長野市「味の鋒八」故きをたずね…


【お店のデータ】
味の鋒八
場所 長野県長野市平林2-16-36 [地図はこちら]
電話 026-243-5240
駐車場 あり

師の言葉

「温故知新」『故きをたずねて新しきを知る』と読む。高校の担任が、卒業に際して黒板に大書したのを30年近く経過した現在もありありと覚えている。曰く

「新しいことばかりを追い求めようとばかりするな。まずは目の前の先人たち、親兄弟、先輩方の話に耳を傾け、自らの足元を固めることから始めよ」

出会いは新しいものばかりではない。いや、以前見知っていたものとの再会の方が、よいことなのかもしれない。見た目は同じでも、違う側面が見えてきたりと、新鮮な新しい付き合いが出来るのかもしれないのだ。

「味の鋒八」

こちらは、平林街道のど真ん中にある。
駅前でもない、このような場所に居酒屋とは珍しい。そんな声が聞こえてきそうだが、こちらは街道拡幅以前からある、古い由緒あるお店なのだ。
じつのところ、こちらは以前勤務していた会社がこの近隣であったため、一時かなり頻繁に使わせて貰っていたのだ。かれこれ十数年前のことだろうか。今は綺麗になったが、当時は木造平屋の店舗で、居酒屋らしい古ぼけた風情だった。冷房のない暑い室内で飲むホッピーの美味かったこと。

ランチタイム開始

その店がランチを始めたという。店の様子も味わいもすっかり忘れ果てている、懐かしくもある。確認のためにも行ってみよう。
店先のホワイトボードに「もつ煮定食」「焼鳥定食」と、この店らしいメニューが記載されている。イメージ通りのメニューであるが、心に決めたものがあるのだ。

「気まぐれ定食」850円

大将が、その日に仕入れた素材で気まぐれに作り上げるメニューで刺身、揚げ物、煮物にご飯とみそ汁がつくのだという。

「今日の刺身」

カツオとホタルイカは鮮度抜群、キリッとしたカツオ、とろんのホタルイカのコンビネーションがよろしい。

「揚げ物」

アジフライ、イカリングフライ双方ともにソースをじゃぶじゃぶとかけてみる。アジフライにはしょう油という選択肢もあるが、今日は迷わずソースとする。何かしらのコンセプトがあるわけもない。「気まぐれ定食」には「気まぐれ」に挑むべし。そして小鉢ものは

「鱈子の煮つけ」

鱈子をしいたけ、ごぼうと共にアッサリと煮つけたもの。あゝ、これは美味い。抑制された甘さがなんとも言えず心地よい。大将、もっと大きなドンブリで出してくれ。

和食

基本的に「和食」なのである。
どこまでも「日本料理」なのである。
それでいて「和」からも「日本」からも突き抜けた、あえて言えば「モダン」な風を醸成しているのはなぜだろうか。もう少し通いつめてみないとわからない。正直いうと、こちらの味をすっかり忘れていた。いや認識していなかった、といってよいかもしれない。ここまで美味さだったとは思いもよらなかった。知っていたはずなのに知らなかった。というところか。「故き」はやはり「たずねて」みるものなのだ。

師のこと

担任のことを少々続けさせて頂く。
S先生といったが、あまり笑顔を見せない、もの堅くおっかない先生だった。悪ガキの私などしょっちゅう怒られていたが、まったく嫌な感情がない、いやむしろ好きな部類の人物だったのは、物事の本質を見極めた、およそ不公平というもののないまっすぐな方だったからに他ならない。
「最後の担任」であるわれわれを送り出した翌々年が定年だった。友人たちと祝いの品を届けた時の、泣かんばかりの笑顔が忘れられない。
…それが最後の邂逅だった。わが身の変転あり社会に出てからは多忙であり、とは言い訳にしかならない。
先年、訃報を聞いた。ああ、もっと会いに行っておけばよかった。せめて嫁さんの顔くらい見せておけばよかったと後悔しきりの日々である。


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佐久市「三月九日 青春食堂」Yes!Thank You!


【お店のデータ】
三月九日 青春食堂
場所 長野県佐久市岩村田762-5 [地図はこちら]
電話 0267-68-1139
営業時間 11:30〜15:00、17:00〜21:30 LO
定休日 不定休
駐車場 あり

佐久平

佐久平は長野県内でも屈指の地域であると思う。とにかく眺望がよい。雄大な浅間山麓が広がる、悠々とした景色があちらこちらで見られる地域は他にはない。安曇野も悪くはないが、地形や起伏の関係だろうか、スタイルのよさというてんでは佐久平の方を好む。

「三月九日 青春食堂」

そのような地域だから、住む人びとも大らかな性格の方が多いように感じる。こちらのネーミングもそうした土壌から発したものではないか。「Thank you」で「三月九日」とは、なかなか言えるものではない。馬鹿にしているのではない、佐久平らしさ満載の名前が清々しいといっているのだ。

こちらのメニューの何が好きといって、普通の家庭料理っぽいものがある事だ。「信州豚の葱ソース焼き定食」など、食卓にヒョイっと登場しそうなメニューである。今回は、「今が旬!」と冠された季節メニューに挑戦してみたい。

「新玉ねぎの豚肉巻き定食」780円

肉巻きもの、というメニューはご家庭では定番的な存在だが、飲食店であまり見かけないのは、やはり手間がかかるからだろう。串切りにした新玉ねぎに薄切りにした豚肉をひとつひとつ巻いてるいく工程は、大変な作業であると思う。

しかし、手間がかかった分だけうまい。新玉ねぎの甘さと、ショウガの効いたソースは他にはない味わいだ。熱いごはんとの相性も、これ以上ないというほどである。

佐久平と「青春食堂」

じつによき取り合わせだ。双方ともに、長いつきあいになりそうで、とても楽しみだ。


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大町市「豚のさんぽ」遥かなり黒部のダム


【お店のデータ】
豚のさんぽ
場所 長野県大町市仁科町3168-8 [地図はこちら]
電話 0261-85-0129
駐車場 なし

池田町から大町へ

台風雨の中、池田町まで他行である。
ひと通り用事を済ませたら13:00を回っている。当然、昼どきである。池田町で美味いものを、と食べログその他、いくつか情報収集したが、今ひとつよい店が見つからない。美味しい店など必ずあるはずだが、今の場に間に合わない。調べてからくればよかった。もう少し、時間をかければ良いのかもしれないが、後工程もある。やはり全く知らぬ地で良店を探すのは至難であったという事で大町まで戻ることとした。だからといって、決してよく知っているわけではない。数年前、地域リーグ時代の長野パルセイロの試合が大町サッカー場であったので、何度か通ったことがある。という程度のつきあいだから、はっきり「知らないレベル」であろう。

「豚肉料理専門店 豚のさんぽ」

ということで大町駅前のこちらである。
今や、すっかり「超」がつくほど有名になってしまった店である。パルセイロの試合観戦以来だから、5年ぶりかそれ以上となる。
日曜日とはいえ雨中、しかも昼すぎではあるものの、数組ならんでいる。さすが有名店だ。面倒だが待つしかなかろう。前述したが、他を知らずにここへ来たのだ、仕方がない。大した時間もかからないだろう。掲示されているメニューを眺めるうちに、徐々に黒部ダムカレーを食べたくなってきた。

黒部ダムカレー

黒部ダムカレーとは大町市内にある食堂、カフェ、洋食店やレストランなどいくつかの飲食店が提供しているカレーライスで、黒部ダムをモチーフとしている。
大町は立山黒部アルペンルートの長野県側の拠点である。昭和40年代よりトロリーバス扇沢駅にある、「レストラン扇沢」で考案されたと言われている。ご飯をダム状アーチ型に盛り、ダム湖をカレールーで表している。(詳細はHP参照のこと)
黒部ダムカレーはこちら「豚のさんぽ」でも、看板メニューともいえる存在である。ただ、こちらの場合は量がすごいのだ。ご飯でいえば(小)300g、(並)400g、(大)500g、(特)に至っては600gと尋常なボリュームではない。私も一般的には大喰らいの部類に入るが、いくらなんでも無謀な試みだ。

「贅沢定食」

黒部ダムカレー単品は回避、小盛りバージョンカレーとラーメン双方を楽しめる、このセットメニューとする。…それでもけっこうな量なのが素晴らしい。

黒部ダムカレー 豚のさんぽVer

U字型に盛られた向う側に野菜類、反対側にダム湖を模し、並々注がれたカレー、破砕帯を模したほぐしチャーシューと、小なりと言えど、黒部ダムカレーの定義はきちんと守られている。辛くはない、というより少々甘めのカレーである。軽くスパイシーで、ドロドロなところは、金沢カレーのイメージに近いかもしれない。たっぷりの生野菜、ほぐしチャーシューを少しずつ混ぜながら頂くと、とても美味い。

ラーメン「岳」

ラーメンはクリーミーな豚骨スープの「げんこつラーメン」か、透明塩スープの「岳」の2種からの選択である。豚骨という気分でなかったので、後者とする。げんこつというだけあって、肉塊が迫力を放つ。大きなバラチャーシューとほうれん草、もやし、ネギが大量に載っている。麺も細、太からの選択なので太麺としたのが正解であった。

ダムカレーカード

会計時にレジ脇に「ダムカレーカード」なるポスターを発見。さすが町おこしメニューである。各店で黒部ダムカレーを食べるとカードが貰えるそうだ。全18種、コンプリートするか。


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長野市「くのいち」権堂、コスタリカ、そして「餃子の恩返しプロジェクト」


【お店のデータ】
くのいち
場所 長野県長野市鶴賀田町2243 [地図はこちら
電話 不明
駐車場 なし(近隣に有料駐車場あり)
URL http://ramen9-1.info

ドキュメンタリー映画

権堂ロキシーにて映画を観て来た。
「コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方」

というドキュメンタリーだ。中米に位置するコスタリカは近隣諸国と比較して、経済的、治安的に安定し国民の教育も高い「豊かな国」として知られている。なぜならば、かの国は伝統的に軍隊を持たず、非武装中立を貫いているからで、軍事費などを社会インフラに使えるので、非常によい状態を維持できている。そんな、理想的ともいえる状況がいかに成立したか、どのような現実と直面したかを描いた力作であった。詳細は下記をご参照いただきたい。
【映画days #11】コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~

夕食

さて、終わってしまえば夕食である。何を食べるか。21:00を回っているので、開店しているところは飲み屋ばかりだ。どうせ自動車なのだ、ほかに回るかとも考えたが、この時間だ。どこへ行っても似たようなものだろう。この辺りで食事のできる店を探した方が効率的だ。
そういえば、秋葉神社の裏にラーメン屋があるのを思い出した。何年か前、オープンしたてのころに何度か使わせてもらった記憶がある。

くのいち

という面白い店名は、女性だけで切り回されているからだという。
「くのいち」あるいは「くノ一」とは「女」を分解したもので

元来は女を指す隠語であるが、1960年代以降の創作物においては女忍者を指す言葉として広まっている。(Wikipedia)

女忍者を創造したのは山田風太郎だそうだ。そういえば彼の作品は、何十年も読んでいない。久しぶりに読み返してみるか。

あの、かなりエッチな描写にどれほど悶々とさせられたか。自分だけの、ほかの誰からもしられない「秘密の読書」とは、かくも楽しきものか、ということを知ったのはこの時だった。一度、父親にバレてしまったが何も言わなかった。たぶん、自分でも読んでいたのであろう。

近年の研究によれば男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がない(Wikipedia)

