「越後妻有 大地の芸術祭」周遊記⑥ そして最後の農舞台、いつでもどこでも彌生ちゃん

新潟県

15時30分

まだまだ陽は高いが自宅までの行程に2時間もかかるので帰り支度を考えねば。どの会場も18:00くらいまでオープンしているようなので、また途中でくわした施設や作品を回りながら行こう。またひたすら山中を行く。土地勘がないというのは不安な反面、面白くてならない。そのまま訳もわからず進むのもよいが、長野県内をふらふらするわけではないので自重しよう。ナビを自宅にセッティングし直して再出発。
 

コンビニに寄ると

書棚には大地の芸術祭パンフレットだらけ。やはり街をあげての一代イベントなんだよなぁ。長野もごく一部の地域では開催されているようだけど、ここまで大規模なイベントは観たことがない。というか、長野は地域ごとに仲悪いから出来ないよなぁ、羨ましいなぁ。
 
 

気を取り直して

再度ドライブ開始。ナビ通りに走っているから心配ないが、そのじつまったく土地勘がないからいったいどこをどのように走っているのか。あまり考えると不安になるから気にしない気にしない。しばらく行くと「松代」なる地名が出てくる。われわれ長野市民からすれば「まつしろ」だがこちらではそのまんま「まつだい」と読む。ちょっと変わっただけで変な心持ちになるものだ。またしばらくいくと松代にもなにやら施設があるらしい。よし、そちらに行ってみよう。
 
 

まつだい「農舞台」

北越急行ほくほく線「まつだい」駅の目の前にある施設。
 
“「都市と農村の交換」というテーマのもと、地域の資源を発掘し発信する総合文化施設です。食、イベント、体験などのプログラムを通して、松代の雪国農耕文化を体感できる”
 
とあるが、初めて来たのでよくわからない。1階は無柱のピロティ空間、2階は正方形平面の建物だが、四隅から斜め方向にぴょろりんと飛び出ている。これはそれぞれ階段室および構造体となっており、これで2階およびピロティを支えているようだ。
 
 

どことなくメタボリズムっぽい

デザインの建築だ。60年代後半の黒川紀章が好んだようなカタチに似ている。50年前に想像された21世紀の姿、昭和元禄まっ盛り、これからずっと先まで人口も国力も財力もそして所得は増え続け、これから世界の未来をずっと支え続けるのはモノづくり日本の技術力なのだ!
 
 

そんな未来はどこにもなかった

メタボリズムはどんどん古びていき、こどもの国セントラルロッジも山形ハワイドリームランドもなくなり、中銀カプセルタワービルも解体された。あんなにスマートでカッコよかったのに。どこか空しさが感じられるデザイン。
 
 

設計者もわからない

もちろん設計意図もわからない状態で言い過ぎだとは思うが、こういう技術的なアクロバットを見せられるとどうも余計なことを考えてしまう。メタボリズム建築好きだしメタボリック症候群だし。
 
 

河口龍夫「関係-黒板の教室/引き出しアート」

教室全体が黒板だったらどれほど楽しいであろうか。というイメージを実現化してしまった面白い面白い教室。机の引き出しに仕込まれたイタズラ、仕掛けも楽しいが、私であれば窓の外全体に展開する田園風景に目を奪われて、絶対に勉強しない。あ、田園風景があろうとなかろうと勉強などしないかな
 

イリヤ&エミリア・カバコフ「一連の作品」

旧ソビエト連邦に生まれ、1989年からコラボレーションを始め、1992年から夫婦となりニューヨークへ移住した現代美術のアーティストで、「モスクワ・コンセプチュアリズムの父」とも呼ばれる作家。ソ連時代は地下活動家として製作を行なっていたという。
 
 
 
 

という事で今回はパス

いきなりなんのこっちゃ?という感じだが、そういった抑圧されたアーティストを観るほど体力が残っていないのだ。タルコフスキーの映画と接した時の疲労感を今は味わいたくない。どうせ次回は松代城に来るのだ。今度は体力溌剌状態で鑑賞したい。
 
 
 

外に出ると

ほくほく線が上越方面へと出発するところ。あ!あのぶつぶつは彌生ちゃんではないか!こんなところにも彌生ちゃんが増殖していたのか。なんだかとても嬉しいぞ。駅に近い丘を少し上がったところに本日最後の作品がある
 
 

草間彌生「花咲ける妻有」

いつものぶつぶつの浮いた葉と花。これはパックンフラワーというよりも世界最大の花 ラフレシアだよね。どちらでもよいのだが、いつでもどこでも彌生ちゃんは変わらない。
 

妙な安心感を得て

越後妻有 大地の芸術祭周遊記を終える。あと2回ほど訪れる予定だが、文章化するかどうかはその時の気分による。以上長々とおつきあいいただきましてあつく御礼申し上げます

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