「越後妻有 大地の芸術祭」周遊記④ MonETのインスタレーションどもと大いなる悪口と

新潟県

私の最終学歴は

ある専門学校の2部すなわち夜間学校というヤツで、昼は普通に働いて夜は学校へ通うまるで二宮金次郎のような勤勉な学生であった。…わけもなく、昼はまぁまぁ真面目に仕事(といっても19か20の小僧に大したスキルがあるわけもないからせいぜい半人前未満といったところの真面目な仕事)をして、終業後に学校へ遊びに行く。
 

遊びに行く

というのはウソでも大げさでもない。学校は新宿駅前にあったから、出発の関係で到着するのが1時限目の半分くらいのタイミング。そもそも技術系の学校はテストや出席など関係ない。レポートや作品など課題さえしっかり提出しておけばそれでよし。だから座学の時間など放置してまずは晩飯だぁ!と学食に行けば待ち構えている悪友たち。
 
 

おおおお!

遅かったじゃないか!さぁ行こうぜ!参ろうぜ!と思い出横丁に連れ出され、飲みに行ってしまうのだ。よくもまぁ体力もおカネもあったねぇと言われるが、二十歳かそこいらだから元気だけはあったし、35年前の新宿思い出横丁の安酒だから1000円も出せばほどほどに酔っ払うことはできる。まことにお気楽な学生生活ではあったが、先に記した通りレポートあるいは課題に関係する授業だけはしっかり出席していた。そして何より週に2回か3回あった設計製図の時間だけは必ず、絶対に休まないようにしていた。
 

そもそも図面を描くのが好き

という理由もあったが、なにより担当のS先生の話が面白すぎて、それを聞きにいくために通っていたようなものであった。先生といっても専門学校だから専任の教師ではない。昼間は本業をこなし、夜は小僧どもに様々な知識を授ける。そんな感じ。設計製図とはあるテーマが与えられ決められた時間内でプランニングを行い必要図面を描くという講義なのだが、そんな課題などほっぽって展開されるS先生の話がめちゃめちゃに面白い。数寄屋というのは最低限のデザインなのだなんて話題はとてつもなくスリリングで刺激的なものであった。
 
 

湯をそそぐ

柄杓をどのように置くか。炉に対して横あるいは縦に置くか、斜めにおくか。流派の違いはあれど自然の中に直線はあり得ない。同様に垂直も平行もない中であえてその風景を見せるという事は、最低限な手法で自然をいかに制御するか、いかに自らの思うがままにするのか、それこそ「デザイン」といえるのだ。
 
 

鹿おどしも同様

自然の中は音で溢れている。樹木や葉が風に揺れる音、鳥や獣、虫たちの鳴き声など様々な音に満ちていて、静寂なんてことはありえない。そこにある一定のリズムで音が発生するシステム=鹿おどしは、音や空間そのものを制御するためのデザインの一種だ。
 

かつて

全共闘の闘士として赤ヘル被って沖縄に赴き、新宿騒乱では国鉄線路上の石礫を警官隊になげつけ、成田では現地民とピケを張りと名だたる闘争に関わり(順番はテキトー)オルガナイザーとして全国各地を飛び回りとかなり派手な活動をした方。その割に逮捕されたことは一度もなく、「捕まるヤツらは要領が悪い」と嘯く。ある時大阪から帰ってきたら所属した組織が摘発されメンバーが誰ひとり残っていなかったので、足を洗った。そんな方であった。
 

話も絵もうまい

そしてプランニングなんて目が覚めるほど素晴らしい。もともと学生運動好きの私だから、設計製図の時間のたびに彼にまとわりついていたものだ。もっとも成績は最劣等ではあったが。
 
この一連の面白さは
つまるところ彼の明確な趣味・好みによるところ、すなわち分かりやすさにあった。アレはいい、コレはダメといった結論に付随するはっきりした理由・理論構成があるので、聞いていてとても心地よい。強烈なまでのモダニストなのだ。人の流れ、場の動き、時のうつろい、気のうごめき、かたちや色、素材、プラン、デザインのすべてに必然性・整合性を求める。彼にプランニングを見せると自らの浅はかな理論構成を徹底的に暴かれる。うーむ、悔しいけど面白い。
 
 

講義はときおり

作品論にも及ぶ。主に当時の話題作についてだが、これがまた手厳しい。モダニストだから流行のポストモダンが大嫌い。人間を追求するのがモダニズム。人間の思考や行動に限界はないはず。したがってモダニズムに限度はないのだ。限度のないものを批判するとは何たること!と当時まだ40歳ちょぼちょぼであったはずだが、妙にじじむさいことも言っていた。
 
 

黒川紀章

はとくに嫌いな建築家のひとり。あんなものはアーキテクトではない、単なるテレビタレントだ!となにか怨みでもあるのかと思えるくらい罵倒していた。私のような軽薄な人間は邪気のない黒川デザインは大好きなのだが、そんな事をいうと殴られそうなので言わなかったが。安藤忠雄はまぁまぁよくて、磯崎新については聞いたことがないが、デザインはともかく徹底した理論構築をした上で設計する磯崎にはあまり文句はなかったのではないか。

TOKYO, JAPAN – JUNE 22: Architect Arata Isozaki speaks during the Asahi Shimbun interview on June 22, 1972 in Tokyo, Japan. (Photo by The Asahi Shimbun via Getty Images)

 