とも言われている。そうだったのか。「真田太平記」に登場するお甲はまったくの想像物だったのか。創作は史実を凌駕する。当たり前のことだが、世の常識を変えるほどのフィクションというのは素晴らしい。

あらためて「くのいち」

相変わらず無駄話が多くて恐縮だ。
数年ぶりのこちらは、内部はほとんど変わっていない。まぁ変わりようもない規模のお店だが、これも安心感というものである。
昼にしか来たことがないので、様子がわからなかったのだが、夜は居酒屋として機能している。土曜日というのもあるのだろうが、大変な混雑である。カウンター席がひとつだけ空いていたので、そこを占拠する。
「食事だけでもいいですよ」と、気持ちよく返してくれたのがとても嬉しい。

餃子の恩返し

店頭に大きく、このような門言が掲げられている。飲み物を注文すれば、餃子をサービスで提供してくれるというのだ。HPによると

「餃子の恩返し」プロジェクト
「らぁめん くのいち。」として約5年間、ラーメンと真剣に向き合い手掛けてまいりましたが、 正直なところ商売として難しく、どうしたらたくさんのお客様が来てくれるのだろうか、 と考えこの「餃子の恩返し」を決断いたしました。
今まで、当店を支えてくださったお客様あってこその”今”です。感謝の気持ちを込めて、また賑やかなお店にしたい!という希望を込めて取り組んでまいります。

泣かせるではないか、素晴らしいではないか。様々な試行錯誤と逡巡があったのだろう。その意気やよし。をぢさんさ気に入ってしまった。かといって酒は飲めない。困っていたらソフトドリンクでもよいという。

本日のあらら?チョイス

「カレーうどん」「ウーロン茶」「焼餃子」

本来なら、明らかに締めのメニューであろうがこの場合仕方ない。そもそもラーメンではなくうどんというのが面白い。ソフトドリンクおよびサービスの焼餃子。じつによいフォルムである。「孤独のグルメ」の井之頭五郎になったような気分にもなってくる。

「カレーうどん」


カレー風味のスープに鶏肉、玉ねぎ、とき玉子がごちゃごちゃと入った、煮込みうどん風である。スパイシーだが、あまり辛くはない。お母さんが作ってくれるような、安心の味わいといった感じである。

「ウーロン茶」

中ジョッキになみなみと注がれたウーロン茶。これも酒の飲めない井之頭五郎を感じさせられる。

「焼餃子」

そしてお楽しみ焼餃子。たっぷり肉、ジューシーな一品である。羽根つきでパリッと焼かれており、大量の酢醤油につけて頂く。じつに美味い。水餃子でも対応してくれるという。次回はそれだ。

そして

「餃子の恩返しプロジェクト」気に入ってしまった。とても美味かった。しかし、餃子にウーロン茶も悪くはないが、ここはやはりビールであろう。熱々の焼餃子とともに結露により、びっしょりと汗をかいたジョッキを傾ける。これこそ最高な瞬間であろう。さぁつぎはいつだ?


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上田市「ミルキーウエイ」上田らしさと昔のファミリーレストラン


【お店のデータ】
ミルキーウエイ
場所 長野県上田市神畑乙57-1 [地図はこちら
電話 0268-25-0823
駐車場 あり

「無言館」

1日、上田を訪れることとなった。「無言館」見学がその主目的であった。
「無言館」とは

第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。
Wikipediaより

という。館主は窪島誠一郎という方だ。水上勉を父に持ち、著作家・美術評論家として名を立てられた方で

自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。
Wikipediaより

という、まさしく「渾身の施設」である。

「無言」の意味

展示されている作品は何も語ることのない「無言」のままであるが、観る側に多くを、雄弁に語りかけてくる。そのようなことから命名されたとのことだ。彼らの作品とあわせ、経歴そしてその後の有り様を観ていくと、その傷ましさに声を発することが出来なくなる。後で知ったことだが、「無言」とはそのような意味もあるのだという。
第二展示館である「傷ついた画布のドーム」も見学すると、全身あちこちが痛い、疲れた。立ちづくめということもあるが、なにより精神的な疲労におそわれている。このような時はメシだ、ちょうど時分でもある。

「ミルキーウエイ」

上田ランチである。
同行の方によい店に案内してくれ、と要望されたのでいろいろ考えたが、ここはやはり上田らしいところにするべきであろう。昔の若者たちがたむろしていたと言われている、伝説のファミリーレストランである。

上田らしさ

とは何か。ひとえに量が多いのだ。長野あたりの1.5乃至2倍はあるのではないか。10数年前、ここを訪れたときに、ひどくびっくりしたのを覚えている。うかつに大盛りなど注文しようものなら、大変な事態に発展する。まさかどんぶり飯が、縁まで盛られてくるなど、想像するはずもない。これが若者向けの店だけ、というなら納得も行くが、「草笛」「刀屋」といった老舗そば屋でも同様だから、やはり元々なのだろう。さぁそんなことよりもメニューだ。

アイドルとビジネス

こちらの名物(と、勝手に考えているだけだが)は一人前のナポリタンと一人前のピラフが合い盛りとなった「アイドルセット」、一人前のナポリタンと一人前のカレーライスが合い盛りとなった「ビジネスセット」なのであるが、夕食に支障がでるので避けておこう。

「カキフライ定食」

という事でこれを選択した。どう考えても、この季節にカキフライはあり得ない。当然、冷凍ものなのだろうが、メニューの神々しさに惹かれてしまったのだ。それに近年の冷凍技術はバカにできない、素晴らしいものがある。揚げたてはじつに美味そうだ。

カキフライ

軽くソースをふりかけ、タルタルソースをべっとりとつけていただく。かしゅり、という小気味好い歯ごたえと、牡蠣の香りが口中に充満する。あゝおれはカキフライが大好きなのだ。と、あっという間に食べつくしてしまう。
味噌汁は熱々でよし。てんこ盛りご飯は一度までおかわり出来るそうだ。漬物は普通だが、さつまあげの煮物はお母さん味でとても美味かった。

信濃デッサン館

この日はちょうど無言館の本館である「信濃デッサン館」が開館されている日であった。数日間の特別な催しということであったが、何しろ疲労の極致であったので帰宅してしまった。どうせまたやるだろう、という読みもあったのだが、今調べてみたら

窪島の健康問題や運営法人の財政上の理由から、本館の信濃デッサン館は2018年3月15日をもって「無期限休館」となった。今後は無言館のみ存続する。

とのことだ。しまった。後悔先に立たずである。また特別開館されることを切に願う日々である。

無言館
場所 長野県上田市古安曽山王山3462 [地図はこちら
電話番号 0268-37-1650
URL http://mugonkan.jp/


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長野市「ロジェ食堂」市内某所でいただいたおしゃれなお弁当


【お店のデータ】
ロジェ食堂
場所 長野県長野市岡田町166-1 1F [地図はこちら
電話 070-1541-3800
ランチ:11:00~14:00
カフェ:14:00~16:00
ディナー:17:00~20:00夜は金曜日のみ営業
定休日:土・日・祝日(不定休&臨時休業あり)
駐車場 なし

研修会

研修会である。
といって、あるメーカー主催のものだからさして緊張するものではない。いや、仕事に使うものだし、せっかく用意してくれた席なので、大いに緊張しなければならない。とはいえ、法的義務のあるようなものではないので、多少はリラックスしても罰はあたるまい。
それにしても、技術というものは日進月歩なものである。昨日の常識は今日の論外・非常識、来年の言語道断となる。そんなことが出来るのか?という事が、ごく当たり前に使われている。私のような不勉強なナマケモノは、落ちこぼれ朽ち果てていくしかないのだ。まったく残念無念である。

エンジニアリングとは

つまるところ、チャレンジの歴史なのだ。あれはよい、これはだめを突き詰める。人の生活はこのようであるべきだ。こうでなければならないのだ。これを毎日々々ひたすら考え続け、過去を振り返り積み上げ、場合によってはすべてゼロからやり直す。エンジニアリングとはそういうものだ。と言われるかもしれないが、同じ建築エンジニアリングの世界でもここまで違うとアタマが下がるばかりである。
いや、建築の意匠設計という世界にも、それなりの経験や蓄積、それに伴いスキルが必要なのは当然のことだ。どこの誰とでも同じことではある。しかし、同じことを違う角度から見る、これがもっとも大切な行為なのだ。そこには新しい「刺激」がある、別な「気付き」があるのだ。

ランチ

それやこれやで午前中いっぱいを使って説明していただいた。貴重な時間を割いていただいて、誠に感謝しかないのだが、その上に昼食まで用意してくれているという。さすがに辞退したのだが、注文したものを返すわけにいかないと、強く指摘され、断るのも失礼だ。では遠慮なくいただく事とする。

ケータリング

ケータリングとは厳密にいえば「出張料理」なのだろうが、ここでは少し狭義な意味で「お弁当」のこととする。というか、先方がそのように呼称しているようなので。
弁当なら、ほか弁もしくはコンビニのそれくらいしか想像できない身であるのが情けない。五十オヤジの哀しさよ、という訳でもないか。われわれの若いころは、「ケータリング」などというおしゃれな言葉はなかった。ないものを知っているわけもない。まぁ、先方は若い女性がたくさん在籍されている、という事情もあるだろう。

「ロジェ食堂」

こちらは岡田町に、この5月にできたばかりのカフェである。元はといえば、ケータリング専門の店だったのを、カフェとして移転、こちらにオープンしたということらしい。西之門町にある「Roger/ロジェ」という雑貨商のFacebookページにリンクされているので、こちらが経営されているのであろうか。県民文化会館のレストランもこちらで仕切られているようだ。系統だった記述がないのでよくわからない。どなたかご教示願いたい。
じつはこの「ロジェ食堂」が気になってならない。登場した「おにぎり弁当」(今、私が名称したもので、まったく正式な名前ではない)がじつに多彩で、よく考えられており、とても美味しいのだ。

おにぎり弁当

これがその内容である

・キャロットラペ
・ラタテューユ
・春雨サラダ
・胡麻豆腐
・ジャーマンポテト
・鶏もも肉のたまり漬け焼き
・枝豆とコーンのチーズオムレツ
・蓮根のはさみ揚げ
・ガーリックシュリンプ
・合鴨スモーク
・野菜と青唐辛子漬けおにぎり
・ゆかりおにぎり
・紅茶のシフォンケーキ
デザートまで含め13点。これは見事である。

「ガーリックシュリンプ」

平たく言えば海老の唐揚げである。海老の旨味とスパイスの効き具合がよろしい。ガーリックはほんのり香る程度で、抑えめである。昼からにんにくは不味いだろう。気が利いている。

「蓮根のはさみ揚げ」

二点目の揚げ物はあっさり味。蓮根のさくさく感と、ひき肉の旨味があわさって美味い。

「キャロットラペ」「胡麻豆腐」

前者はニンジンのマリネ。ほどよい酸味とニンジンの甘みに好感がもてる。見た目はまるでニンジンシリシリだが。
胡麻豆腐はしっかり胡麻風味である。けれん味のない、とはこのことか。といった味わいである。

「枝豆とコーンのチーズオムレツ」「合鴨スモーク」

そもそも、枝豆、コーン、玉子の組み合わせというだけで成功といえる。
合鴨のスモークは、もう少し煙っぽい方を好むのだが、先の海老と同様、お弁当のひと品ということを考えればこれでよいのかもしれない。

