飯山市「イナリ食堂」伝説のかつ丼


イナリ食堂
場所 長野県飯山市飯山新町205-2 [地図はこちら
電話 0269-62-2372
駐車場 あり
バリアフリー △
ジャンル 定食屋

伝説とは

伝説とは説を伝うること、長い間人から人へと語り継がれるような出来事、もしくはそのような出来事を指す。いずれにせよ、よほどの事でなければ伝説となれはしない。じつは、私の周りにはよっぽど”よほどの事”がない(変な表現だなぁ)ようで「伝説の◯◯」に出くわした事がないので、なんとなく「伝説の◯◯」に惹かれてならない。
ひと回り上の世代の方たちの多くからは、「あいつは伝説だった」というのをよく聞くのだが、世代なのか生まれ育った地域によるものなのか。隣町のアイツは30人対ひとりのケンカに勝ったとか、いとこの友だちのアニキの元カノの嫁行った先の義理の兄が300人ナンパしたとかいう極めてローカルなものだし、そもそも大した伝説でもないか。大げさに表現して、面白おかしく言って回っているだけかもしれない。あぁどこかで伝説と出会うことは出来ないか。

飯山へ

またしても飯山行きとなった。10日ほど前にお邪魔した先でやり残した仕事があったのだ。私に出来ない仕事などいくらでもあるのだが、これは特に手の出ないタイプの作業であり、ここはひとつプロフェッショナルである先輩にお出ましいただいた次第である。長野で昼少し前に待ち合わせ、そのまま飯山へと向かう。
お客様宅はちょうどランチタイムであったが、気にせずやってよしとの事だったので作業開始。…したはよいが、さすがプロのやる事だ。あっという間に終わってしまう。
「ちょっとしたことだから、簡単だよ」
とはいうものの、お客様はもちろん、私にもとても出来ることではない。さすがだ。
意外と、というより想定以上の速さで終わった。次の予定まで少し間があるのでこちらもランチタイムとしよう。飯山の街にも有名な店はいくつもあるが、なかまち食堂は先だって行ったばかり。うなぎの本多は簡単に行けるわけもない。したがってお邪魔するのはこちらである。

「イナリ食堂」

古ぶるしい、すすけた白の外壁にレタリングされた”イナリ食堂”の筆文字風の文字からは、ある種の荘厳さが垣間見えてくるようだ。内部の床壁天井テーブルは厨房から美味そうな香りとともに流れてくる、油、油、そして脂のためいたるところがペタペタとした感触にまといつかれている。決して、いや清潔感があるとは断じて言えないが、これがたまらない。これぞ定食屋!という風情はみただけて食欲が増していくようだ。じつはこちらに、すごいものがあると聞きやってきたのだ。

「かつ丼」1100円

刮目してみよ!この迫力を!威圧感を!これはかつ丼ではない。”かつ山脈”という表現が妥当といえよう。かつ1枚のサイズは間違いなく私の掌以上の面積がある。そしてこの厚み、3センチはあるだろう。その大とんかつをまるまる2枚使用したかつ丼である。

これはすごい。見た目のインパクトだけではない、しっかりと美味いのだ。煮干しの香りがするタレは、良い意味での田舎っぽさを醸成してくれる。同様に甘い甘い味わいもよい。このタレがしみしみになったご飯が最高だ、たまらないほどの美味だ。かきこみながら、品悪くノドを鳴らしてしまう。そしてあらためてかつの登場。箸で持ち上げると、ズシっとした重量感がすごい。いつまでも持ち上げていられなほどだ。そんな物体がいつまで経ってもなくならない。トッピングが少なくて困ったことはいくらもあるが、多すぎてというのは初めての体験だ。

30分ほどかかって終了、というのは厳密には間違い。かつはなんとか食べ切ったが、ご飯は1/4ほど残してしまった。あああああ、これはすごい。単に「すげーの」では表現が足らない。これぞまさしく「伝説」といって然るべきであろう。だめだ腹いっぱい。恐らく夕食も食べられないだろう。先輩も決して少食な方ではないのだが、えらい目にあったと目を白黒させていた。

長野市「弁当の松田」TAKE OUT-LUNCH 古の懐かしき…


弁当の松田
場所 長野県長野県長野市下駒沢720-12 [地図はこちら
電話 026-296-5704
駐車場 あり
ジャンル 弁当屋さん

休日の過ごし方

平日が定休なので家族と予定が合わず1人で過ごすことが多い。なんだ、ずいぶん寂しい人生だなと言われそうだが、…いや自分でもさように考えなくもないのだが、逆をかえせばどこに行っても空いている。市役所だろうが、病院だろうが、図書館だろうがゆったりゆっくりと過ごすことが出来る。一番よいのが映画を観るときだ。少々な話題作でも大概はガラガラだし、そもそも同行する者がいないから、あれが観たいこれが嫌だという面倒な文句を言われずに済むのがよい。

引きこもりの日々

ところが時節柄、外に出るな人と会うな、友人メシにもいくな、ライブハウスはだめ、映画館もダメときた。だいたい映画館ほど衛生的な場はないではないか。法規制で換気はしっかりとなされているし、そもそも長野市の映画館はすべて消毒はしっかりしているからこれ以上の清潔空間はない。それにどこ小屋も古いから隙間だらけではないか。失礼なことを言っているようだが、少し古くて不便なくらいが映画館らしくてよいのだ。それなのになぜ休館しなければならないのか。それ以上にパチンコ屋などもっとひどい環境なのに話題にも登らないのはなぜた。と腹の底で憤っていたら県の休業要請に入ったようだ。少しばかり溜飲が下がったが面白くない事態に変わりはない。

そんなわけで引きこもり休日を過ごしている。ほとんどテレビの前で映画やYouTubeを観ていたり、本を読んだりしているのだが、数時間で飽きてしまう。いくら好きだからといってロクに動きもせず座りっぱなしは閉口だ。映画にせよ読書にせよ、探す楽しみ、買う楽しみそして行く楽しみがないと味気ないもの、行動が伴わなければ楽しさも半減してしまう。

という事で暇つぶしに思いついたのが長野市あるいは近郊の弁当屋さん探しだ。ほっともっとやらコンビニやらは別として、個人で経営されている小さな店舗を探すのだ。これで普段のランチもバッチリだぜ。と機嫌が少し治ってきたところで、ごく近所に一件、昔ながらのお弁当屋さんを見つけた。これは行ってみるしかなかろう。

「弁当の松田」

下駒沢にある長野県立総合リハビリテーションセンターの通り挟んで目の前にある小さなお弁当屋さんだ。店舗そのものは以前から知っていたが、弁当屋だとは思っていなかった。こちらは安くてボリュームがあってよいと評判でもある。ご家族で切り回されているのだろうか、年配のご主人と奥様らしい女性、そして息子さんらしい若い男性が厨房にいらした。今回はメニュートップの三品を注文した。

「鶏照り焼き丼」442円

Processed with Focos

ウレタンの小さな器はすき家でいうところのミニサイズなのであろうが、ご飯はかなりぎゅうぎゅう詰めになっている。けっこうなサイズのゴロリと転がっている肉塊は恐らく胸肉であろう。褐色テカテカの表面は口にせずとも美味さを保証しているかのようだ。べったりとしたタレは正しく昔ながらの味わい。しっかりと甘くずっしり美味い。これぞ照り焼き丼!というイメージ通りの品だった。

「チキン南蛮弁当」472円

これまた懐かしの風情だ。プラスチックの黒い容器はご飯、惣菜、漬物類、サラダといったジャンル別に仕切られている弁当こそオーソドックススタイルのど真ん中といえる。
まず、目につくのがご飯の量だ。これは普通の大盛りサイズだろう。定食屋の飯は2割増しにせよ、といわれるがセオリー通りの気持ちよさである。そしてチキン南蛮。竜田揚げに甘だれ、そしてピクルスたっぷりタルタルソース。これだけのタルタルソースを見るだけで背徳感に迫られるような気がするのは私だけか。とはいえマヨネーズ味の強いタルタルソースと甘だれ、ジューシーな鶏のハーモニーは至福の存在といえる。

「から揚げ弁当」430円

こちらの名物とされるメニューである。惣菜専用の容器いっぱいのから揚げは数えきれないほどの個数が入っている。蓋のしまらない弁当というのは、いつ見ても心地よいものだ。そしてご飯。おかずとご飯のみという潔い姿かたちが格好よすぎるのだ。醤油とニンニクの香りが食欲をそそりまくる、帰りの車内では飢餓でおかしくなりそうだった。

じつに気持ちのよいお弁当屋さんだ。牛丼、天丼、かき揚げ丼といったスタンダードメニューやデラックス弁当なる魅力的なもの、あ!マーボ茄子弁当なんてメニューもある。

配達します!との記載もあるが、詳細はお問い合わせいただきたい。敷地内に高低差があり、店前に高い階段があるのと、駐車場が少ないのでお越しの際には注意が必要かもしれない。なお、3点の弁当は私1人で食べたわけではないので、お間違いのないようお願い申し上げる次第だ。

