店名 どさん子大将 長野店
場所 長野県長野市西尾張部261
電話 不明
バリアフリー ◯
駐車場 あり
食べたもの 「まんぷくセット」750円、「チャーシュー」250円
日常的な雑事に取り囲まれ
あーでもないこーでもないとアタフタする日々に埋没してしまう。人は一人で生きてはいけない、常に誰かを思い、誰かのために働いているのだから生きている以上ある程度は仕方のない事でもあるのだ。ただその日常があるひとりの大天才によって形作られたものであるとは意外と知られていない事だ。もちろん直接的にすべての、というわけではないが、現代においては相当な部分が、彼の発想によって支えられているといって過言ではない。
ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)
ハンガリー出身の数学者であった彼の功績は1940年代という極めて早い段階で電子計算機、現代でいうコンピュータの基本的な構成を考案した事にある。のちに「ノイマン型」と呼ばれるシステムは入力、制御、演算、記憶、出力という各々性質の違う機構を循環的配置することで効率のよいコンピュータの生産が可能となった。現在私たちか使っているPCのほとんどはノイマン型のものだ。
そして彼が
判断系制御のために採用したのが二進法だ。導き出された答えが「1」であればこう、「2」であればこのようにと二択形式で事が決されていくシステムとした。これこそまさに天才の天才たる所以なのだ。YESかNOか、赤か白か、黒か白か、源氏か平氏か、豊臣か徳川か、日本かアメリカか、自民党か共産党か。極めてシンプルな手法であるからこそ、提唱から80年を経た現在でも用いられ続けている。
じつに具合のよいシステム
なのは、われわれ自身がかような思考法で生き続けているからだ。1か2か、右か左かという単純な判断系としていけば、物事を楽にこなしていけるのだ。簡単カンタン楽ちんラクチン♪
そうはいっても
すべてがすべて二択で進められるわけではない。人間とは極めてシンプルではある反面、様々な角度を持つ複雑な社会性を持たねばならぬ生物でもあるのだ。Aであるにも関わらず周囲の状況からBと決せざるを得ない。そんな場合などいくらもあろう。与党は嫌いだが、だからといって野党の体たらくには呆れ果て。などという事は日常茶飯なことでもある。
二択もよいが
時と場合による、というゆるやかな、あるいは少々いい加減な対し方であるくらいがちょうどよい。右に行くか左に曲がるかではなく真ん中をなんとなく歩いた方がよいではないか。トンカツを食べるかカレーにするかではなく両方選んでカツカレーとすればよいではないか。美味いか不味いかなどは関係ない、心意気さえ見せてくれればそれでよいのだ。
国道18号線あるいは国道117号線は
長野市の主幹線道路だからいつも混雑している。そのポイントは様々あるが、もう少しなんとかならんのかと私が思うのが西尾張部交差点。1日に数度は必ずここを曲がって市役所方面へ向かうのでどうにもストレスでたまらない。この交差点から少し北上した道路沿いにあるのがこの店だ。
「どさん子大将 長野店」
オレンジ色の急勾配は屋根というかこれはパラペットであろう。そして中層にある紅の看板には
『どさん子大将』
と大書されている。双方とも燻んだ色彩というよりも紫外線と排気ガスによる褪色といった方が適切であろう。正直なところあまり清潔な風ないフォルムといってよいだろう。人によってはこの外観だけで嫌がる者もいるかもしれない。
しかし私はよしとする
基本物好きだから、という事もあるが昔のラーメン屋などこんなものであるのが普通であった。テント地に筆文字で
『豚骨ラーメン ◯◯家』
などと記されたシャレオツな店構えはごく最近のものでしかなく、私の子どものころは紅の看板に紅のテーブルやカウンターがラーメン屋のアイコンであったのだ。なぜ「紅」なのかまでは調べていないからわからないが、世の中そういうものなのだ。
外観通り
さして広い店舗ではない。カウンター席が4〜5くらい。4人がけのテーブルと小上がり席がひとつずつといった規模である。ぴったり12:00くらいに到着したのだが、私以外に客はない。多分ご夫妻であろうおじいちゃんおばあちゃん、…お訊ねしてはいないが恐らく80歳代であろうおばあちゃんは、ご年齢のためかあまりチャキチャキしてはいないが、優しい笑顔で小上がりに通してくれる。
「うちは味噌ラーメンが得意なの」
どさん子と名づけられているくらいだから間違いなく味噌ラーメン。とは私くらいの世代はほぼ記号化されているが最近の若い子には言わなければ分からないのか。そんな事はどうでもよい、私は腹がへっているのだ。おばちゃんこのラーメンセットってなに?
