八王子市「木曽路 八王子高倉店」母親連れのランチタイム

定食

店名 木曽路 八王子高倉店
場所 東京都八王子市高倉町54−7
電話 042-631-1511
バリアフリー ◯
駐車場 あり

 

長野の山裾に暮らして久しいが

実を言えば私は東京生まれ、東京育ちである。しかも、その出生地は新宿区という、きらびやかで雑多な街のど真ん中。そんな背景を持ちながら、現在は草深い緑に囲まれた長野の片隅で、静かに日々を過ごしている

「東京生まれ」

と言っても珍しくもなんともない。星の数ほどいる中の一人にすぎず、それでも「新宿生まれ」と口に出すと、「あら、そうなのね」と思いのほか好感をもって迎えられることがある。自分自身でも特別なつもりはないのだが、相手がうれしそうに反応してくれるのを見ると、ついつい口を滑らせてしまう。あまり照れることもなく、「そうなんですよ、ハハハ」などと軽く流してしまっている。これはもう習慣みたいなものだ

とはいえ

そんな「東京モン」だった私も、長野に移住しておよそ30年が経とうとしている。もはや東京の喧騒よりも、山の静けさや川のせせらぎの方がしっくりくる。信州の四季は厳しくも豊かで、空気は澄み、水は美味い。人々の気質も穏やかで優しい。産業は乏しく、働き口は少ないけれど、それを補って余りある魅力がこの地にはある。すっかり長野人としての自覚を持ち、今では「もうここから動かねえぞ」と腹を括っている

しかしながら

人生そう簡単にはいかないもの。たまには動かなければならないこともある。とりわけそれが実母絡みの用事であれば、いくら面倒でも背を向けるわけにはいかない。母は現在、施設で暮らしている。年齢も年齢で、すでに認知の症状も見え隠れしているため、定期的な面会や打ち合わせが必要になる

そんなわけで

久々に東京へと向かう。朝早く家を出て、愛車を駆使してメガロポリスTOKYOへと突入。まだ午前の早いうちに到着し、兄と合流して母の元へ。施設職員と簡単な打ち合わせを済ませた後、母を外へ連れ出してちょっとした用事を済ませ、さらには墓参りまでこなす。久々の都会での一日だが、思いのほかスムーズに物事が進んだ。気がつけば、腹がぐうと鳴っている。よし昼メシだ。選んだ店は

「木曽路 八王子高倉店」

木曽路という名前は、我々長野県民にとってはどこか懐かしさを感じさせる響きだが、実際のところこのチェーンの発祥は名古屋らしい。店舗は多摩地域を中心に点在していて、構えこそファミレス風だが、内実はなかなか格式のある和食レストランだ。マダムたちの昼会食や、親戚の集まりなど、ちょっとかしこまった場面にもよく使われるという

 

祝い着をまとった赤ちゃんを

抱いた家族が食事していた。お宮参りだろうか。よく肥えた頬の赤ちゃんを見ていると、つい手を伸ばしたくなる衝動に駆られる。まるで自分の孫でも見るような気持ちで、心がふんわり温かくなるのだから不思議なものだ。そして我々が頼んだのは

 

「刺身定食」2310円(蟹飯オプション)

母は施設で生ものが食べられないため、外食の機会には必ず刺身を選ぶ。今回も迷わずそのメニューに手を伸ばした。せっかくだから私も同じものを選ぶ。しかもどうせ支払いは兄がするのだから、遠慮はいらない

 

ほどなくして運ばれてきた料理は

まるで温泉旅館の宴会料理のような豪華さ。膳の上にずらりと並べられた品々に、母も「うわぁ〜」と素直な感嘆の声を漏らす

 

まずはお造り

氷を敷き詰めた大皿の上に、赤身、鯛、イカ、サーモンが彩りよく並び、さらに器にはホタテのレモン添え。見るだけでもうれしい、実に絵になる一皿。どの魚も鮮度が抜群で、口に入れた瞬間に旨味が広がる

天ぷらは

黄色い器に盛られた4品。エビ、オクラ、カボチャ、山芋という構成で、揚げたての熱々をまずは塩で、次に天つゆでいただく。衣はサクサク、中はしっとり。油の切れもよく、さっぱりと食べられる

 

小鉢は

厚揚げと野菜の炊き合わせ。にんじんと大根は花の形にあしらわれ、こんにゃくや里芋とともに優しい味に仕上がっている。グリンピースの彩りも見事で、見た目にも楽しい

 

茶碗蒸し

これぞ正統派といえる構成。鶏のささみ、かまぼこ、エビが入り、出汁の香りが立つふるふるの一品。こういうベーシックなものが、実は一番ありがたい

 

ご飯は

白米、五穀米、蟹飯から選べるということで、迷わず蟹飯を選択。追加料金330円だが、どうせ支払いは兄。カニの風味がしっかり効いており、錦糸卵との相性もばっちり。蒸して仕上げているのが実に好ましい

 

締めは抹茶アイス

小ぶりな器に盛られたその一品を、母はうれしそうにぺろりと平らげた

 

食後、施設までの道すがら

母はまるで小学生のようにハイテンションでしゃべり続けていた。話の内容はどこかちぐはぐで、時系列もあやふやだが、それでも楽しそうに笑っている母を見ると、ただただそれだけでうれしい。年齢のことを考えれば、そう何年もこうして一緒に出歩けるわけではないかもしれない。でも、できる限りこうして時間を共有し、笑い合える日々を大切にしていきたい

 

そして私は、再び長野の山間へと帰る

東京は遠く、そしてやはり、どこか騒がしい。生まれ育った場所であるはずなのに、今ではまるで異国のように感じられる。だからこそ、私はもう動かない。山と水に囲まれたこの土地こそが、私の最終地点である。そう、あらためて思った一日であった

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