東御市「ぷくぷく食堂」出会い、そしてまたマンガ盛りとの…


ぷくぷく食堂
場所 長野県東御市加沢1448-18 [地図はこちら
電話 0268-64-0625
駐車場 あり

前段

人間はひとりでは生きていけない。
家族・親戚・友人・知人・仕事など様々な関係のものたち相互に支え合い、もたれあった上でないとそこに立っている事すらできない。長い年月を孤島で過ごしたロビンソン・クルーソーですら、唯一残された聖書と接する事で信仰に目覚め、神と対峙し、間接的に人間との関係を保てていた事で38年もの間ひとり過ごすことができたのだ。ちなみに、途中で登場するフライデーは神を知らぬ未開のもの、すなわち人あつかいされていないのだ。

出会い

したがって、人間にとって最も重要なことは”出会い”であると断言して差し支えなかろう。念のため申し添えておくが、”出会い系”ではない。人との出会い、場との出会いそのものが人を育み大きくするのだ。そして今日も出会いを求め、書を捨て街へ繰り出すのだ。

東御市

東御市という地は、地味な街と受け取られる事が多いと思う。かくいう私自身がそのようなイメージを持っていた。ところが、接してみるとこれが見どころのある地なのだ。雄大な湯の丸高原あり、雅な海野宿あり。旧北御牧村の「梅野記念絵画館・ふれあい館」は小さいながら見応えのある施設だ。こちら在住であった梅野満雄氏のコレクションが主な収蔵品となっていて、青木繁の作品が展示されている。名作「海の幸」の実物大レプリカなど、とてつもない迫力に満ちている。

雷電爲右エ門

そして東御市といえば雷電爲右エ門であろう。江戸中期、明和から文政という爛熟の時代を駆け抜けた名力士の生涯は、異国船の来訪やシーボルト事件など、そのまま幕府崩壊への道行へと直結する。その辺りを描いた雷電の評伝はないか。喜んで読んでしまうのだが。先だって、その雷電為右衛門の生家とされている地から2キロほど行った先にある食堂にお邪魔したのだが、とても気持ちよく、美味しい出会いとなった。

「ぷくぷく食堂」

一般の住宅を改装したとおぼしきこちらは、昨年(2019年)10月にオープンしたばかりという。若きご主人のニコニコ顔だけで美味しさが保証されたように感ずる。色紙に手書きのメニューが幾枚も壁に張られている。うどん、カレー、定食もの、スパゲティと様々なメニューが用意されており目移りして敵わない。優柔不断、試行錯誤、そして逡巡の果てにこちらとする。

「肉だんご鍋定食 ご飯大盛り」

日替りメニューとされるコーナーより選択した。冬場(あまり寒くはないが)の鍋というだけで食欲がいや増すようだ。

土鍋に美しく設えられた木綿豆腐、白菜、長ネギ、シメジ、うどんそして大きな肉だんご3点。醤油仕立てのスープはあっさりかつキリッとした味わいだ。生姜の効いた肉だんごが美味い。

マンガ盛り

+100円でご飯を大盛りとしめもらったが、これはまさにマンガ盛りといえる。思わぬ再会に心躍らされたが、いつまで経ってもなくならない。最後はスープをかけてさらさらと流しこんだが、これがまた美味い。

そのほか、隣の方が食べていた「豚生姜焼定食」、同行のものが注文した「麦とろ定食」が美味そうだった。また「ウルトラマン定食」、「大盛山盛りナポリタン」など魅力的なメニューが目白押しだ。これはよい店と出会う事ができた。望外の幸せと言えよう。

山ノ内町「SORA terrace cafe」空の上、雲の中


SORA terrace cafe
場所 長野県下高井郡山ノ内町竜王11700 [地図はこちら]
電話 0269-33-7131
駐車場 あり(ロープウェイ駅前)

行ってみたい場所

誰しも一度は行ってみたい場所があるはずだ。
私の場合は東京 浅草だ。大正年間から昭和6年あたりまで、というしばりはあるが。大正デモクラシーといわれた自由主義的な風が、軍部の台頭・テロの横行から次第にきな臭ささが強くなってくる時代。不安さが増してくればくるほど輝きを増す大衆文化。無声映画の完成、エノケン・ロッパによる浅草オペラ。渡辺篤の舞台なんてどうしても観てみたい!!!

おっとっと
取り乱してしまった。行きたい場所ではあるが、行けるわけもない場所でもある。大変失礼した。ではクフ王のピラミッド、イースター島、ナスカの地上絵巡りもよい。人類史上最大の謎をめぐることによって、エーリッヒ・フォン・デニケンの与太話をリアルに感ずるツアーなんてのもよい。

どうにも、真面目な展開にならないというか、なぜ私はマニアックな方向へと進んでしまうのだろうか。

一度でよいから雲海を見てみたい。もくもくの雲上で優雅に過ごしてみたい。というのが以前からの家内の願いであった。では装備を整えて、山に行こう。富士山なら五合目までは車でいけるし、山小屋で一泊する予定なら割と楽に登頂できるらしい。とはいえ山をなめてはいけない。友人のだれそれをトレッキングコーチにして。などという事にも間違ってもならないので、どうしようかと思案していたら、ちょうどよい場所を見つけた。

「竜王スキーパーク」

北志賀高原最大規模のスキー場である。166人乗りのロープウェイ、13基のリフト、数十のゲレンデを要する巨大スキー場だが、シーズンオフには中腹で雲海をみることが出来るという。ただし、確率は64.3%(2018年実績)だから確実に出会えるとは限らない、行ってみなければわからない。日常的な行いのよい私にはすこし不安があるが、まぁ行ってみよう。

かんかん照りの焦げつくような陽気の中、巨大ロープウェイに乗ること8分。竜王スキーパークの中腹にたどり着く。下界からは想像出来ないほど涼しい。17〜8℃とのことだ。空の上はじつに具合がよい。…よいのだが周囲は霧の中、いや雲の中だ。時折陽が差すことがあり、絶景が垣間見える時もあるが、雲海とは言い難い。しばらく待ってみよう。

「SORA terrace cafe」

ロープウェイと各リフトを中継する施設である。土産ものコーナーやカフェテリアとなっている。ランチ兼時間つぶしとしよう。

「高原野菜のタコライス」1200円

ご飯の上にレタス、刻んだアボカド、トマト、ひき肉の入ったチリソース、ドレッシングが彩りよく配されている。たくさんの野菜類が美味い。チリソースはけっこう辛いが、これくらいの方が他を引き立ててくれると思う。

食後もなお雲の中だった。諦めきれず、屋外テラスのソファで数時間すごしたが結局雲海は現れず仕舞いであった。しかし、下界の暑熱を忘れひたすらぼーっとしているのも、これはこれで贅沢な時間なのかもしれない。きてよかった。

新潟市「農園のカフェ厨房 トネリコ」新潟平野の真ん中で


農園のカフェ厨房 トネリコ
場所 新潟県新潟市西蒲区下山1320-1 そら野テラス [地図はこちら]
電話 0256-78-7515
駐車場 あり

イントロ

生まれ育ちは東京だが、20年も長野にいると、すっかりこちら向きの仕様となってしまっている。まずは言葉。伊藤理佐に言わせると、信州言葉は「ほぼ標準語」という。たしかに、標準語ネイティブにとっては首肯するものなのだが、どっぷり入り込むとなかなか濃度の高い世界があるようで、いつぞや東京の姪と会ったとき
「いったいどこの国の人?」
と、真顔で言われてしまった。それほど信州ディープにはまり込んでしまったのか。

次に信州といえば山。眼前に夏は緑、冬は真白な壁がないと、どことなく落ち着かない。そして山があるということは、高低差の激しい地域、坂道だらけの土地であることだ。率直なところ山道・坂道など、体力を消耗するから大嫌いなのだが、歩くにせよ運転するにせよ、ある程度上がったり下がったりしていないと、妙な気分になる。

新潟

この度、新潟にご縁ができたので、頻繁に通うこととなる。といっても移住するわけではない。年に数回、行ったり来たりする程度なのだが、頻度は別としてご挨拶を欠かしてはならないだろう。という事で新潟の数少ない知人である、お二人のマダムをお誘いしてランチとする。

とはいえ、どこで?と問われると土地勘のない者の哀しさよ。まったくわからないのでお任せしてしまう。誠に図々しい限りだがこればかりは仕方がない。そしていろいろ検討した結果連れて行ってもらったのがこちら

「そら野テラス」

こちらはワイエスアグリプラントという農業法人が運営されている農園、マルシェ(農産物直売所)、デリカ(手づくり惣菜のテイクアウトコーナー)、カフェなどが併設されている施設である。お邪魔したときも、いちご狩りのお客様で賑わっていた。

「農園のカフェ厨房 トネリコ」

ランチにお邪魔したのはこのカフェである。中に入ると大きな開口部があり、田園風景がどーんと眺められる。これぞ新潟平野!というロケーションである。ああ、こういう光景を忘れていた。おれはすっかり信州人となってしまった。
いただいたのは「本日のトネリコランチ」と冠されたメニュー。肉と魚の二種が用意されている。