「ラタテューユ」「春雨サラダ」

ナス、ズッキーニ、パプリカ、トマトなど夏野菜を使った煮込み料理。好きなものばかりなのである。このお弁当を前にした段階から「精神的小躍り状態」が続いているのだが、これに気づいた瞬間より「精神的タップダンス状態」が始まった。それほど嬉しいのだ。気分はフレッド・アステアである。おい、ジンジャーはどこだ?
春雨サラダの味つけはあっさり酢の物。とはいえ味わいよりも、春雨のこりこりとした歯ごたえを狙っているのではないか。美味い。

「ジャーマンポテト」

ほっくりとしたジャガイモと、塩気の強いベーコンとの幸せな出会い。ところどころに感じられる、粒胡椒の存在もとてもよい。

「鶏もも肉のたまり漬け焼き」

メインディッシュ然と、ど真ん中に構える大物が出現。しっとりずっしりとした食感がなんとも言えない。鶏皮とは、どうしてこれほど美味いのか。

おにぎり登場

まずは
「野菜と青唐辛子漬けおにぎり」

である。様々な野菜の漬物、というよりマリネ状にしたものがどっさりとおにぎりに積載されている。ピリ辛、というイメージがあったが、さほどでもなく優しい味わいがじつに好ましい。

「ゆかりおにぎり」
ゆかりという調味料は、とてつもなく万能であると思う。まして、そこに海苔まで巻かれているのだから。これほど美味いおにぎりは久しぶりだ。

「紅茶のシフォンケーキ」

そしてデザート。

「シフォンケーキは原価が安いから定番化するケーキ屋が多いんだよ」
と、少々クチの悪いケーキ屋から聞いたことがある。作ったことこそないが、たしかに少ない材料で出来るようだ。だが、それだけに手を抜く、抜かないがはっきりとわかるものでもあるのだ。しっとりとした地肌が好ましい。生クリームによって湿度を保っているのだろうか。煮りんごを福神漬と間違えてしまったことは、ここだけの秘密だ。

まとめ 久しぶりの刺激

以上である。大脳への刺激と、胃袋への刺激。違った方向性からの刺激が与えられ、じつに有意義な1日であった。まことに久しぶりの事である。またお誘いいただきたい。ランチだけ、とは言わないので。


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坂城駅「フライパン」歴史の街の洋食屋さん


【お店のデータ】
フライパン場所 長野県埴科郡坂城町中之条847-1
電話 0268-82-6193
駐車場 あり

坂城町

坂城はなかなか面白い町だと思う。
主街道を挟み込んだ谷間のような地形という、地政学的な要因もあり、東北信地域を司る重要な地でもあった。戦国時代には村上義清という優秀な武将がいたし、その後は鉄の町、現在精密機器工業での発展と、あれほど小さな町なのに見どころがありすぎる。歴史好きにとって、ここほど面白い場所はない。

坂城の個性的な飲食店

この面白い町に、面白い店がないわけがない。最高にうまいが最高に待たされもする、おしぼりうどんの店「かいぜ」。古くてはっきりと汚いが超個性的なメニュー群に圧倒されてしまう「まちだ食堂」。こちらのナポリタンはケチャップ好きであれば、一度は食すべきであろう。気をつけて食べないと、べちゃべちゃのケチャップによってシャツが紅に染まり切る事になるが。
無論のこと、くまなく回りきったわけではないので、まだまだよい店面白い店はたくさんあるだろう。今回お邪魔したお店はまったくの初訪問である。

「フライパン」

瀟洒な昔ながらの洋食屋、という風情である。
以前から知ってはいたが、あまり人の気配が感じられず、勝手に営業されていないと思っていたのだ。先だってYouTubeでtekitouという方が紹介動画(【フライパン】本当に温かいお母さんのお店 )で知ったのだが、出前が中心の営業なのだそうだ。なるほどそういうことだったか。

初訪問

初訪問というのは、いつになっても面白い。行った事のない店は嫌だ、経験したことのない味わいなどとんでもないという人もいる。人それぞれだから何も言わないが、私のような「基本的物好き人間」にとっては初訪問ほど好きなものはない。初めて入った店で、まったくわけのわからないメニューを注文する。これほど楽しいものはない。どんなものが出てくるか、味はどんなものか。想像するだけでワクワクして仕方がない。

メニュー

ひと渡り睨めまわす。トンカツ、エビフライ、ハンバーグ、焼肉という構成は「典型的洋食屋メニュー」である。ピラフ、ドライカレーなどという若い頃さんざん食したが、現在は縁がなくなってしまったような名前も散見される。これは当たりだろう。しかし、当たってしまったことは喜ばしい限りなのだが、どれにするか、まったく絞りきれない。困った困った。

困った時の…

困った時は両方」というのは井之頭五郎の名言だが、メニューをすべて注文することなど不可能だ。いや、一度でよいからやってみたい行為だが経済上、健康上できるわけもない。そのような場合は、周囲を見渡すことにしている。ちょうど隣席が来たばかりだ。よしこれにしよう。

「お好みセット」

[主食3種]
 ドライカレー
 ピラフ
 オムライス
[惣菜3種]
 ポークジンジャー
 ハンバーグ
 ポークカツ
双方の中から一点ずつ選択する形式のメニューである。隣はドライカレーとハンバーグであった。では私は何とするか。様々な思考・検討と逡巡、優柔不断と思索の果てに決定したのは…

「オムライス」「ポークジンジャー」

という組み合わせとした。
物事はまず基本からとする。この場合の「基本」とは私がデフォルトで好むもの、というほどの意味でしかないのだが。
炒め飯系の主食の中は、カレーよりも塩味よりもケチャップが好きなのだ。惣菜は隣がハンバーグを食べていた、揚げ物は今ひとつ惹かれなかった。そんな程度の些細な理由ではあったが、無事に決定できたことを心より幸せに思う。

「オムライス」

見た目からすると、少々小さく感じたのだが、実際は厚め仕立てられた玉子(決して薄焼きではない)にしっかりと巻かれているので、かなりなボリュームだ。スプーンで「切り分ける」という感じだ。ケチャップも望むべき量である。酸味たっぷりで美味い。

「ポークジンジャー」

というからにはこま肉の「生姜焼き」をイメージしていたのだが、予想は大きく外れた。生姜を用いた「ポークソテー」という風情である。これも分厚く、食べ応えがあって美味い。とくに脂身がなんともいえずに美味い。ああオレは幸せだ。

「味噌汁」「サラダ」

標準装備されている脇役たちが、侮れるわけもない。味噌汁はわかめ、麸。細かに刻まれたネギがなんとも愛らしい。軽く塩気の強さがらしくてよい。レタス、キュウリ、トマトにサウザンアイランドドレッシングをざっとかけまわしただけのものも、いかにもな存在でよろしい。この何の変哲もない味噌汁とサラダが、洋食屋っぽさを一層のこと増してくれる。

あらためて坂城町

やはり、歴史ある地は違う。個性的な、というだけでは表現しきれない「厚み」があるように感ずる。ここももう少しうろちょろしなければ。
もちろん「フライパン」も大満足である。帰宅してから再度メニューを吟味したが、次回は「日替ランチ」であろう。早々にお邪魔せなばならぬ。

追伸

なお、先に登場したtekitou氏。ハンドルは「適当」からなのだろうか?非常に丁寧な製作でいつも感心しながら観せていただいている。よかったらご覧あれ。


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長野市「BECK’S COFFEE SHOP 長野店」タレーランとフランス革命、そしてまったく関係のない朝食


【お店のデータ】
BECK’S COFFEE SHOP 長野店
場所 長野県長野市栗田北河原1038-4 [地図はこちら
電話 026-226-4679
駐車場 なし

陰謀家・美食家タレーラン

歴史が動く時には、人材が揃うものだ。いや、人材が登場したから歴史が動くのか。その辺りはなんとも言いようがない。
フランス革命期も同様で、ジョルジュ・ダントン、マクシミリアン・ロベスピエール、ジョセフ・フーシェ、そしてナポレオン・ボナパルトも一員としてよいだろう。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェばかりが人材ではない。
その中で、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールという人物がいる。同時期の政治家で、フランスの宰相にまで登りつめた人物で、日本では単に「タレーラン」として知られている。
タレーランは、金儲けに精を出していないときは、陰謀を企んでいる
とまで言われたほど、虚実に満ちた生涯を送った人物だ。しかし、ナポレオン戦争後の処理をテーマとしたウイーン会議において敗戦国であるにも関わらず議長となり、主導権を握り国益を守ったなど、とてつもない能力を持った政治家でもあった。かような者が、毀誉褒貶相半ばするのは当然の事である。

そのタレーランは美食家としても有名だった。
専属シェフを抱え、重複のない、季節の食材のみを使用した1年間のメニューをつくる事を命じたり、ウイーン会議の最中にもたびたび夕食会を開き、その素晴らしい料理群で人々を圧倒した、というエピソードがあるほどだ。

タレーラン語録

タレーラン語録も有名だ。
「快楽さえなければ、人生はきっと耐えうるものだろう」
「誹謗中傷よりも酷いことがひとつある。それは真実だ」
「言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである」
やはり、ひとかどの人物は語りもかっこよい。
その語録のひとつ。最も有名な言葉が以下のものである。
カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い
美味いコーヒーの定義として、これほど適切なものはない。大げさに聞こえるが、朝のコーヒーは、かようなほど重要なものなのである。

拘束の日そして朝食

講習会で1日拘束されるはこびとなった。
仕事で必要な事である。嫌いな分野でもないのだが、やはり気伏せりであることには変わりはない。気分を変えよう。という事で、少し早めに出て駅で朝食としよう。

「BECK’S COFFEE SHOP 長野店」

長野駅改札前のこちらは、以前から東京出張などの際、何度も使わせてもらっている店である。

「スペシャルプレート」490円

コーヒー、主食、たんぱく質、緑黄色野菜がワンプレートになった優れものである。

ドレッシングがかけられたレタスとトマト、軽く炙られたベーコン、玉子のディップとケチャップ、楚々と配されたポテトサラダ、そして半切りにされバターがたっぷりと塗られたトーストという、アメリカナイズなブレックファーストである。ああ、気分はまるでニューヨーカー

「ブレンドコーヒー」

熱く濃厚、まさしくタレーランの言葉にリアリティを感じる瞬間だ。
丁寧に作り込まれた料理たちをゆっくり、ゆったりといただく事は、まさしく至上の時といえる。
東京への線路上にむかう、大きな窓から入る陽光で、明るく気持ちのよい空間で朝食をとれば、気分横溢である。さぁ、拘束されに行こうか。


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【昼飯days】ねばとろそうめん


久方ぶりに自宅での休日である。暑いので外に出る、という気になれないこともある。したがって、自宅でゴロゴロというわけだ。

Amazonプライム・ビデオに「ラッカは静かに虐殺されている」がアップされた。先だって観たばかりだが、もう一度観直すことに。…といって、一気に観るには重すぎる。ゆっくり休み休みしながらの視聴だ。

観終えたらちょうど昼どきである。
暑熱はますます高じるばかり、この際は家にあるもので昼食としよう。

【家にあったもの】
おくら
カップめかぶ
納豆
玉子
そうめん

なるほど。これはあれを作れ、という神の啓示であろう。あれとはすなわち
ねばとろそうめん

またか
などと言わないでもらいたい。材料がこれしかない、他のものを作りたくともスキルがない。これだけで充分であろう。

まずはオクラを刻む。

スキルがないから出来が悪いのも仕方のないことだ。そして、すべてを心置きなく丼に投入。

あとはひたすら混ぜるだけだ。

そうめんを茹でる。
茹で上がりが早いからじつにけっこう。

出来上がり
各々、ねばとろを取り分け頂きます。

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【映画days #12】小人の饗宴(1971)


