店名 中華料理 龍宮
場所 長野県長野市豊野町蟹沢74−1
バリアフリー ◯
駐車場 あり
突如として、何かに呼ばれることがある
まるでどこか遠い場所から、見えない声が耳の奥でささやくように。「おいで」とか、「こっちだ」とか、あるいはもっと単純に「喰え」とか。意識の深層にひっそりと入り込んでくるその誘いに、逆らえる者などいないのではないかと思う。ある日、ふいにその“何か”が自分の中で芽を出し、どうしようもなくそれを求めてしまう。欲望に火がつく、というより、静かに芯の部分から熱が灯るような感覚だ
今日はまさに、そんな日だった
なにかこう、胸の奥に重たくのしかかる感情。言語化できない焦燥のようなもどかしさが、ふと香りの記憶とともにやってきた。あの香り。八角の甘くてエキゾチックで、少しだけスパイシーなあの香りが、どこからともなく鼻腔に満ちてきたのだ。これはもう、完全に呼ばれている。中華だ。それも“ちゃんとした”中華。日本人向けに調整されたものではない、本場の香りが立ち上るような、真っ向勝負の中華料理に、全身ごと溺れてしまいたい。そういう気分だった。行き先はすぐに決まった
「中華料理 龍宮」
長野市の北の玄関口ともいえる豊野町蟹沢。幹線道路沿いに構える人気店だ。昼時には行列ができるほどの繁盛店で、味よし、量よし、値段よしの三拍子がそろっている。もっとも、駐車場の出入りが少々面倒くさいのが難点ではあるが、それさえも帳消しにしてくれるだけの価値がこの店にはある。今日のお目当ては
「 豚の角煮定食」1180円
堂々たる価格設定ながら、その内容は極めて充実している。ご飯、みそ汁、サラダ、この三点がなんとおかわり自由という太っ腹ぶり。量を食べる者にとって、これほど心強い店はないだろう
主役の角煮が、これまた見事だ
八角形の白い平皿の上に、つやつやと光る濃い茶色の角煮が3つ。決して数は多くないが、それぞれがとにかくデカい。高さも厚みもある。箸で持ち上げるだけで、ずしりと重みが伝わる。見ただけで、手間ひまをかけてじっくり煮込まれたことがわかるほどの風格を持っている
ひと噛みすれば
まず口いっぱいに広がるは、あの求めてやまなかった八角の香りだ。鼻の奥にまで届く濃厚な香りが、脳髄にまで染みわたるよう。脂身はとろけるような食感、赤身はホロリと崩れる柔らかさ。繊維ひとつひとつがちゃんと主張しながらも、全体がきれいにまとまっている。これぞ中華の職人芸だと唸るしかない
添えられているのは、鮮やかな洋ガラシ
これをたっぷり塗って角煮をかじると、さっきまでの甘さと香りが一変し、ビリッとした刺激が走る。それがまたたまらなく美味い。唇が軽くしびれ、鼻に抜ける香りがより際立つ。辛い、けど美味い。美味い、美味い、美味い。もはや語彙がなくなるほど、味覚の渦に巻き込まれていく
気づけば、ご飯がない
あんなにあったはずの白飯が、角煮の破壊力に抗えず、あっという間に消えてしまっていた。迷わずおかわりを頼む。戻ってきた白飯に、今度は角煮の煮汁をたっぷりとかける。これがまた格別だ。タレだけでもご飯3杯はいけそうなくらいに旨い。角煮本体の影に隠れてはいるが、タレそのものがひとつの完成形なのだ。トロリとした舌触り、八角の芳香、醤油と砂糖とその他諸々が調和した深み。この味が欲しかった。そう、今日の自分は、最初からこの味に呼ばれていたのだと確信した
食べ終えて、体がすっかり満たされた
胃袋も、心も、脳内のどこかで騒いでいた“なにか”も、すっかり静かになった。欲望が満たされたあとの心地よい静寂。その余韻に浸りながら、ふと感じた。この「呼ばれる」という感覚こそが、人間を突き動かす根源なのではないか。理由も目的もない、ただの衝動。それに素直に従ったことで、今日一日が特別なものになった。単なるランチではなく、記憶に残る食の冒険になった
午後の仕事?
そんなものはもう、どうにでもなる。エネルギーはチャージされた。心も体も満ちている。そう、何もかもが思い通り。今日は最高の日になった。食とは、時に人生を救う。そんな思いを胸に、私は店を後にした
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