「鰆と春野菜のトマト味噌煮」1188円

お魚ランチを選択。基本、肉食動物だからたまには魚といこう。カフェらしく、迫力たっぷりのメインに副菜類が華を添える、という展開だ。副菜も日替わりらしく、

・ひじきとツナの煮物

・切り干し大根の中華風和え物

これにお漬物、味噌汁、ごはんそしてメイン料理という豪華版ランチ。しかもごはんがおかわり自由というのだから嬉しくてたまらない。

そしてメインである。

メイン料理

大きな鰆の切り身と野菜類、じゃがいも、やらキノコやらがたくさんをトマトで煮込んだ、「お母さんがちょっと気取って作った」然とした料理である。じつにけっこうけっこう。普通に美味いお惣菜であった。

「プチスイーツセット」162円

そしてデザートはこちら。白玉ときな粉のムースである。そもそも粒あんというだけで満足なのに、白玉がついている。きな粉のムースの存在感がまた素晴らしい。ということであっという間に食べ尽くす。

ということで楽しいランチは続く。
田園風景とはいえ、田植え前ゆえに、あまり見栄えしない光景ではあったが、これが最盛期なら素晴らしいだろう。時期を見てまたこなければ。

千曲市「丸亀製麺 千曲店」うどん屋の天丼あるいは過ぎたるはなお…


【お邪魔したお店】丸亀製麺 千曲店

場所 長野県千曲市大字粟佐1562-1

電話 026-273-2101

駐車場 あり

どうも丼ものにはカーストがあるのではないか。そんなイメージを持っている。

どこへ行っても親子丼・カツ丼の上に天丼、その上にうな丼といったような序列がある。価格も違う、メニューの順位も違う。様々な丼ものの登場した近年ではさほどの差はなくなったようにも感じないこともないが、そこにはやはり厳然とした何かが存在している。…と、若干オカルティックに考えている私がおかしいのか。

うな丼は理解できる。

このところの暴騰ぶりには腹立たしさしか感じないが、もともと”高いもの”とされているものだし、仕方のないことでもあろう。

それはさておき、いやそれでもなお天丼が上というのはどういうことか。手間がかかるから?高鮮度の素材が必要だから?はたまた私の思い込みなのか?

天ぷらというと、池波正太郎と山ノ上ホテル料理長 近藤文夫との斬り合いのような関係を思いだす。天ぷらを食べるときは真剣勝負、話などせずに揚がったのを即座に喰え。という池波師匠が視線の中で作業する近藤。あぁおれなら耐えられない。すべてが終わった後、締めのときに池波が

「近藤くん、ご飯に醤油をかけて食べたいんだ」

「あぁあれは美味いですからね」

という緊張と緩和がたまらなくよい。

と、そんなことを考えていたらどうにも天丼を食べたくなってきた。B型単純人間にはよくあることだが、あいにくランチタイムを過ぎたところで、ちょうどいい店がない。さぁどうしたものかと思案していたら、あったあったよいところがありました。

 

「丸亀製麺 千曲店」

 

 

ご存知、讃岐うどんのチェーン店。ご当地でも人気店と聞いたがどんなものであろうか。いつも通りのカウンターで、うどん以外のものを注文するのは初めてのことだ。

「天ぷら4種、天丼用ごはん」620円

 

 

天丼用ごはん 130円

野菜かき揚げ 130円

なす天 110円

いか天 120円

れんこん天 130円

 

 

というラインナップである。この際だから好きなものだけぶち込んでやろう、というコンセプトのチョイスだ。レジで天丼用のタレをもらいテーブルへ。丼上に盛り上げるのは私の仕事、…だが、天ぷらひとつひとつが天丼用のわけもなく、かなり大きいので苦労しながら積み上げる。おいおい、これじゃ食べられない。写真撮影ののち、結局解体して食すことに。天丼用のタレは甘すぎずグレード高し。天ぷら類、とくにかき揚げの油に辟易としつつ完食。

毎度思うことながら、欲張りは万病の元。好きだからといって載せすぎるのはよくないと思う。…のだが、またやってしまうなぁ。絶対に

長野市「くのいち」権堂、コスタリカ、そして「餃子の恩返しプロジェクト」


【お店のデータ】
くのいち
場所 長野県長野市鶴賀田町2243 [地図はこちら
電話 不明
駐車場 なし(近隣に有料駐車場あり)
URL http://ramen9-1.info

ドキュメンタリー映画

権堂ロキシーにて映画を観て来た。
「コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方」

というドキュメンタリーだ。中米に位置するコスタリカは近隣諸国と比較して、経済的、治安的に安定し国民の教育も高い「豊かな国」として知られている。なぜならば、かの国は伝統的に軍隊を持たず、非武装中立を貫いているからで、軍事費などを社会インフラに使えるので、非常によい状態を維持できている。そんな、理想的ともいえる状況がいかに成立したか、どのような現実と直面したかを描いた力作であった。詳細は下記をご参照いただきたい。
【映画days #11】コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~

夕食

さて、終わってしまえば夕食である。何を食べるか。21:00を回っているので、開店しているところは飲み屋ばかりだ。どうせ自動車なのだ、ほかに回るかとも考えたが、この時間だ。どこへ行っても似たようなものだろう。この辺りで食事のできる店を探した方が効率的だ。
そういえば、秋葉神社の裏にラーメン屋があるのを思い出した。何年か前、オープンしたてのころに何度か使わせてもらった記憶がある。

くのいち

という面白い店名は、女性だけで切り回されているからだという。
「くのいち」あるいは「くノ一」とは「女」を分解したもので

元来は女を指す隠語であるが、1960年代以降の創作物においては女忍者を指す言葉として広まっている。(Wikipedia)

女忍者を創造したのは山田風太郎だそうだ。そういえば彼の作品は、何十年も読んでいない。久しぶりに読み返してみるか。

あの、かなりエッチな描写にどれほど悶々とさせられたか。自分だけの、ほかの誰からもしられない「秘密の読書」とは、かくも楽しきものか、ということを知ったのはこの時だった。一度、父親にバレてしまったが何も言わなかった。たぶん、自分でも読んでいたのであろう。

近年の研究によれば男性と同じように偵察や破壊活動を行った女性忍者の存在については史料に記録がない(Wikipedia)

とも言われている。そうだったのか。「真田太平記」に登場するお甲はまったくの想像物だったのか。創作は史実を凌駕する。当たり前のことだが、世の常識を変えるほどのフィクションというのは素晴らしい。

あらためて「くのいち」

相変わらず無駄話が多くて恐縮だ。
数年ぶりのこちらは、内部はほとんど変わっていない。まぁ変わりようもない規模のお店だが、これも安心感というものである。
昼にしか来たことがないので、様子がわからなかったのだが、夜は居酒屋として機能している。土曜日というのもあるのだろうが、大変な混雑である。カウンター席がひとつだけ空いていたので、そこを占拠する。
「食事だけでもいいですよ」と、気持ちよく返してくれたのがとても嬉しい。

餃子の恩返し

店頭に大きく、このような門言が掲げられている。飲み物を注文すれば、餃子をサービスで提供してくれるというのだ。HPによると

「餃子の恩返し」プロジェクト
「らぁめん くのいち。」として約5年間、ラーメンと真剣に向き合い手掛けてまいりましたが、 正直なところ商売として難しく、どうしたらたくさんのお客様が来てくれるのだろうか、 と考えこの「餃子の恩返し」を決断いたしました。
今まで、当店を支えてくださったお客様あってこその”今”です。感謝の気持ちを込めて、また賑やかなお店にしたい!という希望を込めて取り組んでまいります。

泣かせるではないか、素晴らしいではないか。様々な試行錯誤と逡巡があったのだろう。その意気やよし。をぢさんさ気に入ってしまった。かといって酒は飲めない。困っていたらソフトドリンクでもよいという。

本日のあらら?チョイス

「カレーうどん」「ウーロン茶」「焼餃子」

本来なら、明らかに締めのメニューであろうがこの場合仕方ない。そもそもラーメンではなくうどんというのが面白い。ソフトドリンクおよびサービスの焼餃子。じつによいフォルムである。「孤独のグルメ」の井之頭五郎になったような気分にもなってくる。

「カレーうどん」


カレー風味のスープに鶏肉、玉ねぎ、とき玉子がごちゃごちゃと入った、煮込みうどん風である。スパイシーだが、あまり辛くはない。お母さんが作ってくれるような、安心の味わいといった感じである。

「ウーロン茶」

中ジョッキになみなみと注がれたウーロン茶。これも酒の飲めない井之頭五郎を感じさせられる。

「焼餃子」

そしてお楽しみ焼餃子。たっぷり肉、ジューシーな一品である。羽根つきでパリッと焼かれており、大量の酢醤油につけて頂く。じつに美味い。水餃子でも対応してくれるという。次回はそれだ。

そして

「餃子の恩返しプロジェクト」気に入ってしまった。とても美味かった。しかし、餃子にウーロン茶も悪くはないが、ここはやはりビールであろう。熱々の焼餃子とともに結露により、びっしょりと汗をかいたジョッキを傾ける。これこそ最高な瞬間であろう。さぁつぎはいつだ?