ヴェルナー・ヘルツォークの長編第2作である。「アギーレ/神の怒り(1972)」でぶっ飛ばされた身としては、ぜひとも体験せねばならないだろう。

小人の饗宴

ドイツの片田舎にある、障害者施設での1日を描いた作品である。低身長症を患う彼らが、管理者のいない間に、日頃の鬱憤を晴らそうと暴れ回る、というストーリーである。
このように書くと、首尾一貫したお話にみえるが、じつのところはひたすら小人(差別語に非ず、そのように表現される)たちがものを壊し、火をつけ、動物を殺しまわる。盲目の小人姉妹をいじめたおし、納屋にある自動車を持ち出し、走り回らせたあげく、裏山にある大穴に突き落としてしまう。この間、語れるようなストーリーは一切ない。文字通り小人たちの饗宴を、何らの彩りもなくモノクロフィルムに映しとっただけのものだ。ぶっちゃけたところ、非常に困った作品であった。

この作品から、何らかのメッセージを読み取る事は可能であろう。製作の少し前に、ヒトラー、ナチスですべてを失った国である。アナーキズム、コミュニズム、資本主義、冷戦、あるいは世界的中で同時多発した学生運動など混沌とした社会状況を表現している。といってしまえば簡単な事だが、たぶん違う。でなければ、小人を使ういわれはない。あれほどまで執拗に醜悪な何かが汚らしい何かへと、変わりゆく様を映す必要もない。

要するに、ヘルツォークは小人(繰り返すが差別語として使ってはいない)たちを使い、妙にスケールアウトしたへんちくりんな馬鹿騒ぎをやりたかっただけなのだ。皮肉で意地悪で差別的で容赦のない感情〜それは誰しもが持ってはいるが、出そうとしない、いや出すに出せない感情を爆発させたのだ。そんなものに感情移入できるわけもないし、カタルシスを感ずる、というものもほとんどいないのではないか。

そんな映画をシレッと作れてしまうヴェルナー・ヘルツォークという作家にますます興味が湧いてきた。次回は「シュトロツェクの不思議な旅(1976)」とのことだ。とても楽しみだ。


小人の饗宴 HDリマスター [Blu-ray]

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須坂市「ターバンカレー 須坂インター店」須坂で味わう金沢カレー


【お店のデータ】
ターバンカレー 須坂インター店
場所 長野県須坂市大字井上1865-1 [地図はこちら]
電話 026-246-8998
駐車場 あり

金沢カレーというジャンルがある。
文字通り金沢市を中心とする石川県のカレーライス店で供される独自の特徴を持ったカレーライスである。
 
Wikipediaによれば金沢カレーとは
・ルーは濃厚でドロッとしている。
・付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。
・ステンレスの皿に盛られている。
・フォークまたは先割れスプーンで食べる。
・ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。
・ルーを全体にかけて白いライスが見えないように盛り付ける。
と定義されるという。必ずしも守られているわけではないようだが。

その金沢カレーが好きで、長野市内にある店(同じ系列だよね?)に通いつめている。今回は須坂インター前にある、

ターバンカレー須坂インター店

にお邪魔した。
こちらの、ドロドロまったりしたカレーに様々なトッピングを施して食べるのが好きなのだ。本日も3種類、カレーが見えなくなるほど、トッピングしていただくのだ。

ジャンボメンチカツ・ナス・目玉焼きカレー

ジャンボメンチカツ

ジャンボと冠されたものは意外と小さいのが通り相場だが、こちらのメンチカツは決してそんな事はない。しっかりと「ジャンボ」している。ジャンボであることにこそ、意義があるとさえ思えるほどだ。粗く挽かれた豚肉と、ごろんごろんと大きな玉ねぎが美味い。

ナス

ナス好きは食べずにいられない。油で揚げられた、とろとろな存在と化したナスの旨味よ。なぜ、これがお節料理に出てこないのかが、不思議でならないほど美味い。

目玉焼き

玉子はつくづく魔法の食べものと考える。何をどう作っても美味い。とくに、目玉焼きの美味さたるや。半熟トロトロが美味すぎる。これをいつ崩すか、どうやって食べるのか、大いに悩む日々である。

金沢カレーにおいて、キャベツの存在は特筆すべきほど重要であるとのことだ。なるほど、このまったりカレーに、これほど相性のよいものはないと確信する。ということで、金沢カレーまったりカレーを堪能する、美味しい1日であった。いつか、トッピング全のせをするのが夢だ。


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長野市「ケーキ屋Sun」メロンのまんま


【お店のデータ】
ケーキ屋Sun
場所 長野県長野市三輪4-4-1
電話 026-217-8231
駐車場 あり

誕生日

家内が誕生日であるという。実際には4日ほどのちの事であるが、そんなものは誤差のうちであろう。
めでたい、と素直に言ってよいのかどうかは定かではない。若者たちのように、はしゃいでよい年齢でもあるまい。とはいえ、さしたる病もなく、障害もなく50数年これた事は、少しは寿いでやっても罰は当たらないであろう。あくまでもほどほどに。

彼女は、昔から装飾品、調度品、過度な服飾品など、飾り立てるものを好まない。いや、反対にそれらが大好きで、あれがいいこれがいいと、要求されても困り果てるだけなので、助かってはいるのだが。どうせくれるのなら、その場で消費できるものが良いという。すなわち食品類、大概はケーキ、デザートの類を求められる。

ミルキークリームロール

ケーキ、といえば近年出会ったものの中で、もっとも完成度の高いものが不二家の「ミルキークリームロール」であると確信する。

「ふ、何を言っているのだ。そんな俗なものが美味いわけがないであろう」
そのように言うものがいた。たしかに不二家ペコちゃんからは、「幼稚な子どもだまし」と受け取られても致し方ないであろう。
しかし、世の中かほどに甘くはないのだ。…いや甘いのだが、ミルキークリームロールは単なる甘さではない。
クリームがミルキーなのだ。
あの、不二家の古典的名作、ミルキーキャンディ。高濃度のコンデンスミルクの口あたりをよくしたような、千歳飴にも擬せられた、あのミルキー。
とはいえ、あまりの濃さに、ひとつ食べきるのが精一杯なミルキーが、クリーム化されるとじつに豊穣な味わいと化す、複雑な味わいが現出する。たかがロールケーキが、高高度なdesartとなる。バカにしてはならぬ、美味いものに聖も俗もありえない。入浴中を覗かれたペコちゃんが「ミルキー?」と叫ぶだけが能ではないのだ。

しかし、ミルキークリームロールを誕生ケーキにするわけもいくまい。いや、そうした事もあるのだが、何度も使える手段ではない。はてどうしようかと考えていたら、家内からこれがよいとリクエストがあった。なるほど、希望を叶えてあげるのがもっともよい。それに考える必要もない、となれば、それがベストであろう。

「ケーキ屋Sun」

本郷通り、三輪1,3,4,5丁目交差点を西へ曲がり、少し行ったところにある洋菓子店である。以前はドイツパンを扱う、評判の店だったと記憶するが、何年か前に変わられたようだ。使わせてもらうのは初めてだが、前以上に真面目で誠実な、美味しいケーキを作られている、との噂を漏れ聞いていたのでとても楽しみだ。

「メロンのまんま」

季節限定商品なのだそうだ。
1/2に切ったマスクメロンをくり抜き、中にスポンジケーキ、カスタードクリーム、生クリームを仕込み上に皮を取り除いたメロンを載せる。これ以上シンプルなものはない。

ミースの言葉

Less is more 「最小こそ豊かである」
と言ったのは建築家ミース・ファン・デル=ローエである。ガラスと鉄骨、タイルのみで作り上げた「ファンズワース邸」は、住みこなすにはよほどの覚悟と努力が必要だが、そこには現代人の求める「美」がある。

同様に、「メロンのまんま」も切り分けづらく、食べづらくはなはだ閉口ではあるものの、シンプルであるがゆえの美味さがある。これはなかなかの傑作と確信する。

ending

「お母さんは何歳になったのか?」
と、執拗に尋ねる息子を、ひたすら無視する家内。50すぎればいくつでも同じであろう、と思うのだが、そこは女心というものである。黙っておいてやろう。秋の気配が近づく夜長である。

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長野市「某クリニック」健康診断とみーるマーマの素敵なお弁当


「健康優良幼児」というものを受けたのは幼稚園の時であったろうか。平均以上の体躯の、大きな病のない元気な子供を表彰してくれるものだ。誠にありがたい事で、以降大病した事がない。

以来数十年経過したが、健常な状態であるわけもない。日頃鍛えていることもないとなれば、やれメタボだ成人病だと様々なものを抱え込む事となる。やれやれ。今回も年一度の検診である。

身長体重視力聴力胸レントゲンに胃カメラとひと通り済ませ終了。昨夜22:00から何も食べていないので、空腹状態である。こちらの検診は美味しい弁当つきなのでとても楽しみでもある。

こちらの弁当はみーるんケア社製。すなわち「みーるマーマ」運営会社に用意してもらったものというものである。惣菜7種、ご飯、デザートという、なかなか豪華なメニューである。

右上「鯖の香り揚げ」から時計回りに「長芋の三珍和え」これはみーるマーマの名物メニュー。「香の物小鉢」、「有精卵を使った玉子焼き」

上「鶏の生姜焼き」、下「フルーツと和菓子」

右上「切り干し大根の酢の物」、右下「黒豆」、左「新鮮野菜のサラダ」

「金芽米と十五穀米」

ひとつひとつ吟味された素材と、丁寧に仕立てられた料理たちである。これで今年も健康だ。

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あらら?冒険記 木曽路施餓鬼法要編


木曾の道

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

とは、島崎藤村「夜明け前」の冒頭部分である。描かれているのは幕末期、執筆されたのは昭和初年であるが、なに現代もさほどには変わらない。木曾川ぞいをうねうねと蛇行しながら行く道は、まさしく「隘路」そのものである。しかもほとんど一本道なので、災害などで土砂崩れでも起ころうものなら、木曾路はあっという間に陸の孤島と化す。さすがに近年は、改修工事が進み、対岸に移し拡張したり、トンネルを掘ったりと使い勝手が良くなった。まだまだ一部区間ではあるものの、今後はどんどん良くなっていくだろう。…とは言うものの、今度は真っ直ぐ道となった木曾路はそれらしく感じることが出来ず、なんとなく面白くない。まったく身勝手なものだ。

木曽とわが家

木曾上松は家内の母と、家内自身の出身地である。
大正の終わりごろ、縁あって岐阜から祖父母が移り住み、昭和の初め、それこそ藤村が「夜明け前」連載中くらいの時期に義母が生まれ、戦後義父と出会い、家内が生まれ、という段取りだったのだが、義父の転勤で他出してしまった。だから家内は木曾での生活をほとんど覚えていないという。
一家はその後諏訪、中野、飯山そして長野市へと移り、家内は家内で諏訪、東京、松本、長野市と転々としたため、木曾に戻る事はなかったが、関係が切れることはない。遠縁はいるし、そもそも菩提寺がある。

