台東区上野「みなとや 上野2号店」一泊二日TOKYO紀行② ポンペイおよびアメ横の特盛丼

東京

 店名 みなとや 上野2号店
場所 東京都台東区上野4-10-17
電話 03-5818-5611
ジャンル 海鮮丼
バリアフリー ◯
駐車場 なし
食べたもの 「特盛丼」750円、「味噌汁」100円

 

この世にいる大抵のものは真面目に誠実に

生きている。基本的にいい加減な私ですら、それなりにまっすぐよそ様に迷惑をかけたり、嫌な想いをさせないよう生きているつもりだ。いやホントなのだ、こうみえても結構真面目にやっている。そうでなくては社会が回らないではないか。

 

だから人びとは

安心して暮らしていけている。地位や経済力に少々の差異はあるが、だからといってどうにもならないほどの壁があるわけでもないので、その人なりにそれなりに人生を謳歌しながら生きていけている。いろいろと文句がなくもないが、それなりによい時代、よき社会であると思っている。

すなわち

なんのかんのいいながら明日を信じて生きている、という事でもあるわけだ。なろう!なろう!明日なろう!明日は檜になろう!などとピュアに思い込んでいはしないが、1日が終わって一晩寝てしまえば夜は必ず明けるのだし、朝はやってくる。もしかすると昨日より少しはよくなっているかもしれないし、まぁあんまり変わり映えしないのだろうが、まぁそれはよしとしよう。そのように思うながら、思い込みながら生きている

 

特別展「ポンペイ」

を観てきた。息子の部屋探しのついで、であるのかこちらが主であるのかはどうでもよいのだ。今これを観たいのだなにか文句あるのか、という事で東京国立博物館まで行ってきた。

 

上野公園

正式には「上野恩賜公園」はデカいデカい。長野というちっぽけな街を基準とするから余計と大きく感ずるのであろうが。JRで行くのだから上野まで行けば少し楽ができるのに、せっかくだから正面から入って西郷さん観てから行こうなどと調子のよい工程を選んだらエラい目にあった。日常的に自らの足で歩くことが少ない地方人としてはなかなかハードルの高い距離でもあるのだ。

 

上野の博物館は

子どものころ父親に連れられてよく訪れたものだ。主に科学博物館であったが、安くていろいろなものがあって楽しかったのだ。恐竜の骨格化石やゼロ戦の復元モデルや首狩り族の干し首など子どもには興味深いものがたくさんあって飽きがこない。

 

東京国立博物館

もその流れて何度か訪れたことがあったが、科学博物館と比べれば回数は極端に少ない。だって難しいんだもの。本館、東洋館、西洋館(現在は平成館、表慶館、法隆寺宝物館も加わった)からなる展示はタイトルこそあるが説明はほとんどない。「ここは研究の場。みんな知ってるでしょ?」という程で作られているのだ。背伸びは必要だが敷居まで高くされては一般庶民はどうすることもできない。

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そんなわけで

お邪魔する機会があまりなかった施設だが、近年独立行政法人化されてからは「楽しい場所」として生まれ変わったようだ。内部はわかりやすく改装され、興味深い特別展も開催されるようになった。数年前「デュシャン展」にお邪魔したがあれはすごかったなぁ。実物大の大ガラスレプリカや「泉」には圧倒された。ちゃんとした「滝とランプ」がないのは片手落ちとしか思えなかったが、それは仕方のない事であろう。そして今回は「ポンペイ」がテーマとなる。

 

ポンペイとは

イタリア ナポリの近くにあった古代都市で西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火によりひと晩で滅びたと言われる地である。19世紀から始められた発掘調査は現在も続けられ、全体の1/4程度しか進められてはいないという。この展示は開始から現在までの研究成果と発掘された品々によって構成されている。

 

海沿いに位置し

ヴェスヴィオ火山によって育まれた肥沃な土壌を持つポンペイは商業、農業で栄えた豊かな街であった。早くに整備された大きな港からは、地中海沿岸の各都市から持ち込まれる物資が集まり、周辺地域ではブドウやオリーブが大々的に栽培され、ワインの産地としても有名であったという。

 

ローマの支配地

であった関係から水道や街路は完璧に整備されていた。石で舗装された街路は歩車道が分離され安全な通行が可能となっていた。おいおい、現代の長野市だって歩道のないところはたくさんあるぞ。青銅製の水道管やバルブは現代のものとあまり変わらない。というかその技術が現代にも連綿と続いているのであろうか。

 