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あらら?冒険記 木曽路施餓鬼法要編


木曾の道

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

とは、島崎藤村「夜明け前」の冒頭部分である。描かれているのは幕末期、執筆されたのは昭和初年であるが、なに現代もさほどには変わらない。木曾川ぞいをうねうねと蛇行しながら行く道は、まさしく「隘路」そのものである。しかもほとんど一本道なので、災害などで土砂崩れでも起ころうものなら、木曾路はあっという間に陸の孤島と化す。さすがに近年は、改修工事が進み、対岸に移し拡張したり、トンネルを掘ったりと使い勝手が良くなった。まだまだ一部区間ではあるものの、今後はどんどん良くなっていくだろう。…とは言うものの、今度は真っ直ぐ道となった木曾路はそれらしく感じることが出来ず、なんとなく面白くない。まったく身勝手なものだ。

木曽とわが家

木曾上松は家内の母と、家内自身の出身地である。
大正の終わりごろ、縁あって岐阜から祖父母が移り住み、昭和の初め、それこそ藤村が「夜明け前」連載中くらいの時期に義母が生まれ、戦後義父と出会い、家内が生まれ、という段取りだったのだが、義父の転勤で他出してしまった。だから家内は木曾での生活をほとんど覚えていないという。
一家はその後諏訪、中野、飯山そして長野市へと移り、家内は家内で諏訪、東京、松本、長野市と転々としたため、木曾に戻る事はなかったが、関係が切れることはない。遠縁はいるし、そもそも菩提寺がある。

一時、年に一度、お盆には家族中で木曾に詣るのが習慣だった。朝早く起きだし、弁当を作りわが家と義姉家族、義父、叔母と総出で出かけ、まだ小さかった子どもたちを遊ばせながら往復すると、ちょうどいい行楽代わりとなる。
10年ほど前に、実家を建て替え同居を始めたりと、区切り事があったので、せっかくだからお墓も、という事で長野市へ移した。これが基で木曾へ出向くことが激減してしまうこととなった。墓参りで1日かけての往復も、悪くはないのだが、やはり億劫事でもある。それに叔母・義父ともに高齢となり、体調のことを考えると、やはり移した方がよいだろうと、決断した次第である。
そして、数年を経て両名とも亡くなり、これは本格的に縁が切れてしまうかな。ま、それはそれで仕方がない。というくらいに思っていた木曾にまた足を向けるようになったのは、昨年なんとなく参加した、菩提寺の「施餓鬼法要」の様子がじつにほんのりと、よい雰囲気だったからだ。

施餓鬼法要

「施餓鬼法要」とは、

餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。(中略)日本では先祖への追善として、盂蘭盆会に行われることが多い。

面倒だからWikipediaから引用してしまったが、不幸な亡くなり方をしたものを供養することで、お盆の嚆矢とする、ということか。調べが至らず、いい加減な解釈で恐縮だが、この行事がなんとも言えずによいのだ。

午前の仕事が休めない、という家内の帰宅を待ち、出発したのは13:30を回っていたが、急ぐ旅ではない。施餓鬼法要は17:00からだし、他に行くところもない。ゆっくり行って今日中に帰宅できればよいのだ。長野インターから高速道路に乗り塩尻まで。そこから中山道を通り上松町まで、というルートはいつも通りである。権兵衛峠が整備されてからは、伊那まわりで木曾に至る、というルートも出来たのだが、時間的にあまり変わらないのと、高速道路料金が高くなる、という理由で一度使ったきりだ。ゆっくりゆっくり来ても、到着したのは16:00を少し回ったくらいであった。それでも少し早いが、わが家にはもう一つ恒例の行事がある。それは五平餅を食べることだ。

五平餅

五平餅はご存知の通り、半搗きしたご飯(半ごろしという地域もある)を串うちし、成形したものにタレをつけて焼き上げたものである。

中部地方の山間部(長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方や山梨県)に伝わる郷土料理。[Wikipediaより]

というが、小判型だったり、団子型だったり。はたまた串うちせずにおにぎり状だったり。タレも醤油ベースだったり味噌ベースだったり、クルミが入ったり、ゴマもしくはエゴマを使ったりと各地で様々なバリエーションがある。名物・名産というより、人びとの生活に深く根ざした食品ととらえるべきであろう。
また、本のタイトルNHK連続テレビ小説「半分、青い」に登場してからというもの、売り上げが急増してしたのだとか。とはいえ、あのドラマは岐阜が舞台だから、木曾とは関係がないが。

【お店のデータ】
食堂 中村
場所 長野県木曽郡上松町寝覚ノ床入口
電話 0264-52-2183
駐車場 あり

こちらは、わが家御用達、…という事でもないが、義父の時代から使わせてもらっている店である。率直なところ、どうということのない、昔ながらの普通のそば屋であるが、この五平餅を食べないとどうも木曾に来た気がしない。先に話したように、五平餅は生活に根ざした食品だから、どこのものが最高に美味い!ということはないと思うのだが、ここの味わいがもっとも口にあっている。何十年ものつきあい、ということもあるからだろうが。

「五平餅セット」

長径20センチ、短径5センチほどの五平餅二本にコーヒーがつく。昼どきならそば、サラダとの組み合わせである「五平餅定食」を食べるのだが、夕食に差し支えるのでこちらにする。
半搗き、半ごろしというが、要するにご飯である。だから、これ一つでもかなりな食べごたえとなる。味噌をベースとしたタレも、砂糖とクルミなどの木の実とが加わって、とても複雑な味わいである。美味い、安定の味わいといってよいだろう。

美味しい五平餅を食べつくし、ようやく本番である。わが家の菩提寺である臨川寺は、そば屋のすぐ隣、歩いて数分もかからない。ここは、木曽川に面して建っており、木曾最大の景勝地である「寝覚めの床」の直上に位置する。というか、下まで降りたければ、境内を通ってからでないと行けないようになっている。

「寝覚めの床」

木曾山系は、もともと花崗岩によって構成された地形である。数万年におよぶ木曽川の流れによって、花崗岩が侵食され、できた自然地形で、巨大な岩が様々な姿を見せている。この名は

浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年(938年)この地から姿を消した。 [Wikipedia]より
また巷説によれば、浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという [Wikipedia]より

との事だ。
そもそも臨川寺の建立由来は「寝覚浦嶋寺略縁起」なる書物に記載されているそうだし、併設されている「宝物殿」と呼ばれる施設には、「浦島太郎の釣竿」が展示されている。

なお、宝物殿には様々な古い生活道具や昔の教科書、明治天皇の御真影などが展示されている。興味深いのは「吉良流作法書」とされる資料である。吉良といえば「忠臣蔵」(という表現は間違いだそうだが、ここではこれで統一する)に登場する、吉良上野介義央で有名だ。もともと公家侍の家系で、勅使饗応指南役だったのでこのようなマニュアルを用意されていたという。書物だけではなく、着付けや膳のつくりなど和紙できれいに作り上げられている。現代でも、十分通用しそうなものである。「忠臣蔵」以降、吉良流は廃れ小笠原流に取って変わる。まことに歴史は非常なものである。

こんなマニアックなものがある宝物殿は、歴史好きにとってはまさに宝物のヤマである。お好みの方はぜひお越しください。

そして本番

さて、いよいよ施餓鬼法要である。
率直なところ、何ということのない法事である。日暮れ少し前に、境内に設置された大きな屋根つきのテラス(住職は「休憩所」といっていた)で、三々五々集まってきた、大勢の檀家衆の前で、住職の他いく人かの僧侶が読経する。それだけの事なのだが、次第に暮れてゆく日差しの中、読経の声、人びとのさざめきがうまくブレンドされ、耳ざわりよく心地よいのだ。

ご近所の、というより同じコミュニティの仲良し同士が、先祖を敬い、皆がみな、お互いをリスペクトしあい、無病息災を祈る。人としての心の中にある、素直な気持ちが溢れ出てきているようで、なんとも言えずによいのだ。宗教行事、というほど大層なものではない。日常にある、ごく当たり前のこと、という感じなのだ。正直を言うと、今まであまり出会ったことがない雰囲気なのだ。
「田舎だからね」
と、親戚は言う。たしかに、東京の菩提寺でもなかったように思う。とはいえ、「施餓鬼法要」などごく当たり前にだと思うし、大々的なイベントとして行っていないだけではないか。そもそも、こちらの信仰心も薄く、いちおう天理教に入信しているのだが、何十年も行っていない。…もう一つ、ある宗教団体に加入しているはずだが、名前だけで、まったく関係がない。どこかは秘密だが。
そんなわけで、もともと薄い信仰心、縁のある寺でもこんな行事はなかった。というわけでほぼ初体験、それがとても心地よく、気に入ってしまったのだ。

読経が終わり、全員が焼香とお供米と水を捧げ、塔婆をもらって帰宅する。わが家の分を探したら見当たらない。住職に訊ねたら
「ああ忘れてた」
と言われて、その場で新しく書き上げてもらう。数が多いから仕方がない。こんな事があるから、余計と楽しいのだ。…また来年。


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あらら?冒険記 大腸鏡編


健康診断とその結果

先々月の健康診断の結果は、想像よりもよいものであったといえる。…よい、という表現はやや微妙なものである事は素直に認めよう。喫緊の、あるいは至急の治療や投薬が必要ないだけで、メタボではあるし、現在の通院と治療を忘れずしっかり行え。歳も歳だから、暴飲暴食は避けよ。との事であった。