そして原広司

近年は「曠司」と本名で記載されることが多いようだがここでは「広司」とする。ポストモダン建築の旗手として早くから売れっ子であった原もS先生にかかっては一発アウト。
 
「だってアイツ下手じゃん?」
 
たしかに煌びやかなデザインはよいのだが、裏の裏まで徹底されているわけではない。とくにディテールに拘らないというか、きれいな状態に保持できないというか。遠くからみればそこそこだが、近くでみると今ひとつ。という主張に影響され現在でも好みでない建築家の筆頭な存在となる。
 
 
 

そしてここから

ようやく本題となる。疲れたぞ
 
 
 

優雅なる

イタリアンのランチを終えて十日町市の中心市街地へと至る。こちらで観せてもらうのは、越後妻有 大地の芸術祭の中心施設でもあるこちら
 
 

「越後妻有里山現代美術館 MonET」

JR飯山線 十日町駅前のほぼ真前にある施設である。2003年に十日町の名称のもととなった節季市をイメージし、圏域全体のヒト・モノ・情報が交差する場「十日町ステージ越後妻有交流館キナーレ」が前身で、2012年に開催された第5回大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレに合わせてリニューアルされたという。設計は私の嫌いな原広司。お前みたいな小者にナニ言われても悔しくねーや。という原の心の声を聞きながら内部へと至る。
 
 

ロの字型の平面は

内部が大きな浅く水を湛えた中庭となっており、そこをコンクリートの列柱が並ぶ回廊となっえいる。「ちゃんと消毒した水だからはいってもいいですよ」なんて張り紙がされていたが、誰も入っていなかった。平日だしね。底面には建物を模したような、だまし絵のようなペインティングがなされている。これもあるアーティストの作品との事だったが、どこの誰かまでは忘れてしまった。
 
 

二階建ての1階は

イベントスペースや多目的ホール、カフェなどがありそこのハンバーガーがデカくて美味そうだった。ランチの後だしお腹いっぱいだからとやめたが、やはり食べてくればよかった。その他工芸館やらフリマスペースやら、日帰り温泉「明石の湯」なる施設もある、いわゆるコミュニティスペースとなっているようだ。これはこれで楽しそうだが、とりあえず目的は美術館なのだ。
 
 

美術館は2階

に位置する。右手の指定されたドアを抜けると細長い吹き抜けにいくつもの彫刻、というのか木や布、アルミ箔で仕立てられた人形なのか単なるモノなのか。可愛らしいものから訳のわからんものが浮遊している。ああしまった!作家名をメモしてくるのを忘れた。
 
 

インスタレーション

というジャンルの作品が主なようだ。これは
 
1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術
 
とのよし。なんだか分かったような分からないような。ようは空間全体を使った言わば体験型表現とでも言えばよいのだろう。とりあえず記憶に残ったものをいくつか
 
 

マルニクス・デネイス「Resounding Tsumari」

越後妻有の地形を衛星からデータ取得し、3Dに生成したものをスクリーンに映写、鑑賞者はコントローラーを用いて越後妻有上空を飛び回る事ができる。ああそういえばフライトシミュレーターなんてゲームソフトがあり、それと同趣向だなあ。いずれにせよ操縦ヘタだなオレ
 
 

目[me]「movements」

天井から細い透明な天糸のようなもので吊り下げられたナニか。なんじゃこれ?と通り過ぎようとしたら全体がゆっくり細かく震えている。よぉくみると天糸の先にあるのは小さな時計。ええええええ?!無機物が下がっているだけなのに、虫か鳥か、小さな小さな生命体がうごめいているようにみえる。これは美しいものなのか、薄気味悪いものなのか。
 
 

名和晃平「Force」

黒いシリコンオイルが天井から染み出し、黒い闇の深い池を形作る。濃度も粘度も高いオイルは水面にどす黒い穴を深々とあける。息を飲むほどの静謐さ、静寂さにただ圧倒されるばかり。じつは清津峡の次に観たかった作品。ぜったいにこれインクだよね。元印刷屋の父親にもみせてあげたかった。
 
 
 
そしてラストはこの建築そのもの
 
 

原広司+アトリエΦ「越後妻有里山現代美術館 MonET」

うーむ、なんと申しましょうか。功成り名を遂げた世界的な建築家の作品にたいして建築業界の最底辺をのたくっているだけの私ごときが論評するのは気が引けるが言ってしまおう。
 
大したことないよね、この建物
 
プランニングはダサいし仕上げは下手だし。なにあの打ちっぱなしは?安藤忠雄ならあり得ないよね。パラペットが無造作すぎて汚くなっているし。プログラムが多すぎて交通整理だけで終わってしまったのかもしれないが、単なる作品の収蔵庫に過ぎないではないか。ダメですこれは。嫌いだから余計とコメントがキツくなる。
 
 
 

そういえば

いつぞやとある美術館に行ってきた。プランがこーでそれに伴うデザインがアーでと話していたら、S先生からそこには◯◯というアーティストの□□なる作品があるはずだけどどうだった?と質問され、建物しか観てこなかったと答えたら
 
「お前はアホか?美術館いって建物みてくるバカがどこにいるんだ!」
 
とケツが割れるほど怒られたのをよく覚えている。という事はこの文章を彼に読ませたらどんな反応が出てくるであろうか。あああ怖いから絶対にできない出来ない。
 
 
 
長いなぁ
だけど旅はまだ続く、越後妻有の奥は深いのだ。

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