東京都中央区「東京アフロディテ」最高の空間とオヤジの泣きづら

東京

店名 東京アフロディテ
場所 東京都中央区日本橋富沢町12-13

 

泣かないと決めていた

何度も何度も、自分にそう言い聞かせてきた。だいたい、なぜ泣く必要があるのか。涙というものは、どうしても感情の溢れ出る場面において避けがたいものではあるが、だからといって、それを人前でさらすことが美徳であるとは限らない。男子は涙をみせからじ、などという古臭い言葉を今さら持ち出すつもりは毛頭ない。だが、いい歳をした大人の男が、ましてや多くの人が見守る公の場で涙を流す姿ほど、みっともなく、収まりの悪いものはないと思っていた。恥を知れ、と自分に言い聞かせていたのである

 

私の兄ふたりは

娘を嫁がせる場面で、揃いも揃って号泣した。ひとりが泣いたのではない。ふたりがふたりとも、大粒の涙を滂沱として流したのである。あれには心底呆れた。何が悲しいというのか。結婚式というものは、吉兆事である。新しい門出を祝う晴れやかな席であり、参列した誰もが祝福を惜しまぬ場である。その場で、父親たるものが、ひと目を憚らず慟哭するとは、いったい何たることか。新婦本人が泣くのは理解できる。だが、家長ともいえる立場の人間が、泣き崩れてどうするのだ。まったく情けない

 

たしかに、嫁に出すというのは

形式的には籍を抜き、わが家から他家へと託すことである。だが、だからといって、それが今後の関係を断つことを意味するのではない。

十五でねえやは嫁に行き、お里の便りも耐え果てた

そんな明治時代のような風習が残っているわけでもあるまい。いまの世の中、娘が嫁いだからといって、関係性が断ち切られることなどあり得ない。むしろこれからも連絡は取り合い、顔を合わせ、時に帰省もし、これまでと何ほど違うというのか。なのに号泣するとは、実に恥知らず。恥を知れ、恥を。あのような醜態をさらす者どもは、たった今腹切って果てよ、その窓から身を投げよ

 

娘がついに結婚することとなった

すでに相手とは一年も前から同棲しており、半年前には入籍も済ませている。だからわざわざ結婚式をあげなくとも、形式にこだわらなければ済む話ではあった。だが、やはりそこはけじめというもの。親族、友人などに集まっていただき、披露の場を設けることこそ筋というべきだろう

 

若いふたりはしばらく前から準備に動き

日取りは八月三十日と定まった。真夏の盛りである。参列してくださる方々にとっては少々厳しい季節かもしれぬ。だが、これがよきタイミングとあれば致し方あるまい

 

「東京アフロディテ」

日本橋、人形町のほど近くにある、築百年を超える元銀行建築をリニューアルした結婚式場である。設計は中村與資平。明治から昭和初期にかけて活動した建築家だ。浅学にしてその名を知らなかったが、1905年、東京帝国大学建築学科を卒業。辰野金吾の基で修行し、銀行建築を数多く手がけた人物とのことだ。なるほど、そのデザインには確かに由緒のある風格が感じられる。大正時代の意匠を色濃く残しつつ、現代的な結婚式場として巧みに調和している。やはり、才能ある者が努力を重ねれば、時を超えて人を魅了する空間が生まれるのだ

 

当日は、まさに華燭の典にふさわしく

華やかで煌びやかであった。参列者たちが新郎新婦を称え、笑顔と拍手が絶えない。幸せなひとときである。しかし親という立場になると、黙って座しているわけにはいかない。招いた方々へ挨拶をし、歓待をし、場の隅々まで気を配らねばならない。自然と会場を駆けずり回ることになる。そして料理群は豪華絢爛

・熟成マグロのマリネ レモン風味 彩野菜のニース風

・いわい鶏のガランティーヌ トリュフのモルネーソースとマッシュルームのフォーム

・サワラのポワレ 玉葱と生姜のリヨネーズ風 ソースブールブラン

・クレモンティーヌオレンジのグラニテ

・特選牛ロース肉のポワレ ブロッコリーのボルドレーズとソースヴァンルージュ

・シェアスイートパーティー

実に美しく、実に美味そうだ

…ではあるものの、写真も撮影したし、実際に口に運んだはずだ。だが、肝心の味の記憶がほとんど残っていない。唯一、サワラのポワレが出汁の利いた見事な仕上がりで、美味かったような気がする。その程度である。自他共に認める食いしん坊である私が、料理の味を覚えていないほど張り詰めていたのだ。もう一度、ゆっくり味わい直したいと切に思う

 

料理を凌駕して印象に残ったのは

スタッフたちの接客であった。数多くのスタッフが絶え間なく気を配り、宴席を最高のものへと導いてくれた。とりわけ、私のテーブルを担当してくれたMくん。彼の気配りは驚くほどであった。ここまで行き届いた対応に出会ったことはない。彼のおかげで一層の感動を味わうことができた。深く感謝を申し上げたい。もっとも「Mくん」というのは仮名ではない。実際の名前を忘れてしまったのである。「前」がついていたような気がするので、こう表記しておくにとどめる。これからこの会場を利用する方は、ぜひ彼を目的に選ばれるのも一興である

泣かないと誓った私の覚悟が試される時が来た

式の前、リハーサルの場で両親が呼ばれ、娘のウェディングドレス姿を目にした瞬間、胸の奥底から何かが込み上げてきた。
これはいかん
危ない
大変だ
と心のなかで叫び、必死に涙を飲み込んだ。以後も事あるごとに同じ局面が訪れた。
これはいかん
危ない
大変だ
と自分を叱咤し、必死にこらえた。そのたびに、どうにか涙をこぼさずにすんだ

 

左様に確信していた

私は泣かなかったのだ。泣きはしなかったのだ。しかし後に写真や動画を見返したとき、そこに映っていた自分の顔を見て愕然とした。涙こそ頬を伝ってはいなかったが、顔つきは完全に泣き顔である。これは紛れもなく泣きづらであった。ああ、これでは兄たちを笑えぬ。結局、自分もまた人並みに情けない父親であったのだ。腹を切らねばならぬ、そう思うほかない、まことに情けない一幕であった

気づけば、私もまた「泣かない」と言い張りながら、泣いた父親の一人に数えられることになっていたのである

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