ただ一つ、「要検査」とされたものがある。
便潜血+
要するに、大便に血液が混ざっているよ。大腸に何か、疾患があるかもしれないよ。そういう事だ。
何かがあるかもしれない。

そんな事は、年齢からしてあり得ることだろう。いつまでも若くはない。臓器も弱ってきているだろう、先に言った通り、メタボでもある。むしろ、「何か」があって当たり前なのかもしれない。ま、あったところで、その場で対処するより他にない。深刻な事であれば、それはそれで興味がなくもない。いずれにせよ、長く放置しておいても意味がないし、面白くもない、検査しに行くか。いざ、冒険の始まりである。

大腸鏡検査

検査、といってもいきなり病院へ行き
「はい!お願いします!」
という訳にはいかない。まずは主治医の基へ相談にいき、検査を行う、行わないの判断をしてもらう。
「ま、やってもらった方がいいね」
というお言葉を頂き検査決定。検査とは「大腸鏡検査」である。体内にぐりぐりと機械を差し込み、中を覗くという、一見乱暴にみえるが、現代的に洗練された手法なのだという。疾患があれば、その場で試験体を採取する事も出来れば、手術も可能である。この技術が進化したおかげで、開腹手術が劇的に減少、リスクも少なく、予後もさしたる心配はいらない。言わば、医療に革命をもたらした。といっても過言ではない技術である。

しかし、今回の検査は大腸鏡である。はなはだ尾籠な事で恐縮だが、お尻から中へ、という工程を経る以上、検査機関は限られてしまう。主治医は
胃カメラの名手なのだが、こればかりは仕方ない。連携している総合病院を紹介してもらい、そちらへと赴くこととなる。

地方独立行政法人 長野市民病院

こちらは、北信地区の拠点病院となっており、30診療科400床という、大々的な総合病院である。
7月の終わりに第1回目の受診。といって、実質的に予約だけなのだが、検査をしてくれる先生と行会い、準備などをきかされる。

前日はなるべく繊維質の多い食品、例えば生野菜など残渣となる可能性のあるものは出来るだけ避けて、20:00までに夕食を終え、下剤を飲むこと。その後は検査終了まで、水・お茶以外のものは一切とってはならぬ、というお達しである。
と、ここまで大袈裟に書いたが、じつは大腸鏡検査はこれで4回目なのである。しかもすべて市民病院でやっている。勝手知ったるものだ。

検査までの段取り

マニュアル通り、朝食は抜いて摂取できるものは水もしくはお茶のみ。まことに侘しい朝の時をすごし、10:00に市民病院到着。10:30でよいと言われていたのだが、われながら気早なことである。時間があると、ついレストランを覗いてしまうのは仕方のないことだ。和風モーニング、焼き魚がこれほど小さければ、腹の足しにならない。しかし食べたい、おれは腹がへっているのだ。
「コーヒーor紅茶 お替り自由」
という文言から目が離れない。あゝおれは腹がへっているのだ。

内視鏡検査室で受付完了後、直ちに儀式が始まる。すなわち腸管洗浄という、キツいキツい通過儀礼があるのだ。オリビア・ハッセーにジョン・レノンをふりかけ、マーク・レスター風味をつけ加え、数回咀嚼したような看護師さんが丁寧に教えてくれる。想像できない?ならばそれでよいではないか。おれは腹がへっているのだ。

オリビア看護師と儀式の始まり

腸管洗浄剤モビプレップ、誠に妙な名前の薬だが、これを

モビプレップを250ml、15分かけて飲む
モビプレップを250ml、15分かけて飲む
水を250ml、15分かけて飲む

これを1クールとして、3回繰り返す。以前のものとは変わったようだ。少し量が減ったか。
トータル2.25ℓ。頑張ればひと息で、という事もできるがオリビア看護師にダメ出しされる。では15分おきに250mlをすいーっと。というのもダメ。刺激が強すぎて腸管の内圧が高まり、穿孔の可能性があるとの事だ。
15分かけてゆっくりゆっくりいけ
という。なかなか曖昧なことで、毎度困惑するのであるが、なんとかしてみよう。

いろいろ考えた結果、250mlを80ml、80ml、90mlに分けて5分おきに飲み干す事にする。この辺は、カップについた目盛りを見ながら、かなり目分量ではあるが、それは勘弁してもらう。15分間に250ml飲めばよいだろう。

モビプレップ

それにしてもモビプレップはまずい。
スポーツ飲料に塩を足した、というイメージは以前のものと変わらない。味わいがはっきりした分、口中に残る風味がなんとも言えないのだ。不自然な甘さと塩加減なのである。良薬口に苦し、というがかようにへんちくりんな名の薬はより一層、美味い訳がない。

2時間と少しをかけて飲み干す。その間、7回トイレへの出入りを繰り返す。水様便というが、昨夜から今朝にかけて出てしまっているので、ほとんど色つきの水のようなものである。残渣のあるリアルゴールド、という感じか。
上手くしたもので、3クール目が終わったくらいには看護師さんから合格を宣告される。やれやれ。右隣にいる品の良い年配のおばさんは、飲みきれないといって半泣き状態だ。とにかく飲め、飲み終わったところで確認する、と言われ呆然としている。左隣のジェントルマンは、飲み終わったのに出ない、といって新しくモビプレップが処方された。どちらも気の毒な事だ。

儀式の終わりと読書タイム

処置は15:30からの17:00までの間に行われる。
と聞き、心折れへなへなとその場に崩れ落ちそうになる。現在12:45、最低でも2時間待ちか。仕方ない、図書室で待つことにする。途中、コンビニに立ち寄り冷たい煎茶を購入。併設のレストランメニューにくぎ付けとなってしまうのも致し方のないことだ。

「まぐろとしらすの紅白二色丼」
「チキンと茄子のトマトソーススパゲティ」
「豚肉のコチュジャン炒め」
あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。
図書室とは、玄関ロビーのすぐ脇に設置されているコーナーで、一般書籍やマンガが用意されている。入院患者はもちろん、私のように検査や診察待ちの人も利用できるようになっている。さて何を読むか。

「クッキングパパ」

うえやまとち原作のマンガで、コミックモーニング誌で、1985年から連載されている、長寿作品である。主人公 荒岩一味が、いかつい体躯と繊細な技倆とで料理を作りまくる、というお話だ。あゝ美味そうだ。おれは腹がへっているのだ。

コンビニコミック版だから、連載順ではなくばらばらに収録されている。だから絵の巧拙、構成の違いなどがよく分かる。とくに初期のものは、コミックモーニング創刊時のコンセプト
「20歳代後半、独身男子の処世術」
を踏襲したもので、じつに微笑ましい。「課長 島耕作」だって、連載開始時はサラリーマンの悲哀を描いた、情けないオトコを描いたマンガだったのだ。

内視鏡室と再待機

15:30となったので、内視鏡検査室に戻る。…が、なかなか声がかからない。20分ほどして、先ほどのオリビア看護師から
「最初の患者さんに手間取ってしまい、後が押してしまっている。大丈夫ですか?
大丈夫もへったくれもない。では明日に変えよう、などという事は出来ようはずもない。待つしかないではないか。
そして16:30、17:30が過ぎ、18:00ちょっと前、いい加減キレそうになるタイミングで呼ばれる。検査着に着替えスタンバイOK。それでも検査室入りしたのは18:30くらいだったか。

麻酔と検査と漱石と

検査中は麻酔をする。
という事は、当初から申告していた事である。10年ほど前の第1回検査時に、大変な思いをしたので、以来麻酔状態でやってもらう事にしているのだが、看護師(オリビアとは違う人)から
麻酔、やめませんか?
と言われる。ただでさえ遅くなっているのに、これから麻酔では一層のこと時間がかかってしまうからだ。
いいえ、麻酔はお願いします
遅くなったのはあなた方の都合、苦しいのは私である。という事で注射1本、軽い痛覚とともにコロンと意識を失う。

強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。

とは夏目漱石「思い出す事など」から、いわゆる「修善寺の大患」が描かれた場面である。無論、かほどに大袈裟なことはないが、気分はこれとまったく同様である。

「あらら?さん」
と呼びかけられたのは、注射の後、ほんの一瞬の間のことと思われたが、実時間では20分ほど経過していた。
1時間ほど様子を見る。
と言われたが、もう目は覚めちゃってるし、少しふらつくけど動けるよ、と返したのだが、15分だけ横になっていろ、と言われる。実際には10分ほどだと思うが、放免され着替えることとなる。

検査終了

「先生が見えるまでしばらくお待ち下さい」
待つのはよいが、おれは腹がへっているのだ。コンビニでパンのひとつも食べさせてくれと懇願し、許可が出たのでいそいそ出かける。
「オムカツサンド」
オムレツにパン粉をつけ、揚げたものを具としたサンドイッチだ。コカ・コーラゼロとともに愛おしく頂く。あゝ美味い、しみじみ美味い。とかなんとか言いつつも、食べ尽くしたのは、ものの1分ちょっとであろう。もうひとつ行くかな?と検討を始めた時に、お声がかかる。

