長野市「いむらや 石堂店」久しぶりのソウルフード

中華料理

店名 いむらや 石堂店

場所 長野県長野市南長野1423ー47

バリアフリー △ 入口に段差あり

駐車場 なし(近くにコインパーキングあり)

 

ソウルフードとは何か

一般的な定義としては「アメリカ合衆国南部で奴隷制の時代を通して生まれた、アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称」とされている。けれども日本ではこの言葉、少し異なる文脈で使われていることが多い。日本においての「ソウルフード」とは、地方に根づいた郷土料理や、地域に暮らす人々にとって特別な意味をもつ料理、つまりは“地元民の心の支えとなる味”を指す。これは明らかに日本独自の用法だ

私自身はというと

奴隷制度の時代に生きたアフリカン・アメリカンの末裔でもない。そして、何よりも「地元」という感覚がない。都会生まれのもやしっ子であり、故郷と呼べる場所もなければ、心の拠り所となる土地も持ち合わせていない。ゆえに、自分の中にあるソウルフードと呼べるものも存在しない。これは食べ物に限った話ではなく、もっと広い意味で、アイデンティティというものの欠片をどこにも見出せない、ということなのかもしれない

そんな、どこにも根ざさない私の週末

だらだら土曜日を経て、日曜日も同じくだらだらと時間を持て余す日。とはいえ、早起きの習慣は変わらない。目覚ましも不要で、いつも通りの時間に自然と目が覚め、シャワーを浴びて朝食を取り、再びゴロゴロ

ただ、ごろ寝もよいが

なんとなく動きたくなる。映画でも観に行くか。調べてみると、おお!アレが公開されているではないか。というわけで街にでる

 

選んだその映画は

あるテロリストの50年にわたる逃亡生活を通して、正義とは何か、時代と個人の関係とは何か、そんな青くさくも深い主題を丁寧に描いた佳作であった。予算こそ潤沢ではないものの、その制約を逆手にとったような、脚本と演出の濃度。非常に見応えのある一本だった

 

映画館を出ると

13時半すぎ。腹がへった。何を食べようか。思案していると、ふと思い出す。あそこに行こう。長野市のソウルフード、いや私のような“地元を持たない者”にとっても、そう呼びたくなるような、特別な味の店

 

「いむらや石堂店」

権堂店にはたまに行くことがあるが、石堂店に足を運ぶのはおそらく10年ぶり。再開発によって、周囲は近代的なマンションや店舗に生まれ変わったが、裏手にひっそりと佇むこの店は昔のままだ。奥行きの狭いカウンター席が連なる、小ぢんまりとした空間。昭和の香りが漂う店内に、懐かしさがこみ上げる

 

「しゅうまい 3個」270円

この、なんとも地元感のある文字遣い。良い。たまらなく良い。全国的に「しゅうまい」といえば、横浜の崎陽軒を思い浮かべる人が多いだろう。ぎゅっと肉が詰まっていて、密度の高い、締まった食感のそれ。しかし、いむらやの『しうまい』はまるで別物。ぽってりと、そしてふにゃりと柔らかい。肉、入ってるのか?と首をかしげたくなるような、優しすぎる食感だ

 

例えるなら

崎陽軒がハードなギャング映画だとすれば、いむらやは松竹の家族劇。そんな比較が伝わる相手はごく一部だろうが、そう言いたくなるくらい、対照的だ。そして私は、この柔らかな『しうまい』にはソースだ。醤油じゃない。ソースだ。これが実に合う。というより、いむらやの『しうまい』は、ソースを前提にしているのではと思えるほどに、馴染む。ソースしうまい、うめぇ!そうこうしているうちにメインの登場だ

 

 

「あんかけ焼きそば 大盛」850円

いむらやの代表メニューである。油でサッと揚げた中華麺を用いた、いわゆる「かた焼きそば」ではあるが、一般的なぶっとい中華麺ではなく、優しげな平打ち麺。その上に、これでもかと載せられたドロリと重たい「あん」。その粘度、量、具材の量。とにかくすごい。キャベツが大量に入り、キクラゲも少々。上には錦糸卵、ゆでサヤエンドウ、そして分厚いチャーシューが4枚もドンと鎮座している。見た目はまるで何かの祭壇のような荘厳さ

だが、この一品相当にクセが強い

まず、あんが生温かい。そして甘い。妙に甘い。その甘さと、くったりしたキャベツの組み合わせが、食べる者に不安感を与えるレベルだ。これ大丈夫か?と問いたくなる。でも、そんな疑念を抱きつつ、卓上の酢やからしをたっぷりかけて口に運べば、不思議と食べ進めてしまう。なんとも言えぬ中毒性がある

 

正直なところ

 

私自身、この味に慣れるまでにはかなり時間がかかった。いまだに完全には慣れていないのかもしれない。それでも、半年に一度くらい、ふと思い出して無性に食べたくなる。これは一体なんなのか

 

 

長野で青春時代を過ごした先輩たちの中には

いむらやの悪口を聞くと、本気で怒り出す人がいる。なぜそこまで熱くなるのか、理由ははっきりしない。だが確かに、何かに取り憑かれるようにハマってしまう人が一定数いるのだ。そういう意味では、これこそがソウルフードなのかもしれない

 

 

映画の余韻と

いむらやの甘じょっぱく不思議な後味と。心も胃袋も満たされ、なにか感情の渦のようなものに包まれながら、私はひとりデカい腹引きずって帰途につく

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