが、そのまま35年を経過してしまったことは、まぁいつもの事だ。

かような事情があるゆえに
誕生!ヘルツォーク
なる回顧展が開催されると知ったからには、矢も盾もたまらず突撃!というのは当然のことであろう。

 

「アギーレ/神の怒り(1972)」

16世紀、ペルーに攻め入りインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロ。エル・ドラドを探し求め密林に分け入るが、進退極まり、先遣隊を派遣する。その副長がアギーレ(クラウス・キンスキー)である。
濁流に飲まれ多くの仲間を失い、上官と対立、反乱を起こす。先住民の襲来、隊員の粛清、疫病と次々と災禍が襲い来るが、アギーレのエル・ドラドへの深い執着心のため、全滅する。
アンデス山中を下る軍団をロングで捉えたファーストシーンだけで、どっぷりと作品世界へと引きずり込まれてしまう。
アマゾン川を下るアギーレたち。アマゾンを征服するはずが、反対に川に、異世界に取り込まれゆく姿を、手持ちカメラを多用し、ドキュメンタリーのようなタッチで描いていく。
タイトルになっている「神の怒り」。アギーレが口走る、印象的なセリフだ。聖書由来の言葉らしいが、よくわからない。ヨーロッパ人でもクリスチャンでもない者のつらいところだ。勉強しなければ。

それにしてもクラウス・キンスキーの凄まじいこと。爛々とする眼光を観るだけでも、十分に元を取った気になれる。

 

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