言い忘れていたが、担当医は女性であった。色白にしたウーピー・ゴールドバーグを可愛くしたような、というとまた混乱されそうだが、適当に想像してもらいたい。

画像をひと通り見せてもらった上で
何もありませんでした
と、あっけらかんと言われ終了。一ヶ所、ポリープ様のものがなくもないが、色合いやサイズからして良性のものでしょう。襞の反対側、見えない部分に腫瘍がある、なんてこともなくはないのだが、たぶん大丈夫でしょう。潜血も、どこかが擦れて出血でもしたんじゃないですか?との事であった。ウーピー先生、真面目そうだが、シャレもききそうだったので、気の利いたセリフのひとつも言ってやろうかとも思ったが、疲労困憊状態だからか、思いつきもしなかったので、そそくさと帰る。

会計、そして冒険の終わり

時刻は19:30。会計が終わってしまっている、という事なので救急コーナーに回り支払いをする。
7100円
3割負担だから、実際はおよそ23000円の検査である。けっこうな金額で、なおかつ大変な労苦を伴うものだったが、結果は何もなし。
…いや、無くて結構なのだ。前日から起算して23時間30分の冒険は、まことにあっけなく終わりを告げたのだった。

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【うなぎdays #4】長野市「うなぎの宿 住吉」


【お店のデータ】
うなぎの宿 住吉
場所 長野県長野市箱清水2-19-31 [地図はこちら
電話 050-5890-9500
駐車場 あり

うなぎとのおつきあい

貝塚などからの出土状況から分かるように、うなぎは少なくとも、縄文時代から食べられていたという。また、「万葉集」にも登場することから、かなりポピュラーな存在だったと言われている。
「蒲焼き」という言葉は「鈴鹿家記」という室町時代に成立した書物に登場するが、現在の製法とは違っており、われわれの知る「蒲焼き」となったのは、江戸時代中期以降のことだという。
じつはこのあたり、静岡の「蒲焼割烹 うな繁」というなぎ屋さんのホームページを参照している。
実際に醤油焼き、味噌焼き、塩焼きを作り、食べ比べるコーナーがある。味噌、塩はそれなりに食べられるが、醤油はうなぎの脂となじまず、皮に弾かれ味が染み込まないので、美味しく仕上がらない。

現在の蒲焼の誕生には、タレとなる「醤油」と「味醂」「酒」「砂糖」などの甘み調味料の普及と同時に、ウナギを生きたまま裂くという技術が先行しなくては完成されなかったと推測されます。

と結ばれる。この実証主義が素晴らしい。さすが、現場ならではの薀蓄が満載で、迫力がある。よかったらご参照いただきたい。

蒲焼割烹 うな繁

本年はうなぎづいている。
これで4回目(実は5回目なのだが)そのうち3回がうなぎ屋さんという、実に幸せな年である。高騰しているのに、なんて事だ。とお叱りを受けそうでもあるがこういう事もあるだろう。

「うなぎの宿 住吉」

という事で今回はこちらである。うなぎといったら「住吉」と名前がパッとあがる、そんな存在といえる。創業はどのくらいになるのであろうか。昭和から続くという風情の佇まいがよい。

メニューを一巡、それにしても高い。
うなぎ屋はもともと高いのが相場だが、これでは一時の倍額である。昔、新年最初の外食は、こちらの「かさね重」を食べる。という習慣があったのだがもう無理だろう。

「大串丼 ご飯大盛」

デカい丼に蒲焼きがドンと鎮座している。うなぎ1/3サイズと聞いた。昔はこれが1000円くらいで食べられたのに。などという愚痴はおいて、早速いただくのである。熱いものは熱いうちに食べねば、池波正太郎師に叱られてしまう。

価格のことをいろいろ言ったが、味はまったく変わらない。ふっくら、という歯ごたえがたまらない。先だって山椒はご飯にかける、というのを聞いたので実践しているのだがこれが美味い。

肝吸いではなく味噌汁がデフォルトなのがなんとも言えず好ましい。切り干し大根、漬物のあり方も普通の食堂っぽくてよろしいのだ。

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【うなぎdays #2】長野市「浜名屋」平賀源内とうなぎと私


【お店のデータ】
浜名屋
場所 長野県長野市南長野県町600 [地図はこちら]
電話 026-232-7411
駐車場 あり

平賀源内

そもそも、夏の土用の丑の日にうなぎを食する様になったのは、平賀源内が広めた、という説がある。

平賀源内はご存知の通り、江戸時代中期を本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として生きた、大変な才人である。しかも、そのひとつひとつが超一流とくれば、われわれ凡人は、ただ平伏するしかない。
また彼は、日本初のCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけたり、安永4年には音羽屋多吉の清水餅の広告を手がけたりと、日本におけるコピーライトの先駆け、とも言われている。
うなぎも、その連なりでうなぎ屋の主人に泣きつかれた平賀源内が、「けふは丑の日」と店先に張り紙させたら、それが大ヒットした。以来、風習として残ったのだとか。
嘘か誠か定かではないが、本来的に季節とうなぎはまったく関係がないという事は確かである。
とはいえ夏になるとなんとなくうなぎを食べたくなるのは不思議なものだ。さすが平賀源内、習い性分となるほどのコピーを作ってしまうとは。とはいえ今時のうなぎなど、すき家以外では、簡単には食べられない。

「浜名屋」

本年は7月20日と8月1日であるという。何にせよ、暦とは関係のない生活をしている。当該日にうなぎを食す習慣などあるわけがない。と思っていたら、お誘いを頂いた。仕事のご褒美でご馳走してくれるという。仕事を一所懸命やるのは当たり前、と固辞したのだが、強くお誘い頂いたので遠慮なくお邪魔することとなった。場所は浜名屋。県町の一筋入った、ひっそりとある小さなお店だが長野市屈指の有名店でもある。

「うな重(特)」

「うな重」とあるが、(特)はうなぎの量が多いため、丼で供されるという。あまりのつやつや感、しずる感そして、素晴らしいほどの神々しさに、しばらくの間箸をつけることが出来ず、見惚れるだけとなる。うなぎの3/4ほどの量であろうか。ご飯を覆い尽くすうなぎ、うなぎ、うなぎ。

こちらも関西風に蒸さずに焼くのだとか。パリッとふっくら、焼き魚といった風情の蒲焼きである。先だって、山椒はご飯にふる。と聞いたので試したらこれが風味が効いてじつに美味い。病みつきになりそうだ。

「肝吸い」

これは別注文である。まったりな生麩、シャキッとした三つ葉、そしてプリプリの肝が美味い。漬物に奈良漬というのも、変わっていて美味しかった。

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【読書days #1】樺沢紫苑「学びを結果に変えるアウトプット大全 」


はじめに

本は読むもの、映画は観るもの、音楽は聴くもの、そして知識はため込むものである。というのは間違いではない。でも、果たしてそれだけで事足りているのであろうか。
「あの本の、ここがよかった」
「あの俳優の演技は絶品だった」
「あのプレイヤーの演奏は、どうだった」
と、知人や友人と話し込む事がある。これはこれで楽しいひと時であるし、必要な事でもある。しかし、それだけでは如何ともしがたいものがある。

今までのこと

「読む」、「観る」、「聴く」あるいは「食べる」でもよいのだが、これまでわれわれが、いや私が執心してきたのは「インプット」すなわちため込むだけであった。取り込んで得た情報を、
「ああ良かったな」
という感想とともに、心の奥底へしまい込むだけのことであった。それだけならまだよいが、しまいこんだものが、いつの間にか、どこかへ行ってしまった、なんてこともよくある事だ。
「あの映画、すごい感動したけどすぐに忘れちゃった」
「あの本は、分かりやすいんだけど、全然あたまに入らないんだよね」
そんな事はザラにある。

「インプット」と「アウトプット」の関係~脳の仕組み

この「学びを結果に変えるアウトプット大全 」によれば、それは人間の脳の仕組みが、もともとそのように出来ているからですよ。
と、精神科医である著者は言う。人間の脳は、取り込んだ情報は、適正に出さなければ、本当の意味で「身になる事がない」のだ。「インプット」したら、適切に「アウトプット」する。この関係が構築されてこそ、なのだ、という。

解決方法

逆を言えば、それが出来ていれば、システマティックに進めることが出来れば、怖いものなどない。
「自分の意見をうまく伝えたい」
「交渉や営業が得意になりたい」
「いいアイデアが浮かぶようになりたい」
「仕事や勉強の成果をもっと出したい」
などの、市井の人々が誰でも持っている悩みなど、簡単に解決できるのである、という。

そして自己成長

自己成長とも、著者は言う。脳の仕組みがそのように出来ているのならば、人としての機能、能力をあるがままに受け入れるのも、大切なことである。しかし、それだけでは生きていく上で、面白みがなさすぎはしないか。

豊かな人生を

知識はしっかりと取り込み(インプット)、適切に表現(アウトプット)する。これでこそ、豊かな人生を送れるというものなのだ。
という章立てに基づき、いつも通り分かりやすく、丁寧な表現で紡がれる
「学びを結果に変えるアウトプット大全 」
ぜひお勧めしたい一冊である。

 


学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)