一時、年に一度、お盆には家族中で木曾に詣るのが習慣だった。朝早く起きだし、弁当を作りわが家と義姉家族、義父、叔母と総出で出かけ、まだ小さかった子どもたちを遊ばせながら往復すると、ちょうどいい行楽代わりとなる。
10年ほど前に、実家を建て替え同居を始めたりと、区切り事があったので、せっかくだからお墓も、という事で長野市へ移した。これが基で木曾へ出向くことが激減してしまうこととなった。墓参りで1日かけての往復も、悪くはないのだが、やはり億劫事でもある。それに叔母・義父ともに高齢となり、体調のことを考えると、やはり移した方がよいだろうと、決断した次第である。
そして、数年を経て両名とも亡くなり、これは本格的に縁が切れてしまうかな。ま、それはそれで仕方がない。というくらいに思っていた木曾にまた足を向けるようになったのは、昨年なんとなく参加した、菩提寺の「施餓鬼法要」の様子がじつにほんのりと、よい雰囲気だったからだ。

施餓鬼法要

「施餓鬼法要」とは、

餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。(中略)日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。

面倒だからWikipediaから引用してしまったが、不幸な亡くなり方をしたものを供養することで、お盆の嚆矢とする、ということか。調べが至らず、いい加減な解釈で恐縮だが、この行事がなんとも言えずによいのだ。

午前の仕事が休めない、という家内の帰宅を待ち、出発したのは13:30を回っていたが、急ぐ旅ではない。施餓鬼法要は17:00からだし、他に行くところもない。ゆっくり行って今日中に帰宅できればよいのだ。長野インターから高速道路に乗り塩尻まで。そこから中山道を通り上松町まで、というルートはいつも通りである。権兵衛峠が整備されてからは、伊那まわりで木曾に至る、というルートも出来たのだが、時間的にあまり変わらないのと、高速道路料金が高くなる、という理由で一度使ったきりだ。ゆっくりゆっくり来ても、到着したのは16:00を少し回ったくらいであった。それでも少し早いが、わが家にはもう一つ恒例の行事がある。それは五平餅を食べることだ。

五平餅

五平餅はご存知の通り、半搗きしたご飯(半ごろしという地域もある)を串うちし、成形したものにタレをつけて焼き上げたものである。

中部地方の山間部(長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方や山梨県)に伝わる郷土料理。[Wikipediaより]

というが、小判型だったり、団子型だったり。はたまた串うちせずにおにぎり状だったり。タレも醤油ベースだったり味噌ベースだったり、クルミが入ったり、ゴマもしくはエゴマを使ったりと各地で様々なバリエーションがある。名物・名産というより、人びとの生活に深く根ざした食品ととらえるべきであろう。
また、本のタイトルNHK連続テレビ小説「半分、青い」に登場してからというもの、売り上げが急増してしたのだとか。とはいえ、あのドラマは岐阜が舞台だから、木曾とは関係がないが。

【お店のデータ】
食堂 中村
場所 長野県木曽郡上松町寝覚ノ床入口
電話 0264-52-2183
駐車場 あり

こちらは、わが家御用達、…という事でもないが、義父の時代から使わせてもらっている店である。率直なところ、どうということのない、昔ながらの普通のそば屋であるが、この五平餅を食べないとどうも木曾に来た気がしない。先に話したように、五平餅は生活に根ざした食品だから、どこのものが最高に美味い!ということはないと思うのだが、ここの味わいがもっとも口にあっている。何十年ものつきあい、ということもあるからだろうが。

「五平餅セット」

長径20センチ、短径5センチほどの五平餅二本にコーヒーがつく。昼どきならそば、サラダとの組み合わせである「五平餅定食」を食べるのだが、夕食に差し支えるのでこちらにする。
半搗き、半ごろしというが、要するにご飯である。だから、これ一つでもかなりな食べごたえとなる。味噌をベースとしたタレも、砂糖とクルミなどの木の実とが加わって、とても複雑な味わいである。美味い、安定の味わいといってよいだろう。

美味しい五平餅を食べつくし、ようやく本番である。わが家の菩提寺である臨川寺は、そば屋のすぐ隣、歩いて数分もかからない。ここは、木曽川に面して建っており、木曾最大の景勝地である「寝覚めの床」の直上に位置する。というか、下まで降りたければ、境内を通ってからでないと行けないようになっている。

「寝覚めの床」

木曾山系は、もともと花崗岩によって構成された地形である。数万年におよぶ木曽川の流れによって、花崗岩が侵食され、できた自然地形で、巨大な岩が様々な姿を見せている。この名は

浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年(938年)この地から姿を消した。 [Wikipedia]より
また巷説によれば、浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという [Wikipedia]より

との事だ。
そもそも臨川寺の建立由来は「寝覚浦嶋寺略縁起」なる書物に記載されているそうだし、併設されている「宝物殿」と呼ばれる施設には、「浦島太郎の釣竿」が展示されている。

なお、宝物殿には様々な古い生活道具や昔の教科書、明治天皇の御真影などが展示されている。興味深いのは「吉良流作法書」とされる資料である。吉良といえば「忠臣蔵」(という表現は間違いだそうだが、ここではこれで統一する)に登場する、吉良上野介義央で有名だ。もともと公家侍の家系で、勅使饗応指南役だったのでこのようなマニュアルを用意されていたという。書物だけではなく、着付けや膳のつくりなど和紙できれいに作り上げられている。現代でも、十分通用しそうなものである。「忠臣蔵」以降、吉良流は廃れ小笠原流に取って変わる。まことに歴史は非常なものである。

こんなマニアックなものがある宝物殿は、歴史好きにとってはまさに宝物のヤマである。お好みの方はぜひお越しください。

そして本番

さて、いよいよ施餓鬼法要である。
率直なところ、何ということのない法事である。日暮れ少し前に、境内に設置された大きな屋根つきのテラス(住職は「休憩所」といっていた)で、三々五々集まってきた、大勢の檀家衆の前で、住職の他いく人かの僧侶が読経する。それだけの事なのだが、次第に暮れてゆく日差しの中、読経の声、人びとのさざめきがうまくブレンドされ、耳ざわりよく心地よいのだ。

ご近所の、というより同じコミュニティの仲良し同士が、先祖を敬い、皆がみな、お互いをリスペクトしあい、無病息災を祈る。人としての心の中にある、素直な気持ちが溢れ出てきているようで、なんとも言えずによいのだ。宗教行事、というほど大層なものではない。日常にある、ごく当たり前のこと、という感じなのだ。正直を言うと、今まであまり出会ったことがない雰囲気なのだ。
「田舎だからね」
と、親戚は言う。たしかに、東京の菩提寺でもなかったように思う。とはいえ、「施餓鬼法要」などごく当たり前にだと思うし、大々的なイベントとして行っていないだけではないか。そもそも、こちらの信仰心も薄く、いちおう天理教に入信しているのだが、何十年も行っていない。…もう一つ、ある宗教団体に加入しているはずだが、名前だけで、まったく関係がない。どこかは秘密だが。
そんなわけで、もともと薄い信仰心、縁のある寺でもこんな行事はなかった。というわけでほぼ初体験、それがとても心地よく、気に入ってしまったのだ。

読経が終わり、全員が焼香とお供米と水を捧げ、塔婆をもらって帰宅する。わが家の分を探したら見当たらない。住職に訊ねたら
「ああ忘れてた」
と言われて、その場で新しく書き上げてもらう。数が多いから仕方がない。こんな事があるから、余計と楽しいのだ。…また来年。


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お盆とTwitterのある風景


Twitterを始めたのは2007年だったか。
GREEだのmixiとはまた違う、言いっ放しで面白いよ。と、友人に誘われて始めたものの、最初は勝手が分からずにいたのだが、昼ごはんのことやら、読書の事を書きとばすうちに、「短文できめる」ことの面白さに気づいて、一時ドはまりしていた事がある。そして数年イヂくり回すうちにFacebookと出会い、TwitterにはBOT仕込んで放置して、昨年暮れから再開して。という、B型気質丸出しで現在に至るわけだ。
 
 
B型らしく、いきなり話を飛躍させるが、Twilogというサイトをご存知だろうか。IDを入力すると、そのTweetをまとめてブログ形式で表示してくれる、便利なサイトである。たまぁに覗いてみるのだが、これが面白い。数年前の自分はこんな事をやってたんだ。あんなことを考えていたのだ、とじつに興味深い。
 
 
2011年02月18日(土)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
おはようございます。今日は朝からバタついております。いかに怠惰な日常を過ごしているかがわかります。(゜∀゜;ノ)ノ #ohayou

 
7年ちょっと前のTweetで、もっともハマっていた時期のものだと思う。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
朝からバタついてましたがちょっと落ち着いて昼ご飯。久々に〈ししとう〉にて『レバニラ炒め定食』を。ウマかった

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
喜国雅彦『東京マラソンを走りたい』読了。江口寿史と並ぶ〈下らねーギャグマンガ〉のスペシャリストの『愉しくだらだら走る』ための本。要はモチベーション管理なんだよね。ワタクシのダイエットと同じやり方。仲間がいたぁ♪とナニか嬉しい (///▽//)

 
現在と同様、よく食べているし、老眼がひどくなる前なのでよく読んでいる。また、当時はダイエット中でもあったようだ。なお、日付の記載は変わった時のみとする。煩雑だからね。
 
 
2011年02月20日(日)

おそようです。チョイとバタついており、ようやく昼ご飯。今朝から蕎麦蕎麦とアタマにざるそばがこびり付いていたので〈草笛〉で『中盛』を ♪ d(⌒o⌒)b♪

 
「おそようです」というのは朝イチTweetができなかったからだ。事情があるのだが、それはまた後ほどとして、以下、しばらく読書感想タイムとなる。
 
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 読了。『悪名の棺』の笹川良一から堺利彦。〈最後の右翼〉から〈最古の左翼〉。間に何冊か入ったけど、毀誉褒貶というかふれ幅が大きいというか。我ながら節操のない読書傾向。

 

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堺利彦といえば幸徳秋水や大杉栄といったビッグ・ネームの影にいた地味な人。というイメージしかなかった。世間でも『まぁそんな感じじゃない?』という程度ではないか?関川夏央・谷口ジロー『明治流星雨』でもそんな扱いだったし。でもそんな扱いが出来るような人ではなく、もっとスゴい人だった。

 

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堺利彦とは初期の社会主義運動をほとんど一人で支えた人。幸徳や大杉よりも大きな事績を残した人だった。幸徳秋水には崇拝者がたくさんいた。カリスマとしての素質もあり、大逆事件(明らかな冤罪)で処刑されたことで伝説となった。大杉栄も同じ。関東大震災のドサクサで虐殺され英雄となった。

 

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そして、指導者を失った若者たちを支えたのが堺利彦だった。明治の末期。一度でも〈主義者〉というレッテルを貼られた者は国からの弾圧だけでなく、周囲からの差別・侮蔑の標的となり、仕事もなく、生計を立てるのに凄まじい困難が伴った。

 

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そんな彼らを最も面倒を見たのが堺利彦だった。筆がたち、誰からも好かれる人柄は例え〈主義者〉であっても一目置かれる存在であった。

 

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そんな彼が社会主義者にとっての〈冬の時代〉を乗り切るために創立したのが『売文社』。

 

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■新聞、雑誌、書籍の原稿製作並に編集■論文、美文、小説、随筆、記事文、慶弔文、書簡文、趣意書、意見書、各種文章の代作及び添削■英、獨、仏、露、伊、漢等、一切外国文の翻訳並に立案、代作■談話、演説等の筆記及び速記■寫字及びタイプライタ■出版印刷代理

 

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というのが〈売文社〉の営業品目。日本初の広告代理店であり編集プロダクション、翻訳会社ともいえる組織を作り上げた堺利彦に惹かれる。その人柄に、その柔軟な発想に。

 

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『理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推進していった』これが堺なりの〈運動〉であった。

 

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〈運命〉ってやっぱりあるのかな?と思わされた。ワタクシ自身は運命論者ではないのだが、こういう生涯を見るとつくづく誰かが『お前はこのようにしか生きてはいけない!』と決めているのではないか?と感じられてならない。

 

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大逆事件の際はたまたま獄舎におり連座を免れた。関東大震災の時も同じく獄舎にいたから虐殺されずにすんだ。第一次共産党事件の時もほんのわずかなことで処刑を免れた。

 

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不謹慎を承知で言えば、こういう大変な極めてキツい時代には〈英雄として〉死んでしまった方が幸福なのかもしれない。『彼はすごかった』『アイツは素晴らしかった』と皆が誉めてくれる。恐らく堺も同じように思ったのではないか?