富裕層、庶民層そして奴隷層と

階層下にあったポンペイ市民であったが、さほどに厳格なものではなかったので、奴隷でも努力次第で一般市民として遇された。というか「奴隷」は意訳がすぎるか、あるいは誤訳ではないのか。いずれにせよポンペイは神と信仰と美と人びとへのリスペクトに満ちた街であったようだ。なんとなく小松左京「虚無回廊」の元ネタであったような気がする。

 

美といえば

その質と量に圧倒される。ブロンズ、石膏像、フレスコ画、モザイク画などが数えきれないほど発掘されている。残っているものですらこの量なのだから、往時のポンペイはこの世の楽園とも言えるほどの美しい街であった。

 

フォルムとよばれる

広場では市民が宗教や芸術、美術や哲学、政治を語り、劇場では悲劇、喜劇などの演劇が繰り広げられ、運動場・球技場ではスポーツを楽しみ、公衆浴場では社交が展開された。ああオレここに住みたい。

 

それほど高度に完成された街ポンペイにも

終わりの時がくる。西暦62年に発生した地震によって大きな被害を受け、再建作業はなされたが完全に元の姿に戻ることはなく、西暦79年ヴェスヴィオ火山の噴火にともなう火砕流により、ポンペイの街は一夜にして地中に埋まった。以来19世紀に至り発掘調査が行われるようになるまで忘れ去られた存在となった。

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まことに儚い最後であった

数百年かけて形作られたポンペイもほんの一瞬で消え去った。ヴェスヴィオ火山によって育まれた街は、そのヴェスヴィオ火山によって滅びたとは皮肉という以外はない。

正直なところ

ポンペイの素晴らしさに惹かれれば惹かれるほど、身の置きどころがないほどの虚しさに襲われる気がしたのも事実である。ポンペイがここに至るまでどれほどの年月と、幾人の血と汗と努力と叡智が傾けられたというのだ。みながみな明日を信じて生き抜いてきたというのに。

いやそれは違う

とこの展示会の監修者はいう。人間はいつどこでどのような事態に見舞われるかわからない。しかし「何か」と遭遇した際にいかなる行動を取るのか、どのような準備をしておけばよいのか。ポンペイを研究すれば自ずと道は開かれるのだと。

 

古代に想いを馳せ

現代を生きる術を探り明日への道標とする。みごとなイベントであった。

 

終わってから

平成館1階の「日本の考古学」コーナーをひと巡り。教科書記載レベルのすごい展示物に圧倒され、外に出たときは昼を少し回ったくらいであった。腹がへった、ランチタイムとしよう。といってもなにかアテがあるわけでもないのでアメ横を彷徨うこととする。

 

アメヤ横丁 通称アメ横

は上野にくれば間違いなく歩きまわるところではある。といってもなにか買うでもなしふらふらするだけだが。昔と変わり映えせずひたすら人人人の風景。変わったのは米軍横流し物資の店が少なくなったのと、アジア風屋台の店が増えたことくらいか。

 

豚足だのシシカバブだの

といったいかにもな食材を店先で食べさせてくれるところが楽しそうだったが、あいにくな事にあまりクドいものを受け付けそうにない。御徒町駅のすぐ近くまで行ったら良さげな店を見つけたので立ち止まる。

 

「みなとや 上野2号店」

2号店、というのは食べログの記載による。角地に面した店先は、片やお好み焼きやたこ焼きといった焼き物。恐らくそちらが1号店であろう。そしてこちら側は海鮮丼を多数扱う店のようだ。

ウニ・イクラ・ネギトロ丼
いくら丼
中トロ丼
小柱・サーモン丼
マグロ・明太丼

などといった海鮮丼の写真が大量に掲示されている。いろいろ迷ったがオーソドックスなこちらとする。

 

「特盛丼」750円、「味噌汁」100円

特盛りといっても量が多いわけではない。5種の刺身類、マグロ、サーモン、ネギトロ、イクラ、イカが載せられた丼もの。盛りつけなんて食べちゃえば一緒でしょ?と言わんばかりの無造作なあり方がよろしい。

というかこっちの方がアジアっぽくて好き。ウレタンの小皿にワサビをのせて醤油をいれ、特盛丼にかけ回す。ご飯は酢飯ではないから、少し多いめにした方が美味い。刺身類の鮮度は抜群。とくにマグロ類が脂たっぷりで美味し。

 

という事で

息子の部屋探し、東京国立博物館、アメ横といった東京紀行も完了。すでに数日を経たが検査上も症状的にもとりあえずコロナ感染もなさそうだ。よかったよかった。もうしばらくしたら、数週間後に引越しで行かねばならぬが、多分日帰りだろうなぁ。

 

 

 


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