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【映画days #10】アギーレ/神の怒り


非アメリカなるものとの出会い

ウェルナー・ヘルツォークの作品が日本に紹介されたのは、80年代初めだったと思う。「アギーレ神の怒り(1972)」が岩波ホールで公開されたのが、その端緒だったのではないか。甚だいい加減な記憶で恐縮だが、大して意味もないので、調べようともしていない。
「戦後」も「高度経済成長」も終わり、何事もひと息つき、自分だけでなく、もうひと回り先を見渡す余裕ができてきた。そんな時代だったと思う。それまで、外国といえばアメリカ、ヨーロッパといってもイギリス・フランスのものくらいしかなかったのが、少しずつそれ以外のものが出回り始めた。そんな感じだったと思う。サッカー=イタリア=セリエAなる図式化を覚えたのも、この頃だった。

第三世界

第三世界なる言葉が流行したのも、この頃だった。当時はまだ冷戦時代だったので、東・西両陣営に属さない国々、当初はアジア・アフリカ・南米諸国を指す言葉だった。フランス革命期の第三身分になぞらえて、この名がついた、ともされている。
私の周囲で、もっともこの名が使われていたのが、映画界であった。主に、映画批評家の佐藤忠男先生(と言いたい)がインドや中国、韓国、北朝鮮の映画を盛んに紹介しており、キネマ旬報、映画芸術など、硬派系の映画雑誌でその名を見ない時はない。それほど流行していたものだ。そして、状況がこうずるに及びユーゴスラヴィアやグルジア、ギリシャなどヨーロッパ諸国ではあるものの、どちらかといえばマイナーな国(こちらかま知らなかっただけだが)も含めるようになった。

ヘルツォーク登場!

ヘルツォークもその流れで紹介されたものだったと思う。ドイツを第三世界扱いするのは、かなり無理があるとは思うが、「ニュージャーマンシネマ」と呼ばれた、それまでのドイツ映画になかった、新感覚派とも言うべき作品群は、とても新鮮に映ったのであろう。他にも、ライナー・ウェルナー・ファスヴィンダーヴィム・ヴェンダースフォルカー・シュレンドルフなど沢山の作品が集中的に紹介されていた。
当然、私の愛読誌「ぴあ」でも露出に次ぐ露出であった。だからよく知っている、という事情なのだが、当時はどうも手が出なかったのである。文芸映画は好きではあるが、どう考えてもおカッタるい作品群だし、高校生のお小遣いからして、優先順位を低くせざるを得ない、という事情もあった。いや、どうせ暇なんだからアルバイトせいや、当時のおれ。という感じなのだが、

クラウスとナスターシャ

前述した「アギーレ/神の怒り」も岩波神保町ビル入り口脇に、大きく掲げられたクラウス・キンスキーのおっかないツラにビビりつつ、ま、いずれ観ることが出来るだろぉと、スルーした次第である。クラウスはナスターシャ・キンスキーの父親で、ナスターシャ自身も出演している(ノンクレジットだが)と知ったのも、それから数年の後であった。
美しすぎる「テス(1979)」。内容は忘れ果ててしまったが、テス(ナスターシャ・キンスキー)がイチゴを咥えるシーンに、欲情(もしくは猥褻)ともいえる感情を持った身としては、観るべきリストの上位にアップされはしたが、そのまま35年を経過してしまったことは、まぁいつもの事だ。

かような事情があるゆえに
誕生!ヘルツォーク
なる回顧展が開催されると知ったからには、矢も盾もたまらず突撃!というのは当然のことであろう。

 

「アギーレ/神の怒り(1972)」

16世紀、ペルーに攻め入りインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロ。エル・ドラドを探し求め密林に分け入るが、進退極まり、先遣隊を派遣する。その副長がアギーレ(クラウス・キンスキー)である。
濁流に飲まれ多くの仲間を失い、上官と対立、反乱を起こす。先住民の襲来、隊員の粛清、疫病と次々と災禍が襲い来るが、アギーレのエル・ドラドへの深い執着心のため、全滅する。
アンデス山中を下る軍団をロングで捉えたファーストシーンだけで、どっぷりと作品世界へと引きずり込まれてしまう。
アマゾン川を下るアギーレたち。アマゾンを征服するはずが、反対に川に、異世界に取り込まれゆく姿を、手持ちカメラを多用し、ドキュメンタリーのようなタッチで描いていく。
タイトルになっている「神の怒り」。アギーレが口走る、印象的なセリフだ。聖書由来の言葉らしいが、よくわからない。ヨーロッパ人でもクリスチャンでもない者のつらいところだ。勉強しなければ。

それにしてもクラウス・キンスキーの凄まじいこと。爛々とする眼光を観るだけでも、十分に元を取った気になれる。

 

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信濃町「小林農園」糖度満点!お菓子なみに甘い焼きもろこし


【お店のデータ】
小林農園
場所 長野県上水内郡信濃町柏原4352-2
電話 026-255-4075
駐車場 あり

早めの夏休みである。
大きくなってしまい、父親と出かけるという習慣が消え失せた子どもと、パートに出た家内を置き去りにして、父は1人旅に出る。

旅、といってもどこにいけるでもなし。わが家から1時間範囲をぐるぐる廻る程度なのだが。ある日は映画、またある日は美術館などを経めぐり、昼食をとってくるだけの旅だが、これが面白い。あれをやりたい、これがダメというプレッシャーがないのがよい。行きたいところを好きなだけ。極めてテキトーであるが、風の向くまま気の向くままに、半日ないし1日のぶらぶら旅がやめられない。

という事で本日の午前は映画鑑賞。権堂で昼食をとり、はてどうするか。無論、このまま帰る選択肢はない。スイーツでも食べに行くか。

「小林農園」

話のみには聞いていた、伝説とまで言われた、信濃町とうもろこしの、そのまた老舗と言われる小林農園である。こちらの焼きとうもろこしは、友人からの土産でもらい、食べたことはあるが現地では初である。

平日の14:00すぎ、しかも猛暑の中ではあるが、かなりの人出である。店内(屋根だけの吹きさらし空間だが)は7割程度の混雑度であろうか。1人分の席を確保し、注文である。

「焼きとうもろこし」250円

先に蒸してから焼くと甘みと旨みが逃げず、美味しくなる。と、掲示されている通り、これが美味い。焼きたてすぐは、手に取れないほどの熱々である。ふーふーと息を吹きかけ、冷ましながらかぶりつく。

シャバシャバという音が出ているかに思えるほど、水分が迸る。甘い、美味い。ここまでくると果物、お菓子のレベルである。顔といい、手といい、腕といいベタベタにしながら食べる。ああ幸せだ。

土産用に、二本追加注文したら、小さいのをおまけでつけてくれた。素直に嬉しい。次回は、冷やしトマト、キュウリとともに頂こうと思う。

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【音楽days】パブロ・カザルス 「鳥の歌」


パブロ・カザルス(1876-1973)はスペイン出身のチェロプレイヤー、指揮者、作曲家である。
チェロの近代奏法を確立し、20世紀最大のチェロプレイヤーとされるというが、詳細は分からない。

20歳代早々から認められ、音楽学校で教鞭を取ったり、海外への演奏旅行にも出るほどの活躍をみせた。29歳でアルフレッド・コルトー(pf)、ジャック・ティボー(vn)と結成した「カザルス三重奏団」は20世紀前半を代表すると言われるほど、伝説的なグループとなる。

1939年 スペイン内戦の勃発によりフランスへ亡命、終生フランコ独裁政権への抗議、そして反ファシズムの立場を表明。以降、音楽活動を停止、隠棲生活にはいる。

1945年 一時的に音楽活動を再開したが、各国政府が、スペイン・フランコ政権を容認したことに抗議し、再度活動を停止する。

1950年 プラド音楽祭の音楽監督に就任、活動を再開し音楽家として再生する。

1961年 来日

1971年 国連本部にて演奏会、国連平和賞を授与される。

1973年 死去

カザルスは音楽活動と同じほど、いやそれ以上に平和活動を行い、政治的な発言をやめなかった。1950年代後半からはアルベルト・シュヴァイツァーとともに核実験禁止運動への参加は、とくに有名なことである。

「鳥の歌」
とは、彼のもっとも重要なレパートリーである。出身地スペイン・カタルーニャ地方の民謡元にしており、故郷への思慕と、平和の願いが結びつけた名曲である。1945年ころから好んで演奏するようになった、といわれている。

1971年 国際平和賞を授与された際に、本部でこの曲が演奏された。演奏の前にカザルスは次のようなスピーチを行った。

The Song of the Birds. Birds sing when they are in the sky, they sing: “Peace, Peace, Peace”

鳥たちは空にいるときに歌います、彼らが歌うのは:“Peace, Peace, Peace”(平和、平和、平和)

【映画days #4】万引き家族


三連休は、やはり映画で締めるべきだろう。
という事で出かけたのは、長野グランドシネマズである。シネコンでいったい何を観るかといえばこれだ。

万引き家族(2018)」

是枝裕和の最新作であり、「家族」にこだわり、「家族」描き続けてきた彼の、集大成的な作品といってもよいのではないか。
詳細は避けるが、演出、シナリオ、演技のすべてがハマっている。とくに安藤サクラは絶品である。是枝はもともと女優〜それも、あまり美形でない女優の扱いがうまいのだが、今回の安藤サクラは飛び抜けている。あまりにも見事。これはパルムドールは当然であろう。