 

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どう考えても大変でしょ?彼のやってきたことって。幸徳秋水やその他の人々の遺骸を引き取り、葬儀をだし、その後数ヶ月かけて遺族に慰問の旅に出る。帰還後は前述の通り、仲間や後輩たちの生活のために東奔西走の日々。それも内外からの迫害を受けながら。

 

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ナンにしても、スゴい生涯であった。こういう人に、ワタクシもなりたい。黒岩比佐子という方の作品は初めてだったが、素晴らしい力作だった。あとがきに膵臓がんの治療中であると記されていたが、その後はいかがであるのか。ご快癒を心からお祈りし、次の力作をお待ち申し上げております。

 
 
いやいや、なかなかどうして「書けて」いるではないか。
自賛は好まぬが、きちんと「書評」になっていると思う。ここでもう少し精進していれば、ソーテック社から本の一冊も出版できていたかもしれない。

ちなみに、「パンとペン」の著者 黒岩比佐子は、この書を最後に他界された。まことに残念なことだ。そしていまでも私のフェイバリット作家の1人である。
 

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『街並み 第39号 門前町の食堂』読了。読了とは言わないかも。写真雑誌だし。この雑誌を読む(観る?)のは二度目。どことなく懐かしく暖か (///▽//) 視点が優しい。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
善光寺門前界隈にある6つの食堂 〈和食処いかほ〉〈つたや食堂〉〈司食堂〉〈御食事処ことぶき〉〈中国料理 杏林〉〈しまや食堂〉 どこもかしこもウマそう。晩ご飯前だから余計と感じる。一刻も早く行って腹一杯喰ってこないと。

 

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権堂アーケード〈らあめん 花月園〉にて夕食。『豚そば 銀次郎』にキャベツ・コーンをトッピング。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
『これが、嵐げんこつらあめん こだわりの食べ方だ!!』という書き物が。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その1】ブラックペッパー 振るべし!!スープ全面をおおうほど、『これでもかっ!』と振りかけると、よりパンチの効いた味になるぞ!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その2】秘伝のらあめんダレ かけるべし!! パ~ッとひとかけすると、なんとも言えない風味が立ち上がり『こりゃ~もうたまらん!!』

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その3】激辛ニラ 入れるべし!! 旨いからといって入れ過ぎるとその激辛にヤラレます。入れ過ぎに注意だ!!

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
【その4】生ニンニク生しぼり 搾るべし!! 特製プレスで搾ってみてください。この元気な旨さはもはや説明不要ですよね~。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
嗚呼ウマかった。チョイと甘めなのが気になったが、美味しい部類に属するお店でした。これからまだ用事があるので〈生ニンニク生しぼり〉が出来なかったのが心残り。

 
 
などと、現在とまったく変わらぬノリで書いている。まった進歩がなくて困りものである。
困りもの、といえばこの数日やけにTweetの数が多いのである。いや、世の中には一日に何百とやっている人はいるのだが、そういう意味ではなくあくまで私のこと。それに、どことなく地に足がついていない、そんな風には読めないか、自分以外では。じつはけっこう、特殊な環境におかれていたのである。
 
 
2011年02月21日(月)

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
(・_・)んッ…?そういえば、このところどうしたの?ジムの話題は出ないし、晩ご飯も外食だし。…ははァ マスオさん稼ぎ悪いクセに態度デカいから、お舅さんに追い出されましたね? と幾人かの方から言われましたが、さにあらず。現在、病院に昼夜つめております。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
実を言えば、うちのおばあちゃんの具合が悪く、ほとんど〈忌まわの際〉という状態。この1年、寝たきりの状態だったにも関わらず旺盛な生命力を保ってきたおばあちゃんもそろそろかな?という事態になってきたようです。

 
ようやく出てきた。
その通り、この時は同居していた義理の叔母が死にかけていたのである。
7年前は、義父は高齢で腰が悪く、病院と自宅の往復に支障があった。家内も子供たちや家事がある。必然的に、ヒマだった私に付き添い役が回ってきた、というわけだ。
それまで「身内の死」には何度も相対してきたことがあるが、自ら「看取る」ことは、この時が初めてのことで、はなはだ精神的に平衡を失っていた。要するにテンパっていたのだ。「忌まわの際」なんて思い切り間違っている。「今わの際」だよね。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
当然のことながらこういう経験は初めて。読書しながら、おばあちゃんの波乱万丈な生涯(ホントなのです)に思いを馳せたり、おばあちゃんが今どんな心持ちであるかを想像したり。

 
「波乱万丈な生涯」とは彼女が満州で体験した、一連の出来事や、帰国してからの労苦を指す。そのうち、記録としてまとめたいと思いつつ、何年も経ってしまっている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
なにしろ意識混濁状態なので、痛いのか苦しいのか。はたまたツラいのかが全くわからない。たまに顔をしかめてみたり、軽く声を出してみたり。見ようによっては苦しんでいるとも、そうでないとも見える。本人に聞いても答えが返ってくるわけもなく、弱ったものだ。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
痛かったり苦しかったりしなければ、全く問題ないのだけど。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
また、我々と過ごした最後の日々は幸せであったのか?と考えたりもする。わずか5年間の同居生活であったが、果たして快適に過ごして貰っていたのか?

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
書き忘れたが、〈おばあちゃん〉といっても義父の〈連れ合い〉ということでもなく、我々や子どもたちにとっての〈祖母〉ということでもない。義父の姉であり、家内の叔母にあたる方。生涯を教育者として、家庭を持たず、兄弟たちのために仕事に生き抜いた方。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
とにかく行動力の塊でパワフルで。我々夫婦の間では『おばあちゃんは止まった時が死ぬとき』なんて陰口たたいて笑っていたものだが(おばあちゃんごめん!)。この辺りはいずれツィートすることがある筈なので割愛。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
〈スーパーおばあちゃん〉はずっと義父と二人暮らし(義母は10数年ほど前に他界)していたが、80半ばを過ぎて大病してから、『こりゃマズい!』と我々が同居、お世話をすることになった。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
家内はもともと看護士なので、介護などお手のもの。そういう点では非常に快適な生活を送って頂けたと思うのだが。掃除・炊事・洗濯もしなくてよいのだし。ただ一点なくしたものが。それは〈自由〉。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
常に日本全国あっちゃこっちゃ走り回りかけずり回りしていた人が、チョイと足腰が弱ったからといって『車椅子に乗れ』『外に行くときは1人じゃダメ!』などと言われ。…別に意地悪ではないので。身体能力そのものが弱っていたので、単独行動はムリ!という判断の基ですから。念のため。

 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
内幕はともかく、そういう大切な〈自由〉を亡くしてしまったおばあちゃんの気持ちは、ホントのところどうだったのかな?と考えているとちょっと切なくなる。考えすぎか f^_^; まぁまだ亡くなったわけでなし。このまま生き続けてくれるかもしれないのだし。

 
そうなのだ。彼女の自由をうばったのは私なのだ。
生涯結婚せず、子供のない彼女にとっては教え子たちは「自分の子供」そのものであった。以前のように全国を飛び回りたい。教え子たちの行く末が心配でならない。その気持ちはよく理解できる。しかし、それは本人自身が動くことが出来てこそ、なのだ。よくてウォーカー、少し長い距離は車いすでしか動けない者が、いったいどうやって教え子の基へ行くというのだ。
 
同居を始めた当初、
『東京で同級会がある』
『一年も前からの約束だから奈良までいかなければ』
『バスに乗せてくれれば、岡山までカンタンに行ける』
と言い張る叔母に対し、今後のこともあるので、家内と二人、叔母に談判した時のことは今でも忘れられない。
 
『叔母ちゃんの旅行好きはよく知っているし、生きがいなのもよく分かっている。でも、今の状態で行けるわけがない。身体をもっと悪くしたら、元も子もない。だからもう遠出は行かせてあげられない。一人でなんて以てのほか。そのかわり、長野市近辺だったらオレが責任もって連れて行くから』
黙って頷いた叔母の、老人特有の無表情の瞳の奥に、悲しげな色が浮かんだように見えたのは、気のせいであったろうか。
 
無論、約束は守った。長野市近傍での会合や、同級会へは何度も同行した。「満州体験を語る」という趣旨でTV出演もしてしまったことがある。
ということで、やるだけはやった。周囲からもずいぶんとお褒めの言葉をいただいたし、おそらく本人も感謝してくれているとは思う。
それはそれで喜ばしいことである。満足でもあるし達成感もある。ただ、本当にあれで良かったのか。と、思わなくもない自分もいる。あれほどエネルギッシュに動いていた人を、ベッドに縛りつけることにしたのは私だ。だが分かっちゃいるけどもう少しよい言い方、やり方はなかったものか。オレはものすごく残酷なことをしたのではないか?と、8年も経過した現在に至るまで自問の日々を過ごしている。
 

あらら?の雑記帳☆@arata_k_arara
1時間ほど前におばあちゃんが亡くなりました。享年92。穏やかな最後であったのではないでしょうか。これから数日間、忙しくなります。

 
亡くなったのは、翌日の午後2:23だったか。2月22日で、あと1分で揃ったのに、と家内と家内の姉が話していたのが、アタマの片隅から離れない。
 
 
以上、8回目のお盆を迎えての思い出話であった。


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【映画days #11】コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~


多事争論

多事争論とは福沢諭吉が好んだ言葉として有名である。
「自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し」
「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」
自由とは、違う立場、違う意見を持つ者たちが議論をすることの中にある。単一の議論は、たとえすなおなよいものであっても、決して自由とは言えない。というほどの意味か。まことにあって然るべき態度であると考える。そして、逆を言えば、議論を沸騰させること、多種多様な意見交換を実現するものほど尊ぶべき。ということにもなる。

「コスタリカの奇跡」

コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~」(2016)
という映画を観てきた。コスタリカは、チリやウルグアイと共にラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国で、中米では例外的といってよいほど、政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な「中米の楽園」と呼ばれるほどの国である。社会保障が充実し、識字率は高く、国民皆保険制度を導入しているなど、「楽園」の名にふさわしい存在といえる。
なぜ、「楽園」を実現することが出来たのか、それは常時軍を廃止することにより、予算を社会保障費に充当、

無料の教育、無料の医療を実現し、環境のために国家予算を振り分けてきた。その結果、地球の健全性や人々の幸福度、そして健康を図る指標「地球幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いているのがコスタリカである。またラテンアメリカで最も安全とされている国でもある。