メニューに記載されている
ラーメンセットとは3種ありラーメンに小ライスのついた「小ライスセット」、餃子が装備された「餃子セット」、小ライスと餃子、ラーメンがの「まんぷくセット」となる。大喰らいの私はもちろん「まんぷくセット」とする。ラーメンは味噌として、ああおばちゃん!このおつまみのチャーシューをトッピングしてください。え?そうだよ、別皿ではなくラーメンに乗せてもらっていいからね。店内の壁に
「高齢のため調理時間が長くなります」
と掲示されている。うんいーよいーよ、少し待たされるくらい。明日の朝になるわけではないだろう。子どもとおじいちゃんおばあちゃんには甘いのだ。
黒いプラスチックの盆に載せられた丼たちは、店構えと違って紅白ではなく薄水色と白の色彩。ああこういうのもあったねぇ。うちの隣のラーメン屋もこんな感じだったなぁ、あの頃は両親も若かった、私は子どもだったと妙に感傷的な気分とさせられる。
「小ライス」
丼というよりも取り皿というくらいのサイズに少しだけ盛られた白ごはん。確かに小ライスだよな。ここ数十年山盛りてんこ盛りとしか接していないので、妙に新鮮な心持ちとなれる。サービスというおばちゃん手製のふき味噌とともに食べるライスは、少し水が多くお粥の3歩手前くらいだがまぁよしとしよう。
「餃子」
皿上に並んだ6個の餃子はやや小ぶりサイズ。全体的に緑がかって見えるのは白菜が多いためであろうか。ひと噛みするとシャキッとした歯ごたえがその白菜の存在感を表している。もう少し熱くカリッとしているとよいのだが、昔はこんなものだったよね
「味噌ラーメン」
濃褐色のスープに浮かぶ大量の肉片。あれれ?ああこれがチャーシューなのか。豚バラ肉炒めかと思うくらいの小ぶりなサイズ。厚みも歯ごたえもある、なによりこの無造作に置かれた感じもよい。下にある野菜は千切りキャベツともやし炒め。キャベツはまだシャキシャキしていてとてもフレッシュ!…いやまだ生といえるが家系ラーメンの生キャベツと思えば気にならない。竹輪が半分トッピングされているのは謎だが悪くはない風景だ。
店先の開口部にデカデカと
「こくがあるって言われます みそ」
と掲示されているだけあって、とても濃厚な、いやとてつもなく濃厚な味噌スープは脳梗塞患者トップ10に入り塩分抑制運動の盛んな長野県においては、かなり過激な存在感を放つものであろうが、これはこれでよいのだ。これこそ北海道の味噌味であろう。彼の地には2度しか訪れたことはないが問題なし。とはいえもう少し熱い方が好ましい。麺も少々ノビ塩梅なのが残念。私の撮影時間が長くかかったから、という事もあろうが。
フォン・ノイマン式に
美味い、不味いの二択であれば明らかに後者であろう。熱いものは熱くというのは料理の基本ではあるから、それだけで大減点されて然るべきだ。しかしながら私はこれをよしとする。あのおばちゃんの笑顔、高齢でありながら気張って商売されているおじちゃんの心意気は他では味わえない類いのものであると確信する。しつこいようだがこれがよい、これでなければならぬ、ならぬものはならぬのだ。
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