是枝裕和、この人の作品は本当によい。これほど繊細な演出ができるものはいない。「歩いても歩いても(2008)」しかり、「海よりもまだ深く(2016)」しかり。先の発言が気に入らないと、ネット右翼どもが「海街diary(2015)」の一場面を指して、「立膝で食事する日本女性はいない」などとバカな発言をしていたが、観てからものを言え。

是枝ワールドに浸ると同時に、この話題が思い出され腹が立った立ってきたのでひと言だけ。

以上である。
明日からまた仕事だぁ


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長野市「カリメーラ」“ひっそり喫茶店”のうれしいランチ


カリメーラ
場所 長野県長野市西和田433-11 [地図はこちら]
電話 026-244-7300
営業時間 9:30~22:00
休日 第2・第4木曜日
駐車場 あり

喫茶店に、出くわさなくなった。いや、
「コーヒーを飲みながらひと休みする」
という場所ならいくらでもある。しかし、スタバやタリーズではなく、いわゆる昔ながらの『喫茶店』が少なくなってしまったのは本当に寂しいことではないかとつくづく思うのだ。

ここでいう『喫茶店』とは、先にあげた『誰でも入れる空間』ではない。ひっそり裏通りにあって、誰にも見つからず静かに1人、コーヒー飲んだりタバコ吸ったり、ご飯食べたり、あるいは漫画読んだり何時間もぼーっとする場の事である。

昔はそこここにあったものだ。
振り向くとKEY COEFEEやらUCCのロゴ入り看板があり、ではひと休みしていくか、メシ喰っていくかなどとやっていたものだ。『もやもやさまぁ〜ず』の終盤のような感じ、という分かってくれる方もいると思う。

絶滅したわけではない。
長野市内でもあそことあそことあそこ、などと数件あげる事はできる。ただ、昔ながらの使い方のされている店はあるのだろうか。ぶっちゃけて言わせて貰えば、今どきの高校生はどこでタバコを吸っているのか。

未成年の喫煙を奨励しようということではない。あくまで昔の話、自分の若いころのことを例に出したまでである。10才代後半、背伸びしたい盛りの子供たちが、親にも教師にも知られずにいられる空間が今でもあるのだろうか。という事を言っている。

きっとあるのだろう。形式が変わっただけ、私が知らないだけで。どんなところか見てみたい気もするがそこは彼らの空間だから汚れたオヤジが覗く事は遠慮しておこう。では身近にある、イメージに近い『喫茶店』に行ってみよう。

『カリメーラ』

長野市西和田の陸運局斜向かいにあるこちらは、国道沿いにあるのだが道路と店の間に植え込みや駐車場があるため、中が伺えずどことなく『裏通りのひっそり』感があり、ドライバーたちでいつも混雑している。

最近では定食屋として定着してしまった感があるこちらを『喫茶店』と言い切るのには、少し抵抗があるかもしれない。しかし、カウンターに『コーヒー粉入りの灰皿』があるだけで、十分その資格があると申し上げよう。さて、何を食べようか。

申し上げたように、こちらはほとんど『定食屋』として機能している。カレー、ハンバーグはもとより『海老フライとナポリタン』『ビーフ・チキン・海老フライコンボ』なる魅力的なメニューもある。こうなると目移りしてならない。さぁ、何がよいのだ、何を食べれば喜ばれるのか。

うな重 サラダ・味噌汁付』880円

本日のおすすめメニューである。『牛ステーキ』にも『マーボ豆腐ラーメン』にも惹かれたのだが、ここはやはりうなぎの魅力に勝てるものはなかなかいないだろう。きちんと重箱に入っているのも好感度が高い。

シラスウナギの不漁でうなぎの値段が高騰して始めて何年になるだろう。本寸法の鰻屋など自費ではとても行けなくなってしまった。という事でこのところ、うなぎといえばすき家の『うな牛』となってしまったが、この場で再会できるとは嬉しくてならない。

出自はよく分からない。無論、国産ということはないだろうが。とはいえ、かなり立派なうなぎである。厚みも十分、ぽってりとした舌ざわりもよし。脂ののり具合は今ひとつだが、880円でここまで食べさせてくれるのだから、文句など言う筋はない。

思わぬ場所で思わぬものを頂いてしまった。本当は『喫茶店メシ』っぽいものを食べる予定だったのだが、これはこれで結構、じつに楽しいランチであった。


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千曲市の岡本太郎


岡本太郎ほど人に愛されたアーティストは他にいないだろう。この人気は戦後わりと早い段階からだったようだ。一平・かの子の息子、という話題性もあったろうが、「気さくな変人」といったイメージが定着したからでもあろう。

その太郎さんだが、わが長野県ともずいぶん深いつながりがあった、ということはよく知られている。諏訪の「万治の石仏」が有名になったのは、彼がその魅力を語ったからだし、松川村役場には大きなレリーフが飾られている。野沢温泉には多くの彫刻がある。そもそも野沢温泉のロゴは岡本デザインだ。

まぁ、これは長野県に限らず、あちらこちらに作品が残されているようだ。「気さくな変人」の上に、大変な多作家だったということでもある。

岡本作品が千曲市にもある、という事を知ったのは、つい一週間ほど前である。知人宅にお邪魔した際に、お話を伺ったのだ。

アーティストでもあるその知人が
「あれは凄いから、一度みた方がいいよ」
と連れて行ってくれたのは、戸倉町のはずれ、千曲川の堤防道路沿いにある、小さな松林にポツンと置かれていた。

「無籍動物 岡本太郎」
という小さく、傾いた看板のみで説明板などまったくない。先程は「ポツンと置かれ」と書いたが、それよりも「無造作に放置されている」という表現が妥当かもしれない。

元はと言えば、かつてこの地にあった「戸倉上山田ヘルスセンター」という遊園地、現在でいうアミューズメントパークのために制作されたものだという。1959年に大小2体作られ、現在残されているのは小さな方である。こちらは大を制作するためのモデルで、高さ・幅ともに1.4mほどのサイズである。

ちなみに、戸倉上山田ヘルスセンターのシンボルとして作られた「大」の方は高さ4メートル、幅5メートルという途方もないスケールで、かの施設のシンボルとして扱われ、箸袋や包装紙、土産のまんじゅうの焼き印などにもあしらわれていたという。

ただ、かの施設は開園後1年半ほどで経営不振に陥り1962年ごろ閉園となった。その際に「大」は取り壊されたと言われているが、実際のところは不明であるとのことだ。一説には松代群発地震の揺れで倒壊したとも言われているが、正確なことは不明である。

そして、残された「小」は無造作に放置されている。なくなってしまったものは仕方ないが、せめてこちらはきちんと保存できないものか。このままでは朽ち果てるがままである。貴重な作品だと思うのだが。


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和菓子① 石衣


機会があり、ある方から和菓子の詰め合わせを頂いた。まんじゅう二点に石衣、水無月などが入った、小さな箱である。

石衣、水無月と今まで普通に呼んでいたが、なぜこんな名がついているのか。少々気になったので調べてみた。

まずは「石衣」から

石衣(いしごろも)は日本の代表的な半生菓子の一種。小豆のこし餡に水飴を加えて練り、丸めて団子状に固め、白砂糖のすり蜜を掛けて白い衣で包んだ和菓子である。京都や大阪など関西地方では松露(しょうろ)と呼ばれる。餡の品質、餡玉の形の整い方、すり蜜の掛かり方など、原材料や手のかけ方次第で上菓子風にもなれば駄菓子風にもなる。丁寧に仕上げられたものは、すり蜜の白い衣を通して薄っすらと見える餡玉の小豆色が上品な美しさを醸し出す

出典元:Wikipedia

文中にある「松露」とはキノコの一種で、かたちが似ているところから、この名がついたという。
さくりとした白砂糖とふわりのこし餡の、品のよいお菓子とキノコの取り合わせとは、どうにも面白くてならない。

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ジンジャーエールとソフトクリームそして「AKIRA」のある場所【本日のひと休み】③


そして大量のマンガ類。
時間的にたくさんは読めないので、これ1冊というのを選択する。

大友克洋「AKIRA」

30年近く前に完結していながら、最終巻のみ読んでいなかったのだ。
ジンジャーエールとコーヒー、ソフトクリームそして「AKIRA」を用意して席につく。大きな開口部で明るく、好きなものに囲まれたテーブルと。優雅なひとときの始まりである。

ジンジャーエールは文字通りショウガを用いた飲料である。本来はもっとショウガのクセがあると聞くが、ここにあるのはコカコーラボトラーズの日本流にアレンジされたものだ。とはいえ、子どもの頃はコーラなどより、大人っぽい風がありドキドキしながら飲んだ記憶がある。

「AKIRA」
新型爆弾が炸裂し、崩壊した東京を舞台に暴走少年 金田、鉄雄、謎の宗教団体、アメリカ軍そして超兵器「AKIRA」が入り乱れ、暴れ回るというストーリーである。

かいつまみすぎてよくわからないないと思うが、書いている方もわかっていない。ここはひとつご寛容頂ければと思う。