公式HPより

1949年、当時の大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールによって軍隊廃止宣言がなされてから、1980年代にオスカル・アリアス・サンチェス元大統領による「非武装中立宣言」、そして現代にいたるまでの希望と栄光、そして苦難の軌跡を描いたドキュメンタリー映画である。

なぜ、ここに至ったか

と、このように書くとよいことづくめ、何もしらなければコスタリカは地上の楽園として刷り込みがなされそうだが、現実はそんな簡単なものではない。
コスタリカ内戦によって大統領に就任したホセ・フィゲーレス・フェレールが軍隊を廃止したのには、一に元大統領であるカルデロン・グアルディアの勢力の力を削ぐことであった。これはその後ラテンアメリカ諸国で多発した、軍事クーデターを防止することにもつながった。また、

これは、リオ条約と米州機構の存在によって成り立つものである。すなわち、米ソ冷戦期において米州における相互防衛を謳った米州相互援助条約(リオ条約)と、集団的自衛権を認めた集団安全保障機構である米州機構の存在が、コスタリカをして独自の戦力保持を否定させた要因である。

これは、ねたねこという方の「FUNGIEREN SIE MEHR !!」というブログからの引用である。

軍隊の役割は警察組織に委ねられ、有事の際は民兵団を組織できることが法制化されている。このとこは、作中で言及はされているものの、深くは掘り下げられていない。
1986年オスカル・アリアス・サンチェス大統領による「非武装中立宣言」にしても

当時隣国ニカラグアのサンディニスタ政権に対して反政府活動を行っていたCIA、コントラの後方基地(聖域)がコスタリカ領内にあったことに対する国内外の批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズ

という見方もできる。
すなわち、その場その時の状況を踏まえた、政治的な事情による選択であり、必ずしも理想を追い求めた結果、というばかりではないことは間違いない。そこにあるのはしたたかな行動力と、クールなリアリズムをもつ政治家たちの、「国を守り豊かにする」という野望である。

あらためて、多事争論

あらゆる人間は、善悪両面の性質を持つ。双方を持たねば生きていくことすらままならない。それが人間であり、多面体な、ほかに例のない複雑な生物なのである。その人間が構成してできた「歴史」を片側からのみしか見ないことほど、愚かな行為はないのだ。
いずれにせよ、
「だから軍隊廃止、非武装中立などあり得ない」という議論は間違いである。
反対に
「軍隊を廃してこその平和である」と言い切ってしまうのも間違っている。

「平和を抑止力とした」ということそのものが「コスタリカの奇跡」なのだ。
われわれが見るべきはそこである。この作品のHPに

「改憲をめぐって自衛隊の存在が論じられている今こそ、70年前に軍隊を解体したコスタリカの画期的な取り組みから学ぶべきことが大いにあります。日本の全国民にぜひ見て欲しい貴重なドキュメンタリーです。」

というピーター・バラカンの言葉があげられている。単純に受け取ってはならないが、深い言葉だと思う。
多事争論
まだまだ、議論を積み重ねていくのは、これからだ。

追伸として

先の「FUNGIEREN SIE MEHR !!」だが、少々偏りすぎだし、言い過ぎ(「ポーズ」なる表現)がなくもないが、きちんと根拠が示されていたりと、基本的にクールで面白い。よかったらご参照いただきたい。


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あらら?冒険記 大腸鏡編


健康診断とその結果

先々月の健康診断の結果は、想像よりもよいものであったといえる。…よい、という表現はやや微妙なものである事は素直に認めよう。喫緊の、あるいは至急の治療や投薬が必要ないだけで、メタボではあるし、現在の通院と治療を忘れずしっかり行え。歳も歳だから、暴飲暴食は避けよ。との事であった。

ただ一つ、「要検査」とされたものがある。
便潜血+
要するに、大便に血液が混ざっているよ。大腸に何か、疾患があるかもしれないよ。そういう事だ。
何かがあるかもしれない。

そんな事は、年齢からしてあり得ることだろう。いつまでも若くはない。臓器も弱ってきているだろう、先に言った通り、メタボでもある。むしろ、「何か」があって当たり前なのかもしれない。ま、あったところで、その場で対処するより他にない。深刻な事であれば、それはそれで興味がなくもない。いずれにせよ、長く放置しておいても意味がないし、面白くもない、検査しに行くか。いざ、冒険の始まりである。

大腸鏡検査

検査、といってもいきなり病院へ行き
「はい!お願いします!」
という訳にはいかない。まずは主治医の基へ相談にいき、検査を行う、行わないの判断をしてもらう。
「ま、やってもらった方がいいね」
というお言葉を頂き検査決定。検査とは「大腸鏡検査」である。体内にぐりぐりと機械を差し込み、中を覗くという、一見乱暴にみえるが、現代的に洗練された手法なのだという。疾患があれば、その場で試験体を採取する事も出来れば、手術も可能である。この技術が進化したおかげで、開腹手術が劇的に減少、リスクも少なく、予後もさしたる心配はいらない。言わば、医療に革命をもたらした。といっても過言ではない技術である。

しかし、今回の検査は大腸鏡である。はなはだ尾籠な事で恐縮だが、お尻から中へ、という工程を経る以上、検査機関は限られてしまう。主治医は
胃カメラの名手なのだが、こればかりは仕方ない。連携している総合病院を紹介してもらい、そちらへと赴くこととなる。

地方独立行政法人 長野市民病院

こちらは、北信地区の拠点病院となっており、30診療科400床という、大々的な総合病院である。
7月の終わりに第1回目の受診。といって、実質的に予約だけなのだが、検査をしてくれる先生と行会い、準備などをきかされる。

前日はなるべく繊維質の多い食品、例えば生野菜など残渣となる可能性のあるものは出来るだけ避けて、20:00までに夕食を終え、下剤を飲むこと。その後は検査終了まで、水・お茶以外のものは一切とってはならぬ、というお達しである。
と、ここまで大袈裟に書いたが、じつは大腸鏡検査はこれで4回目なのである。しかもすべて市民病院でやっている。勝手知ったるものだ。

検査までの段取り

マニュアル通り、朝食は抜いて摂取できるものは水もしくはお茶のみ。まことに侘しい朝の時をすごし、10:00に市民病院到着。10:30でよいと言われていたのだが、われながら気早なことである。時間があると、ついレストランを覗いてしまうのは仕方のないことだ。和風モーニング、焼き魚がこれほど小さければ、腹の足しにならない。しかし食べたい、おれは腹がへっているのだ。
「コーヒーor紅茶 お替り自由」
という文言から目が離れない。あゝおれは腹がへっているのだ。

内視鏡検査室で受付完了後、直ちに儀式が始まる。すなわち腸管洗浄という、キツいキツい通過儀礼があるのだ。オリビア・ハッセーにジョン・レノンをふりかけ、マーク・レスター風味をつけ加え、数回咀嚼したような看護師さんが丁寧に教えてくれる。想像できない?ならばそれでよいではないか。おれは腹がへっているのだ。

オリビア看護師と儀式の始まり

腸管洗浄剤モビプレップ、誠に妙な名前の薬だが、これを

モビプレップを250ml、15分かけて飲む
モビプレップを250ml、15分かけて飲む
水を250ml、15分かけて飲む

これを1クールとして、3回繰り返す。以前のものとは変わったようだ。少し量が減ったか。
トータル2.25ℓ。頑張ればひと息で、という事もできるがオリビア看護師にダメ出しされる。では15分おきに250mlをすいーっと。というのもダメ。刺激が強すぎて腸管の内圧が高まり、穿孔の可能性があるとの事だ。
15分かけてゆっくりゆっくりいけ
という。なかなか曖昧なことで、毎度困惑するのであるが、なんとかしてみよう。

いろいろ考えた結果、250mlを80ml、80ml、90mlに分けて5分おきに飲み干す事にする。この辺は、カップについた目盛りを見ながら、かなり目分量ではあるが、それは勘弁してもらう。15分間に250ml飲めばよいだろう。

モビプレップ

それにしてもモビプレップはまずい。
スポーツ飲料に塩を足した、というイメージは以前のものと変わらない。味わいがはっきりした分、口中に残る風味がなんとも言えないのだ。不自然な甘さと塩加減なのである。良薬口に苦し、というがかようにへんちくりんな名の薬はより一層、美味い訳がない。

2時間と少しをかけて飲み干す。その間、7回トイレへの出入りを繰り返す。水様便というが、昨夜から今朝にかけて出てしまっているので、ほとんど色つきの水のようなものである。残渣のあるリアルゴールド、という感じか。
上手くしたもので、3クール目が終わったくらいには看護師さんから合格を宣告される。やれやれ。右隣にいる品の良い年配のおばさんは、飲みきれないといって半泣き状態だ。とにかく飲め、飲み終わったところで確認する、と言われ呆然としている。左隣のジェントルマンは、飲み終わったのに出ない、といって新しくモビプレップが処方された。どちらも気の毒な事だ。

儀式の終わりと読書タイム

処置は15:30からの17:00までの間に行われる。
と聞き、心折れへなへなとその場に崩れ落ちそうになる。現在12:45、最低でも2時間待ちか。仕方ない、図書室で待つことにする。途中、コンビニに立ち寄り冷たい煎茶を購入。併設のレストランメニューにくぎ付けとなってしまうのも致し方のないことだ。

「まぐろとしらすの紅白二色丼」
「チキンと茄子のトマトソーススパゲティ」
「豚肉のコチュジャン炒め」
あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。
図書室とは、玄関ロビーのすぐ脇に設置されているコーナーで、一般書籍やマンガが用意されている。入院患者はもちろん、私のように検査や診察待ちの人も利用できるようになっている。さて何を読むか。

「クッキングパパ」

うえやまとち原作のマンガで、コミックモーニング誌で、1985年から連載されている、長寿作品である。主人公 荒岩一味が、いかつい体躯と繊細な技倆とで料理を作りまくる、というお話だ。あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。

コンビニコミック版だから、連載順ではなくばらばらに収録されている。だから絵の巧拙、構成の違いなどがよく分かる。とくに初期のものは、コミックモーニング創刊時のコンセプト
「20歳代後半、独身男子の処世術」
を踏襲したもので、じつに微笑ましい。「課長 島耕作」だって、連載開始時はサラリーマンの悲哀を描いた、情けないオトコを描いたマンガだったのだ。

内視鏡室と再待機

15:30となったので、内視鏡検査室に戻る。…が、なかなか声がかからない。20分ほどして、先ほどのオリビア看護師から
「最初の患者さんに手間取ってしまい、後が押してしまっている。大丈夫ですか?
大丈夫もへったくれもない。では明日に変えよう、などという事は出来ようはずもない。待つしかないではないか。
そして16:30、17:30が過ぎ、18:00ちょっと前、いい加減キレそうになるタイミングで呼ばれる。検査着に着替えスタンバイOK。それでも検査室入りしたのは18:30くらいだったか。

麻酔と検査と漱石と

検査中は麻酔をする。
という事は、当初から申告していた事である。10年ほど前の第1回検査時に、大変な思いをしたので、以来麻酔状態でやってもらう事にしているのだが、看護師(オリビアとは違う人)から
麻酔、やめませんか?
と言われる。ただでさえ遅くなっているのに、これから麻酔では一層のこと時間がかかってしまうからだ。
いいえ、麻酔はお願いします
遅くなったのはあなた方の都合、苦しいのは私である。という事で注射1本、軽い痛覚とともにコロンと意識を失う。

