「越後妻有 大地の芸術祭」周遊記⑤ 華やかすぎる畳の広間とあられもない女の館

新潟県

長い

長すぎる。そうでなくともわが文章は長くなりがちなのだが、今回は極めて情報過多、高濃度の体験なので、放置しておくとアタマが爆発してしまいそうなのだ。今発散しておかないと知恵熱を出してしまいかねないのでもうしばらく続けることとする。読んでいただけている方々には感謝申し上げますが、飽きたらテキトーに放置してください。
 

そもそも

美術、芸術なるものは「美しいもの」を作り愛で語り合うものであると確信する。しかしながら人の思考、思想なるものほどうつろいやすく、われと他者との溝深い相違に驚かされることは始終あることだ。それはたとえ血を分けた親兄弟であろうとも、数十年を過ごした夫婦であろうと、同じ釜のメシを喰らい辛苦を乗り越えた友であろうと変わらない。
 

したがって

「美しいもの」の基準、いや概念そのものも違って当たり前なのだ。これまで観てきた現代美術の数々をみよ。清津峡トンネルは別として、ほかの作品はどうであったか。息を飲むほどの衝撃を受けたもの、気持ち悪いが可愛らしいもの、何がなにやらわからぬもの。生きとし生けるものすべてが違う価値観、違う美学を持っているのだ。その分だけ作品があるといっても過言ではない。
 

そうはいっても

誰もが思う美しいもの、これはいいなぁ、きれいだな、可憐だな。というものも観てみたいではないか。という事で越後妻有 大地の芸術祭2022きっての美しき作品を愛でに参ろうではないか。
 
 
 
 

MonETから15分ほど行った先にある

十日町市利雪親雪総合センター。どのような機能を持っているかわからないが、かつては「みよしの湯」という温泉施設だったらしい。たしかにそんな風にみえる建物だ。1階部分にも「誤山を眺める」なる作品もあったがどことなく雑然としていたので鑑賞とりやめ。目当ては2階にあるようだ。
 

井橋亜璃紗「意識と自然の探索」

2階は中廊下を挟んでいくつかの畳の広間となっている。フスマの中はかつては湯上がり客がここで休んだり持ち込みで一杯やったりカラオケ歌ったりといったスペースだったのであろう。ああ私もここでビールを飲みたい。フスマをカラリと開けるとそこは極彩色の風景が視界に飛び込んでくる。
 

テキスタイルプリント

とは布地に印刷したものを指すのであろうか。この地に生息する植物、生物、自然の写真をコラージュしフスマに写した、という事らしい。紅といい青といい紫色といい黄色といい様々な色彩が爆発するかのように展開する。サイケデリック?そんな気にもさせられる。いやぁこれはきれいです、素晴らしいです。広間の中心でぐるりと回ってみるとトリップできます。
 
 

十日町市利雪親雪総合センター

を出ると14:00を少しまわったくらいの時刻。まだまだ観て回る事は出来るが、土地勘のないものゆえに多少はゆとりをもって行動すべきであろう。かといって国道には戻らない。だって面白くないもん。また信濃川の対岸へ渡り、なんとなく長野方面へとクルマを走らせる。すると例の案内看板がちらりほらりと見えてくる。屋外作品はいつでも行けるから、どこかよい施設はないかと探していたら、あったあったありました。ステキな名前の美術館が
 
 

「星と森の詩美術館」

少し山中に分け入ったところにある小さな小さな美術館。傍にある湖、ではなく恐らく元は農業用の溜池であったろう小さな泉の周囲は散策路が整備され、藤巻秀正という十日町出身の彫刻家の作品を鑑賞することができるようになっている。
 

こちらは

十日町を代表する企業 丸山工務所という主に建設業を営まれている会社の文化事業の一環として開設されたとのよし。なんだ、成金の美術趣味か。などとクチの悪いものもいるかもしれないが、なんのなんの、このセンスはただものではない。内井昭蔵っぽいデザインの鉄筋コンクリート造平屋の建物は40〜50坪くらいのサイズではないか。入場料はパスポートを提示すれば50円引きで450円だったと思う。
 
 

主な収蔵作は地元出身のアーティスト

星 襄 一、天田昭次、藤巻秀正の作品が中心で各々の作品名である「星の森」「七星剣」「森の詩」にちなんで名づけられたのだとか。かといってこちらは常設展示ではなく、季節ごとの企画展が開催されるとのよし。じつに心にくいではないか。そして現在開催されているのが
 
 

「阿部勝則・佛淵静子 人のかたち・刹那のかたち」

両人とも人物画をベースとした作家だ。あえて美人画といいたいが。両者とも変なポーズをした美人を描いている。あられもない姿、そんな瞬間を切り取ったまったく違う作風だ。ミステリー作家としての側面をもつ阿部の作品は謎かけあるいは仕掛けがあり、観るものに注意深さを促す。とHPに記載されているがよくわからない。せめて解説があればなぁ。
 

分からないという点では

佛淵もまったく同様だ。阿部と同じく変なポーズをした美人の連続で解説なしだが、こちらの方はなんとなく感ずることができる。看護師それもいにしえのユニフォーム姿の女性は踊っているのか。この女の人は寝転がった瞬間なのか、バレリーナの演技中と転んだ瞬間の連作。作品の底の底を流れる「意地悪な視点」とでも言おうか。うら若き女性のこんな瞬間をわざわざ切り取るなんて、意地悪以外の何者でもないではないか。あの作家のテイストを思い出した。
 
 

有吉佐和子

は亡くなってから38年も経ってしまったのか。昭和元禄爛熟期。女性作家ブームなるものがあって田辺聖子、佐藤愛子、瀬戸内晴美(寂聴)、平岩弓枝、三浦綾子らが持て囃された時代があった。そしてその中心にいたのが有吉佐和子、というのは私の独断だが、あまり文句を言う人も少ないだろう。
 
 

「恍惚の人」

「華岡青洲の妻」「悪女について」「紀ノ川」「三婆」「香華」「複合汚染」「和宮様御留」「開幕ベルは華やかに」時代劇から現代劇、ドキュメンタリーまで多彩な作品をものした作家だが、彼女のテイストに似ている。女性的というか小姑的というか。
 
 

そんな事を書くと

怒られてしまいそうだが、有吉佐和子のテーマがそのまんまだから仕方がない。華岡に功績をもたらす事に仮託して繰り広げられる嫁姑の争い、どれほど詐欺師・悪女といわれようと戦後をしたたかに生き抜いた女の生涯。宮家、幕府、薩長の思惑に翻弄され死んでいく偽皇女。とんでもなく嫌ったらしい世界だがユーモラス面白くてページを繰るのがやめられない。
 
 

だから女性的というよりも有吉佐和子的

といった方が適切だろうか。いやったらしくもユーモラス、とても人くさい作風は一度みたら忘れられない。図録はなかったようだから、作品集でも出ていないか、Amazonで探してみよう。
 
 
 

森の中の小さな美術館で

これまた個性的な作品と出会ってしまった。深々とした幸福感が得られた。とても嬉しい。さぁ旅も最終盤となった。いざ参ろうぞ

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