長野市「手打そば処横綱」古戦場の横綱そば

そば

場所 長野県長野市小島田町1384

電話 026-283-4527

バリアフリー

駐車場 あり

食べたもの 「横綱そば」924円、「野菜のかき揚げ」231

 

私には故郷がない

生まれ育ったのは東京都新宿区牛込柳町という大それた場所ではあるが、生家の稼業の関係で15歳の冬に引越してしまい、親戚どころか系類もない状態となってしまった。そして東京は流出入の激しいところでもあるので、仲のよい友人たちもほぼ彼の地にはいないので、その点でもまったく関係性のない場所と化した。だから私には故郷がないというのだ

 

31歳で信州に移住

32歳で長野市にやってきた。以来25年が経過し、もっとも長く住む土地となった。土地勘がめばえ、ネイティブな長野市民よりも道を知っている、なんて状態となれば楽しくて仕方がない。いろいろ知りたくなって当然ではないか。歴史が好きだから、北信地域の成り立ちなど調べていると楽しくてならない。もちろん歴史的に重要!という出来事はないのだが。とりあえず今回はこちらを訪れてみた

 

川中島古戦場史跡公園

長野市街地の外れというか長野インターへの最終地点というか。広い芝生の広場あるいは宮本忠長が建築学会賞、しかも大賞を受賞した長野市立美術館のある施設。古戦場というのは川中島の戦いを指すのだが、10年もの間小競り合いも含めれば5回もあった戦は北信のほぼ全域で展開された。この場はもっとも激しい戦闘であった第四次合戦があったところとされている

 

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち

が繰り広げられた場所とも言われている。施設の一隅にはそのブロンズ像があったりもする。甲陽軍鑑に記された一騎打ちは有名すぎるほどのエピソードだが、一時はその出来すぎた内容から、フィクションだというのが定説化されていた。

 

しかし

近年の研究では一騎打ちとはいかずとも、かなり近い状況が展開されたのではないか。という説もある。それだけ拮抗した勢力同士が乱戦に次ぐ乱戦を繰り広げたのだから。裏を返せば同程度の勢力なのだから、うまいこと談合していけば10年も小競り合いせずともよかったのに。だから武田も上杉も大した人物ではない。という説もあるがどんなものであろうか

 

そういう場所だから

当然観光地でもあり、ローカルなお土産屋さんが立ち並ぶ場所もある。以前はおじちゃんおばちゃんが「お土産買っていきない」とか果物の季節になると「味見していきない」と声をかけてくれたりもしたが、今回は姿をみなかった。冬の季節は不在なのか、コロナ禍でやめてしまったのか。ただの一度も買ったことはないが、いなければいないで少し寂しいものだ

 

「手打そば処横綱」

お土産屋さんが並ぶ一画にあるそば屋さん。施設内唯一の飲食店とあっていつも混雑している、そこそこな人気店だ。もちろんここを訪ねてきたものだけではなく、私のように近在から来るお客様も多いようだ。ここは駐車場が大きいから気兼ねがないし。そしてこんなメニューもあるから人気があるのかもしれない

 

「横綱そば」924円

なんだこりゃ?とは誰もがもつ印象であろう。もりそばの2.5倍量とされるフォルムは「山」である。

だいたいそばなんてものは、私たち東京生まれのビンボー人からすれば、ざるにサラリと軽く盛られ、ふた口くらいで食べ切れてしまう。高くて量の少ないもの、というイメージしかない食べ物でなのだからビックリしてしまう

 

お待たせしました

と運ばれ、テーブルに置かれるとそばがぱらりと崩れてくる。さしたる衝撃もない状態であるにも関わらず、なのだ。それだけ盛りがよいという事でもあろう。それにしてもすんげーなこれは。

 

まずはそばのみを食べる

というものがいる。あるいは真水で食べるものもいる。そばの香りを楽しみたい、というのがその理由らしいが、私にはそんな洒落た食べ方は似合わない。辛めのツユにじゃぶりとつけ盛大にすすりあげる。江戸っ子は長いそばの下一寸のみしかつゆにつけないとも言うが、江戸っ子でもないし気にするわけもない

 

これぞ信州のそば文化

こましゃくれた江戸そばとの違いであろう。そばで充満したお腹を抱え、古戦場公園を後にする。さぁ次の史跡はどこを訪れようかな

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