強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。

とは夏目漱石「思い出す事など」から、いわゆる「修善寺の大患」が描かれた場面である。無論、かほどに大袈裟なことはないが、気分はこれとまったく同様である。

「あらら?さん」
と呼びかけられたのは、注射の後、ほんの一瞬の間のことと思われたが、実時間では20分ほど経過していた。
1時間ほど様子を見る。
と言われたが、もう目は覚めちゃってるし、少しふらつくけど動けるよ、と返したのだが、15分だけ横になっていろ、と言われる。実際には10分ほどだと思うが、放免され着替えることとなる。

検査終了

「先生が見えるまでしばらくお待ち下さい」
待つのはよいが、おれは腹がへっているのだ。コンビニでパンのひとつも食べさせてくれと懇願し、許可が出たのでいそいそ出かける。
「オムカツサンド」
オムレツにパン粉をつけ、揚げたものを具としたサンドイッチだ。コカ・コーラゼロとともに愛おしく頂く。あゝ美味い、しみじみ美味い。とかなんとか言いつつも、食べ尽くしたのは、ものの1分ちょっとであろう。もうひとつ行くかな?と検討を始めた時に、お声がかかる。

言い忘れていたが、担当医は女性であった。色白にしたウーピー・ゴールドバーグを可愛くしたような、というとまた混乱されそうだが、適当に想像してもらいたい。

画像をひと通り見せてもらった上で
何もありませんでした
と、あっけらかんと言われ終了。一ヶ所、ポリープ様のものがなくもないが、色合いやサイズからして良性のものでしょう。襞の反対側、見えない部分に腫瘍がある、なんてこともなくはないのだが、たぶん大丈夫でしょう。潜血も、どこかが擦れて出血でもしたんじゃないですか?との事であった。ウーピー先生、真面目そうだが、シャレもききそうだったので、気の利いたセリフのひとつも言ってやろうかとも思ったが、疲労困憊状態だからか、思いつきもしなかったので、そそくさと帰る。

会計、そして冒険の終わり

時刻は19:30。会計が終わってしまっている、という事なので救急コーナーに回り支払いをする。
7100円
3割負担だから、実際はおよそ23000円の検査である。けっこうな金額で、なおかつ大変な労苦を伴うものだったが、結果は何もなし。
…いや、無くて結構なのだ。前日から起算して23時間30分の冒険は、まことにあっけなく終わりを告げたのだった。

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【うなぎdays #4】長野市「うなぎの宿 住吉」


【お店のデータ】
うなぎの宿 住吉
場所 長野県長野市箱清水2-19-31 [地図はこちら
電話 050-5890-9500
駐車場 あり

うなぎとのおつきあい

貝塚などからの出土状況から分かるように、うなぎは少なくとも、縄文時代から食べられていたという。また、「万葉集」にも登場することから、かなりポピュラーな存在だったと言われている。
「蒲焼き」という言葉は「鈴鹿家記」という室町時代に成立した書物に登場するが、現在の製法とは違っており、われわれの知る「蒲焼き」となったのは、江戸時代中期以降のことだという。
じつはこのあたり、静岡の「蒲焼割烹 うな繁」というなぎ屋さんのホームページを参照している。
実際に醤油焼き、味噌焼き、塩焼きを作り、食べ比べるコーナーがある。味噌、塩はそれなりに食べられるが、醤油はうなぎの脂となじまず、皮に弾かれ味が染み込まないので、美味しく仕上がらない。

現在の蒲焼の誕生には、タレとなる「醤油」と「味醂」「酒」「砂糖」などの甘み調味料の普及と同時に、ウナギを生きたまま裂くという技術が先行しなくては完成されなかったと推測されます。

と結ばれる。この実証主義が素晴らしい。さすが、現場ならではの薀蓄が満載で、迫力がある。よかったらご参照いただきたい。

蒲焼割烹 うな繁

本年はうなぎづいている。
これで4回目(実は5回目なのだが)そのうち3回がうなぎ屋さんという、実に幸せな年である。高騰しているのに、なんて事だ。とお叱りを受けそうでもあるがこういう事もあるだろう。

「うなぎの宿 住吉」

という事で今回はこちらである。うなぎといったら「住吉」と名前がパッとあがる、そんな存在といえる。創業はどのくらいになるのであろうか。昭和から続くという風情の佇まいがよい。

メニューを一巡、それにしても高い。
うなぎ屋はもともと高いのが相場だが、これでは一時の倍額である。昔、新年最初の外食は、こちらの「かさね重」を食べる。という習慣があったのだがもう無理だろう。

「大串丼 ご飯大盛」

デカい丼に蒲焼きがドンと鎮座している。うなぎ1/3サイズと聞いた。昔はこれが1000円くらいで食べられたのに。などという愚痴はおいて、早速いただくのである。熱いものは熱いうちに食べねば、池波正太郎師に叱られてしまう。

価格のことをいろいろ言ったが、味はまったく変わらない。ふっくら、という歯ごたえがたまらない。先だって山椒はご飯にかける、というのを聞いたので実践しているのだがこれが美味い。

肝吸いではなく味噌汁がデフォルトなのがなんとも言えず好ましい。切り干し大根、漬物のあり方も普通の食堂っぽくてよろしいのだ。

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【うなぎdays #3】長野市「花ぶき」斎藤茂吉とうなぎと


【お店のデータ】
花ぶき
場所 長野県長野市箱清水1-10-24 [地図はこちら]
電話 026-234-7337
駐車場 あり(ただし少ないのでお店の方にお訊ね下さい)

斎藤茂吉

歌人で精神科医であった斎藤茂吉(1882-1953)はとにかく、真面目一方の人物であったそうだ。有名な小宮豊隆(1884-1966)との論争〜松尾芭蕉「しづかさや岩にしみ入る蝉のこゑ」のセミがアブラゼミであったか、ニイニイゼミであったかを大真面目に論じ、小宮が半分投げているにも関わらず、数年をかけて決着をつけたりと、凄まじいものがあったという。

しかし、そんな大堅物であったが、真面目すぎが高じ、かえっておかしみが増す、本当に面白い人物だったそうだ。
ユーモア:humorとはhuman:人間が語源というが、茂吉ほど人間くさく、面白い人物はいなかった。という意味であることを、息子である北杜夫が書いていた。
茂吉はまた、無類のうなぎ好きでもあった。
長男 茂太の見合いの席で、後に嫁となる美智子が、手をつけずに残したうなぎを
「いらないならおくれ」
と食べてしまったり、 山形へ疎開する際にはトランクいっぱいのうなぎ缶詰を持ち込み、後生大事に、密かに1人で、愛おしむように食べつくしたという。もちろん、家族に分け与えるなど、考えもしなかったのだとか。

密やかに、静かな「花ぶき」

昨今の高騰は別として、もともとうなぎとは高級品の部類に入るものである。したがって、あまり大っぴらに吹聴すると、あまりよいことはない。…ような気がするので、密やかに、静かに頂こう。ということでお邪魔したのがこちらである。

「花ぶき」

隠れ家的名店、というよりはっきりと「隠れ家」のお店である。以前からこちらの存在は知ってはいたが、予約制というハードルの高さで、なかなか足が向く事がなかったのだ。期待感Full Maxである。

個室空間

内部は個室となっており、庭が伺える。庭そのものはさして広くないが、高低差があるのと、城山公園を借景出来るのとで、とても見事な風景だ。

このようなお店らしくメニューは二択である。蒲焼き、白焼きの両方が楽しめる「しらかば重」。4種類の食べ方が楽しめる「ひつまぶし」。後者はデリシャスコマチアクセスランキング5年連続1位だという。

はじめに

骨せんべいと漬物、突き出しの、ということか。しっかりと揚げられた骨を噛みしめる。さくりとした歯ごたえと、髄に至るときの「くきッ」とした食感がなんともいえない。たくあん、きゅうりの浅漬け、桜漬も、楚々として美味い。

「しらかば重」

いつも通り、優柔不断と激しい検討と、様々な逡巡の果てに、こちらで決定。蒲焼きだけでなく、白焼きも、というのが決定打となった。じつに、華やかな御膳だ。食べるのがもったいない。

「白焼き」

まずはこちらから。今まできちんとしたものを食べた事がなかった。そのままでは淡白でしかないが、わさびあるいは梅塩をのせると絶品である。表面はパリッと、中はふわふわと。美味すぎる。

「蒲焼き」

となると、こちらは影が薄くなりそうだが、決してそんなことはない。蒸さずに焼く関西風とのことだが、これもまた見事な仕上がりである。ミルで挽く山椒をたっぷりかけて頂く。幸福感絶大である。

「ご飯」


けっこうなボリューム、というより他店の大盛りクラスである。それともこちらを見て加減してくれたか。炊きたてで熱々の白飯とうなぎの相性が素晴らしすぎる。

「デザート」

デザートの完成度も高し。甘酒を用いたプリンだという。甘すぎず、さりとて甘酒のクセをごく抑えた品のよい一品であった。

庭を愛でながらの昼食は、なんとも言えずによいものだ。聞くところによると、春先の桜は、それは見事という事だ。ぜひ来春、堪能したいものだ。

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【うなぎdays #2】長野市「浜名屋」平賀源内とうなぎと私


【お店のデータ】
浜名屋
場所 長野県長野市南長野県町600 [地図はこちら]
電話 026-232-7411
駐車場 あり

平賀源内

そもそも、夏の土用の丑の日にうなぎを食する様になったのは、平賀源内が広めた、という説がある。

平賀源内はご存知の通り、江戸時代中期を本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として生きた、大変な才人である。しかも、そのひとつひとつが超一流とくれば、われわれ凡人は、ただ平伏するしかない。
また彼は、日本初のCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけたり、安永4年には音羽屋多吉の清水餅の広告を手がけたりと、日本におけるコピーライトの先駆け、とも言われている。
うなぎも、その連なりでうなぎ屋の主人に泣きつかれた平賀源内が、「けふは丑の日」と店先に張り紙させたら、それが大ヒットした。以来、風習として残ったのだとか。
嘘か誠か定かではないが、本来的に季節とうなぎはまったく関係がないという事は確かである。
とはいえ夏になるとなんとなくうなぎを食べたくなるのは不思議なものだ。さすが平賀源内、習い性分となるほどのコピーを作ってしまうとは。とはいえ今時のうなぎなど、すき家以外では、簡単には食べられない。

「浜名屋」

本年は7月20日と8月1日であるという。何にせよ、暦とは関係のない生活をしている。当該日にうなぎを食す習慣などあるわけがない。と思っていたら、お誘いを頂いた。仕事のご褒美でご馳走してくれるという。仕事を一所懸命やるのは当たり前、と固辞したのだが、強くお誘い頂いたので遠慮なくお邪魔することとなった。場所は浜名屋。県町の一筋入った、ひっそりとある小さなお店だが長野市屈指の有名店でもある。

「うな重(特)」

「うな重」とあるが、(特)はうなぎの量が多いため、丼で供されるという。あまりのつやつや感、しずる感そして、素晴らしいほどの神々しさに、しばらくの間箸をつけることが出来ず、見惚れるだけとなる。うなぎの3/4ほどの量であろうか。ご飯を覆い尽くすうなぎ、うなぎ、うなぎ。

こちらも関西風に蒸さずに焼くのだとか。パリッとふっくら、焼き魚といった風情の蒲焼きである。先だって、山椒はご飯にふる。と聞いたので試したらこれが風味が効いてじつに美味い。病みつきになりそうだ。

「肝吸い」

これは別注文である。まったりな生麩、シャキッとした三つ葉、そしてプリプリの肝が美味い。漬物に奈良漬というのも、変わっていて美味しかった。

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